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恋の忍坂 冬の倉橋ため池 [町道!街道!眠り未だ足らず]

パワースポットという人もいる
忍坂坐生根(おっさかにいますいくね)神社を
下からのぞき見。
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奈良県桜井市の忍坂(おっさか)街道。

行政の表示は「忍阪」らしい。
どこの行政も市民の利便性は無視し
独善的ですからね。

私の住んでいる大阪市でも
豊臣秀吉が建てた城は大坂城!
昭和時代に建てた城は大阪城です。

忍坂坐生根神社に
万葉仮名(!)の歌碑があります。

隠来之 長谷之山
青幡之 忍坂山者 走出之
宜山之 出立之 妙山叙
惜山之 荒巻惜毛

こもりくの はつせのやま
あをはたの おさかのやまは はしりでの
よろしきやまの いでたちの くはしきやまぞ
あたらしきやまの あれまくおしも

はせ( or はつせ)の山や
忍坂(おさか)の山は
裾がきれいで姿の美しい山なのに
近ごろは荒れて行くのが悲しい!
と詠っているような気がしますが。

山が荒れてしまったのではなく
あなたがいなくなって久しく
寂しくて山がくすんで見えるという
恋の歌じゃないでしょうか。



このあたりは神武天皇の東征の
最後の戦いの地ですね。(拙ブログ 2012/11/04

尾のある土蜘蛛(つちぐも)
八十建(やそたける)を討ち果たしたところ。

衣通姫(そとおりひめ)を祀(まつ)っています。
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どえらい美人だったそうです。
兄の木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と恋して
命を絶ったのかな。
日本最初の心中!
記録にある最初の心中かも。

舒明(じょめい)天皇陵。
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八角の古墳だそうですが。

石位寺(いしいでら)の
「薬師三尊石仏」に手を合わせて過ぎます。
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額田王(ぬかたのおおきみ)が
恋を念じたかも知れない石仏です。



お!
向こうに見える堰堤は倉橋ため池。
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そう!(拙ブログ 2013/09/08
この柵の切れ目から落ちて
血まみれになって!
新しいカメラを壊したところ。

いやなこと思い出しました。

倉橋ため池に向かってゆるやかに上がれば
天王山古墳(群)。
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昔!石室に入ったことがあったような。
この古墳群の中のどれかに。

どれかに大きな家形石棺がありましたね。
それだけですので
最近!横着になって再訪する気は起きませんが。

崇峻(すしゅん)天皇の陵との
伝説が残っているようです。
宮内庁は比定していませんので
興味ある人は堂々と探検できますよ。

冬の今行かなければ
夏草の繁るころには
各種昆虫やらマムシやらの歓迎に合います。



走ってきたニャンコに
跳びつかれたあたり。(拙ブログ 2012/11/08
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空腹だったのかなぁ!
かまってやれず!後悔しきり。

このあたりをなん度も歩いたことはなく
地理にも不案内なのに
なぜか記憶に残っている土地ですね。
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梅の花が咲いています。
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ここから丘の上に崇峻天皇の
倉橋柴垣の宮があったといわれていますが。

これは柴垣の宮ではありません。
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広大なスペースに立派な建造物があります。
人の気配はありません。

この中に
地産地消!格安のバイキング料理店が
オープンしたと思ったのもつかの間
つぎにきたときには!もう!こんな状態でしたが。

それからなん年!
廃墟にするつもりでしょうか。



なんの変哲もないところに
「崇峻天皇 倉梯岡陵」があります。
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宮内庁の治定が間違いでしょう!
天王山古墳のほうが陵らしいとは
シロート目にも分かります。

だいたい!ここに落ち着くまで
明治になってから二転三転したと聞きます。

古くからの伝承のほうがまだ信憑性が高そう。

寒そうな田んぼの向こうに
聖林寺(しょうりんじ)が見えます。
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和銅 5 年(712)に
藤原鎌足の長男の定恵(643 ~ 666)が創建。

これは伝承のほうが不可思議。
定恵が死んでから半世紀して建てたなんて。



(万葉歌の訓読みは)
(佐佐木信綱著/新訓万葉集/参照)
(敬称略)
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