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牽牛子塚古墳 復元公開 王家の谷を行く [いわなが姫の丑の刻参り]

春うらら。
梅の花咲く明日香村です。
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野の梅の花は白色。
白色がいいですね。
私の心の中のようです。
ちょっと!ウソですが。

お!白く咲いて(?)います。
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あれですね!この春に復元・公開された
牽牛子塚(けんごしづか)古墳は。

新聞にもTVにも Web ニュースにも
ほぼ接しない日常。
オープンを知りませんでした。
遅ればせながらやってきました。

北の日陰から接近します。
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こんなにきちんと
凝灰岩(ぎょうかいがん)のタイルで
葺(ふ)かれていたのでしょうか。

あんな頂上に玄室があったのですか。
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いや!あそこから
下をのぞけるようにしたのですね。
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それにしても盛り土が少ない。
ということは
古墳時代も末期の築造でしょうか。

高貴な人しか埋葬しない八角形墳です。

斉明天皇(594 ~ 661)陵の説が
ますます強くなりました。
斉明陵は越智崗上陵だと
宮内庁は治定していますがね。



牽牛子(けんごし)とは
アサガオの種子のこと。

古墳の八角形が
アサガオの花に似ているのですね。
朝顔塚とも呼ばれていたそうですが
手元の園芸大百科事典(講談社編)には
奈良時代に種子(牽牛子)を薬として
遣唐使が持ち帰ったとありますが。

余談ですが大昔!渓流の横で
テント暮らしをしていたとき
(ホームレスではありません)
腹をくだしたものに
アサガオのタネを飲めと
アドバイスしていたものがいましたが。

ニワトリにはよく効く!と。

わしゃニワトリか!と怒っていましたが
飲まなくてよかったです!
下剤の薬なんですね。

朝顔塚だ!牽牛子塚だ!というのは
種子が来朝する前の名称ではなく
後世の呼び名のような。

そうでもないですか。
万葉集の朝顔はムクゲまたは
キキョウを指すとも習いましたから。
朝顔塚が初めにあって
朝顔を牽牛子に置き換えたのかも。

すると!おかしいこともないですか!
忘れてください。

下から仰げば見晴らしのいい場所ですね。
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死んだ人には見えないでしょうけど。



くだって行けば岩屋山古墳。
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大きな玄室が
早くから露出していたようです。
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たぶん!原形がないほど
崩されているのでしょうけど
ここも八角形墳らしいとか。

欽明天皇陵へ。
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その前の吉備姫王墓の猿石を確認して。
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鬼の雪隠(せっちん)のほうへ歩きます。
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鬼の雪隠と鬼の爼(まないた)は
欽明陵の石室だと習いましたが
どうして石室だけがこんなはずれた場所に
放り出されているのでしょうか。

梅の花の向こうに天武・持統天皇陵。
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冬枯れの田んぼの向こうにも梅の花が満開。
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「里古(ふ)りて
「白梅(しらうめ)咲かぬ家はなし

はは!芭蕉のパクリですみません。
でも!あの家!民家ではなく作業小屋ですね。

裸の木々の中に
中尾山古墳の参道がつづいています。
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そうそう!中尾山古墳も八角形墳だとか。

斉明女帝の夫(というのがいいのかどうか)の
舒明天皇陵!(ここからずっと北東ですが)
牽牛子塚古墳!岩屋山古墳!天武・持統天皇陵!
それに中尾山古墳!みんな八角形墳!?

やはり!宮内庁の比定はおかしいのでは。

牽牛子塚古墳を斉明天皇陵!
中尾山古墳を文武天皇陵としたほうが
整合性が取れそうな気がシロートにはしますが。



「飛鳥 “王家の谷” を歩く」の抽選会場!?
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「高松塚古墳壁画発見50周年記念」
「近鉄あみま倶楽部アプリ連動ハイキング」
(2022/03/08 ~ 03/21)らしい。

あみま倶楽部の会員ではないので
私にはよく分かりません。
気になる方は
近鉄の H P で確認してください。

ま!私も “王家の谷” をめぐってきたので
抽選させてもらい!最下等があたりました。
あたりというより
はずれたというほうがいいのか
それでも地元の「キトラ米」300g もらいました。
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米はすぐさま食べられないので
また!いつものように
あすか夢販売所で
五平餅(税込み 150 円)を 2 本!
みそ味と醤油味を買ってランチにします。
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今日は生意気にも
よもぎあんパン(税込み 150 円)も。

ふきのとうが売られていました。
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税込み 108 円。
春です。
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