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木津勘助の島 日本一の獅子頭 [わが街・大阪ブギウギ]

たぶん!日本一の獅子頭!
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難波八阪神社(大阪市浪速区)の獅子殿。

高さが 12m あるそうですが。
目にライトが仕込んであるので
夜にはもっと迫力があるはずですが
夜になると境内は立ち入り禁止になるとか。

綱が飾られていました。
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八頭八尾の大蛇の大綱。
「難波の綱引き」と称されて
ニュースになっているのを見ることもありますが。
今年の行事は終わったところですね。



勘助橋跡の碑。
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鴎町公園の中。

室町時代の地図を見るとこのあたりは海の中。
小さな島や中州だらけ。

毛利水軍や織田信長軍や九鬼水軍やらが
入り乱れていたところ。

江戸時代になって木津勘助(中村勘助)が
姫島を開発したのですね。
姫島は後に
勘助島(今の大正区あたり)と呼ばれたらしい。

その島か!
その島に渡る橋かがあったところでしょうか。



この公園には
折口信夫(1887 ~ 1953おりぐちしのぶ 釈迢空)の
顕彰碑もありました。
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生誕地がこのあたりらしい。

横の文学碑に「十日戎」という
たぶんエッセイの一部が刻まれています。

さらにその一部に

「今宮の戎前から」
「難波の入堀川に面した」
「お藏跡まで十丁あまり」

なんてありますが。

「お蔵跡」は南海・難波駅のところ。
「入掘川(いりぼりがわ)」はそこへ
道頓堀川から掘削された運河。
今はなんにも面影が残っていませんが
折口が幼少のころには
はっきり認められていたのですね。



南に歩けば
木津勘助が立っていました。
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敷津松乃宮・大国主神社の境内。

神功皇后が松の木を植えたので「松乃宮」!
神功皇后は
卑弥呼に比定する人もいるほどの大昔の人。
ほとんど神話の世界の人。

18 世紀になって神託により
出雲の大国主を勧請したから「大国主神社」!

このあたりでギブアップ!よく分かりませんが
また!この神社は
「木津の大黒さん」と呼ばれて
信仰を集めています。

大国主と大黒天は違うような気がしますが
深く考えますまい!知恵のないものは。



近くの唯専寺に寄って帰ります。

木津勘助の墓があります。
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不思議な形の墓石です。

「木津勘助」という上方落語の演題があります。
これを聞いても
この墓の由来となるような
酒壺や油壷のエピソードがないのですが。

余談ですが「木津勘助」は
上方落語らしくありません。

江戸落語はお座敷芸から
上方落語は辻噺(つじばなし)から発祥したと
聞いたことがあります。

街頭で往来する人の足を止めるには
下座(はやし鳴りもの)も協力して
やたらにぎやかに演じる必要があったようですが
この噺は性格が違います。
静かです。

講談や浪曲からアレンジされたものでしょうか。

宇井無愁著/落語の系譜/の
上方落語の 1,000 近くの演題の中にもありません。



大阪に流れてきて幾星霜。
まだまだ知らないこと!
不思議なこと!
たくさんありますね。



(敬称略)
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