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八軒家浜 明治維新前後 [いわなが姫の丑の刻参り]

その昔は浪華(なにわ)三大橋のひとつ
難波橋(なにわばし)です。
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大川(旧・淀川)に架かっていたのかも。
今は大川がふたつに別れているから
土佐堀川と堂島川のふたつを
まとめてまたいでいますが。

橋詰にライオンが 4 頭いますから
ライオン橋と呼ばれて親しまれていると
観光案内なんかに記載されていますが。
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私の周囲では
難波橋としかいわないですけどね。

文久 3 年(1863)
儒学者の池内大学が暗殺されたところです。
人斬り以蔵と呼ばれて
近世の戯曲に登場する岡田以蔵が
勝手にしたことといわれたりします。



難波橋の南詰の大阪証券取引所の前に
五代友厚(1836 ~ 1885)が立っています。
blog33五代友厚.jpg

日のあたる部分の評価は大阪では高い。
ひとことでいえば!政商でしょうね。
正義に正しいも悪いもありません。
時流をつかんだものが正義ですね。



土佐堀川に並行して走る土佐堀通り。

土佐堀川と土佐堀通りの間に
加賀伊という旅館があったそうな。
怪しげな(?)志士の潜伏場所だったとか。
後に桂小五郎(木戸孝允)が
花外楼と命名したとか!しないとか。

今は大きなビルになっていますが。
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花外楼の隣のビルの外壁に
おじさんたちの顔が!?
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「大阪会議」の場所だそうな。
このおじさんたちは
大久保利通!木戸孝允!板垣退助!
井上馨!伊藤博文でしょうか。

大阪会議とはなんでしたやら。
強いて知りたくもないですが。

花外楼で行われたそうですので
ここも花外楼のものかも。
花外楼は長くつづくお金持ちですなぁ。



花外楼の向かいに
軍の高官やら役人やら政治家が
芸者遊びをしていた(知らんけど)
専崎楼があったはず。

伊藤博文の常宿だったそうな。
毎晩!裸踊りをしていたのでしょうか。

ま!伊藤博文が
西田辺のしょんべん小路の奥の
安居酒屋の客のように
裸踊りを好むかどうか知りませんが
水揚げが 3 度のめしより好きだったと
ガッコーで習ったような。
(どこのガッコーだったやら)

ちなみに水揚げとは
舞妓や芸妓が初めて
オトコと寝ることらしい。(知らんけど)

このあたり?!
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なんの手がかりもありませぬ。



少し南に歩けば
「天五に平五 十兵衛横町」の
碑がある街角。
blog37平野屋五兵衛邸跡.jpg

両替商が並んでいた今橋通りですね。

その中でも特別大店(おおだな)だった
天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛が
向かい同士だったようです。

五兵衛と五兵衛で足せば十兵衛。
足すんですねぇ!大坂(大阪)人は。

各藩の米の取り引き!換金は
幕府の政策で
大坂ですることになっていたので
この地の両替商は濡れ手に粟状態。

儲けて裕福になれば
さらに資産が増えるシステム。

明治維新で社会の仕組みが変わり
没落するのは必定。
しかし!正義(!)にすり寄って
今に残る大金持ちなった
抜けめのないものもいたようです。



東にたどれば今橋。
東横堀川に架かっています。

大阪の堀川はほぼ埋め立てられていますが
埋め立てられていない数少ない川。

ひとつ下流の高麗橋。
ここが江戸時代のメインロードかな。
それでかどうか!橋のたもとに
明治時代の里程元標があります。
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当時の主要道路の距離計算はここを起点。

橋の下流にパナマ運河のような
閘門(こうもん)があります。
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船で越えて行ったこともありましたが。
拙ブログ 2016/10/18



東横堀川は土佐堀川から分流しています。
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右が土佐堀川!左が東横堀川。

取水口の西側あたりは今橋新地だったらしい。
おね~さんがいっぱいいるところ。
大阪歴史博物館に行けば
竹式楼とか瓢箪屋とかの記録があるのかも。

瓢箪屋の火の見台は
天神祭りの船渡御を見る一等席。
詩歌のひとつも生まれます!たぶん。

今はなんの情緒も残ってないですね。

東横堀川の取水口の東側の土佐堀川の岸は
「ふれあいの岸辺」と命名されている
広場がありますが
いつも!だれもいません。
カップルできたら!
なにか(!)できますよ。

雑草の繁るところもあります。
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昆虫を増やしたいもの。



土佐堀通りを東に進みます。

天神橋の南詰に着きます。
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文久 3 年(1863)
大坂西町奉行所の
与力の内山彦次郎が暗殺されたところ。
新選組の仕業らしい。
新選組は大坂で
他にも足跡を残しているようです。

なんと!面妖な?!
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「皇紀二千六百年記念」と書かれている
コンクリートのかたまりから
木が生えているだけでしたか。
驚いて損しました。



天神橋の南に紀州藩蔵屋敷があったそうな。
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明治になってから
船着き場になっていたようです。

おじさんがいました。
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日本郵便の父という前島密でした。
今!この地は日本郵便のビル。



さらに東進。

このあたりに船宿の京屋があったはず。
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新選組の御用宿。

その東に船宿の堺屋があったそうな。
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坂本龍馬が利用していたといわれる宿。

カタキ同士が並んで投宿していたとは。
司馬遼太郎は「竜馬がゆく」に
断定して書いていますが!はたして。

みんななんの面影もありません。



結局!疲れるだけで
なんにも得られるものはありません。

難しいことを考えられる脳ではないですね。

天満橋の下流にある
今の八軒家浜(はちけんやはま)の
船着き場に座ります。
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京阪シティモールの地下で買ってきた
弁当を食べますか。
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左右の離れたところに
小粋(?)な飲食店がありますが
ここにはだれもいません。

ときどき
しあわせそうなファミリーが通り過ぎます。
おさなごがにこにこするのに答えていると
正義(!)の親は子の手を引いて急ぎ足。

おら!最下等のホームレスかよ。
ま!そう見えるかも。

つかつかとひとりの
妙齢のおね~さんがやってきました。

おら!怪しいようで怪しくありましぇ~ん。
すぐあやまりたくなる悲しい人生。

「天神橋筋商店街に行きたいのですが」

数歩歩いて道を教えました。
天神橋を渡るまで
ついて行ってあげたくても
ホームレスの身では!ね。



日陰の川風はもう夏ではないですね。

「秋の風 人の顔より 吹きそむる  一茶

「草木のみ 吹くにもあらず 秋の風  井月

「秋の風 われを相手に 吹きにけり  子規

先ほど逃げた(!)年増のおね~さんを
想像で裸(!)にします。
想像だけなら暗殺されないでしょう。

「秋立つや 妹(いも)の素足に 川の風  ほっ



(敬称略)
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