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色情こそわが命 私の婆子焼庵 [不謹慎ですが、、、]

ビョーキのふりができるほど
病気(!)が回復してきました。
七転八倒のときには当然!
なんともいえない不快感に
さいなまれているときには
ビョーキのふりも
健康な演技もできませんね。

だれも見舞金を持ってきません。
あ!そうです!
友人が皆無でしたね。はは。

某お大尽が 1,000 円くれました。
ずいぶん前に私が貸していたらしい。
どうも!このまま私が死んだら
寝覚めが悪いと思ったようです。



新年早々先行きを愁えるまで
心に余裕(!)ができて
閉塞感の増すまま天井を見つめていたら
一休宗純の詩が浮かびました。


老婆心為賊過梯
清浄沙門与女妻
今夜美人若約我
枯楊春老更生弟  (弟は禾偏つき)


なんのこっちゃ!抹茶に紅茶。
訳詩(柳田聖山作)があります。

婆の魂胆 泥棒手引き
青い坊主に 可愛いこ添わす
今夜そのこが このわし抱けば
枯れた柳も わき芽を出そう


これは禅宗の公案の回答でしょうか。
公案とは試験問題みたいなもの。

「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という
公案なんですね。

公案を無学!無修行の私が解釈します。
あ!まるっきりの受け売りと
ほとんど見当はずれですがね。

「婆子」はおばあさん。
おばあさんといっても女傑。
おカネも考えも
しっかり持っている人に違いありません。
そのおばあさんが
「庵」を焼いてしまったというのです。

おばあさんはひとりの青年僧を
20 年供養したのです。
供養とは
衣食住薬の世話のことのようです。
「薬」は投薬かな!
病気のときの世話でしょう。

供養が 20 年経ったとき
おばあさんは
16 歳の可愛い娘を世話したのです。
かの女は僧に抱きついて
「しょういんものとき」といいました。

「しょういんものとき」は
「しょう」は正!「とき」は時ですが
「いんも」は漢字が難しいので
私には書けませんが
禅宗のことばでしょう。
お知りになりたければ
検索するか!禅僧に聞いてください。

私の周囲のアラフォー(around 40)の
お色気ね~ちゃんのことばに
置き換えれば
「セックスするの?しないの?!」
「今すぐ決めて!」でしょうか。

青年僧は答えました。
「枯木寒厳によりて三冬暖気なし」と。
冬の三か月の枯木のように
私の身心に暖気はありませぬ。
おら!なんにも感じないもん。

怒ったおばあさんは僧を追い出して
庵を焼きはらいました。

めでたし!めでたし。

めでたしかどうかはさておき
おばあさんの庵ですからお好きなように。

どこが問題でしょう。
回答する必要がありますかね。
正解もないでしょうに。



背景に当時の日本の仏教感があるような。
後白河法皇が集めた歌(梁塵秘抄)の中に

「女人に五つのさわりあり
「無垢の浄土はうとけれど(以下略)

なんて!失礼きわまる歌がありました。

日本の仏教感ではなく
「女人は内に五障あり
「外に三従あり
7 世紀の大陸の道宣がいうのを
すなおに受け入れているのかも。

男性というだけで
女性より優れているという思想。

涅槃経(ねはんきょう)には
「三千世界のあらゆる男性の
「煩悩を集めたものが
「ひとりの女性が持つ業障に等しい
なんて!ひどい教えがあるそうな。

ゆえに!
阿含経(あごんきょう)に
「女性は必ず無間地獄におちる
とあれば
優填王教(うてんおうきょう)は
「男を罪におとしいれる
とさとしています。

唯識論に
「女性の心は夜叉
とあるのはもっともだと思ったのは
女性の紫式部かも。

隠していても
出産時に物の怪(け)が出現すると
日記に書いたりして。

それはただ痛いから
形相が変わっているだけでしょ!
崇高な生理を!情ない解釈。

高貴な人の出産時には
たくさんの僧やら
修験者やらを動員して
物の怪をしずめようとしています。
インチキ宗教者の稼ぎどき。

インチキ宗教や占い詐欺は人類史上!
いつもくり返しています。
無神論者の不調法な私が感じるのは
現代がもっともひどいのでは。

初めにもどっていえば
おばあさんか婆子か女傑かは
自分が成仏できない女だから
代わりに青年僧を
供養していたのでしょうか。



賢い僧が期せずしてつぎつぎに出現して
鎌倉仏教が萌芽する時代になって
女性蔑視を
考えるようになったのかも。

法然は女性が
比叡山や高野山に登れないことや
粗末な仏像さえ近づくことを
禁じられている宗教に
疑念を感じています。

そんな変革時代に
一休は生きたのでしょう。

江戸時代のかな書きの
「一休噺(ばなし)」が
あることないこと書いていたので
小生意気な
小坊主のイメージがありますが
一休宗純は
なかなか食わせもののエロ坊主です。

エロが悪い訳でもないと
私は思うのですが。
色情狂のくせに隠して
くだらぬ聖人ぶっているほうが
異常だとは思いませんか。

そんな世界の問題と回答ですから
簡単な解釈ではすみません。



なぜ!女傑は怒ったのでしょうか。

「枯木寒厳によりて三冬暖気なし」と
あらかじめ用意したような
せりふをいったからに違いないような。

一休は
「枯れた柳もわき芽を出そう」
「もう!たまんないです!下半身が」
と答えたらいいのだと思ったのかも。

生きているかぎり生殖があります。
生殖のない生は不要でしょう。
語弊を恐れずにいえば。

青年僧は 20 年修業しました。
修業の潮どきでしょう。

才能とセンスがなければ
イチローと同様な努力をしても
イチローに似た
プロ野球選手にはなれません。

囲碁や将棋のプロになるのに
年齢制限をかけているのもそうでしょう。

センスがないものは
その修業から
早く見切りをつけるべきです。

青年僧ははたしてどうだったのか。

悟りが開けそうなら
この楽な(?)供養と決別し!
もっと深い修行に行っていたはず。

なにもつかめていないのなら
僧をあきらめて
この可愛い娘といっしょに
だんご屋を開いたらどうでしょう。
そば屋でもかまいませんが。

悟っているふりをして
庶民を煙に巻くのを活計(たつき)とし
夜はこっそり
娘と夫婦(めおと)をしていたら
いかがなものでしょう。
たいてい!この道を選びそうなもの。

供養した女傑に
あなたが好きといって
夫婦(めおと)になるという手を
思いつきましたが。

自慢じゃないですが
この手を思いついた先人は
今までいないはず。

女傑は年上のようですから
先に死にそうです。

その後!財産を相続して
あの娘と楽しく暮らしたらいかが。



この公案や詩はなにごとにも
執着するなと教えているような。
仕事でも遊びでもお勉強でも
センスがない分野に入ったら
早く撤回するのが
自分と周囲のためだと考えます。

その分野によって違いますが
修業期間は経験的に分かっているはずです。



全然!まとまりません。
あれ!?
私の得意(?)のエロが
どこかへ行きました。

まだ!ビョーキです。
いや!ずっと!一生ビョーキです。



(敬称略)
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