SSブログ

畝傍山 三角関係の果ては [野道!山道!恋はけもの道!]

橿原神宮です。
blog31.jpg

広大です。
神武天皇を祀るため
明治 23 年(1890)に創建。
それから半世紀どんどん拡張して行ったようです。
特に若ものが全国から動員されて
ありがたく(?)働いたようです。

背後の山が畝傍山(うねびやま)です。

登ります。
標高 199m ですから
「上がります」と書いたほうがいいかも。

なんの苦もなく頂上。
blog32.jpg

なんの変哲もない丘の上です。

この日は天候が猫の目のように変化。
頂上では小雨。
blog33.jpg

いにしえの藤原京がかすんでいます。



高山波 雲根火雄男志等 耳梨與
相諍競伎 神代従 如此爾有良之
古昔母 然爾有許曽
虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉  (万葉集 13)

かぐやまは うねびををしと みみなしと
あいあらそひき かみよより かくなるらし
いにしへも しかなれこそ
うつせみも つまを あらそふらしき

中大兄皇子(なかのおおえのみこ)の歌。

香具山は畝傍山(畝火山)を雄々しいといって
耳成山(みみなしやま)と争っています?!
恋の三角関係ですかね。

ん?!
畝傍山は男性でしょうか。
すると香久山(かぐやま)と
耳成山(みみなしやま)は女性?男性?!

「雄男志等」を
無理(!)に「愛(おお)しと」と読んで
畝傍山を女性とする珍説(失礼!)もあるとか。

大和三山の中で一番大きい畝傍山は
やっぱり男性とみましょうよ。

中大兄皇子(天智天皇)は
絶世の美女の
額田王(ぬかたのおおきみ)をめぐって
兄弟の
大海人皇子(おおあまのみこ 天武天皇)と
争ったのですよね。

自分の三角関係を詠ったのでしょうか。



この山から南西に地図上の直線で
5km ばかりのところにある国見山。

神武天皇はその国見山で
「ああ!われはいい国を得た」と喜んだと
日本書紀は記していますが。(拙ブログ 2017/01/26

国見山のふもとに
「柏原」という古い地名もありますが。
神武天皇の宮があったのは
そちらじゃないんですか。

そんなことはどうでもいいのかな。
神武天皇が
実在したかどうかさえ分かりませんから。
私はなんらかの人がいたという説が好きですが。



この山は独立峰で畝傍山といわれるほど
尾根が田んぼの畝のようになだらかにあるので
信仰場所の設定に適していたようで
古来たくさんの寺社が建立されていたようですが
今はなにもありません。

山中の集落も移転してしまっています。

上から神宮を見降ろすなんて
不敬だといわれたのですね。

この「不敬」は実に不可思議なもので
明治以降!顕著になって!数知れず。
私の家の近くの
(今はJR環状線の)桃谷駅だって
「桃山駅とは不謹慎だ!」
ということで改名したとか。

明治天皇の伏見桃山陵ができたからですね。
後からできたほうが強いんですな。

どこかで聞いたはなし。
山中に犬の訓練所がありました。
横の雑木林が整地されて
住宅がたくさん建てられました。

越してきた新住民が
「犬の声がやかましい!」
「住宅のそばでたくさんの犬を飼うな!」
「出て行け!」というようなもんでしょうか。

勝手に!承知で!
犬のそばにきたほうが威張っても
行政も世間もそちらに見方らしい。

それと少し違いますか。はは。



山頂にあるこの囲い。
blog34.jpg

今は山をはさんで神宮の反対側にある
畝火山口神社の跡のひとつと
長い間思っていましたが
なにも案内がありませんね。

「清浄地に付 禁足地」の小さな板がひとつ。

玉垣になにか刻まれていますが。
blog35.jpg

薄くなっていて
字ということだけしか私には分かりませんが。



降ります。

畝火山口神社に着いたら晴れてきました。
blog36.jpg

山本大師堂の向こうに畝傍山。
blog37.jpg

神武天皇陵の林間から見る畝傍山。
blog38.jpg

神武天皇陵。
blog39.jpg

また降ってきました。

ん?!
以前にだれかとふたりで歩いたコースを
トレースしただけでしたね。
拙ブログ 2015/08/19

トイレが少ないのが難ですが
老若男女歩けそうなコースです。

このつぎの
仮面(名乗らなくてもいい寄せ集め)の
ハイキングに企画しましょうか。



(長歌訓読みは/佐佐木信綱編/新訓 万葉集/より)
(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感