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大阪国技館 森小路遺跡 ステーキの思い出 [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市旭区の
森小路(もりしょうじ)遺跡にきましたが。
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新森中央公園に石碑が建っているだけ。

今は大阪市の背骨の上町台地が
海の中!鉛筆のように細く長く
北に向かって延びていたころ
西側はチヌの海!すなわち大阪湾。
東側は生駒山の裾まで河内湾。

河内湾は
淀川と大和川が運んできた土砂で浅くなり
淡水化が進み河内潟になったようです。
そのころの遺跡。
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潟の中ほどの島に住んでいたのでしょうか。

その後!どんどん土砂の堆積は進み
河内潟から河内平野になったのでしょう。
結果!弥生時代から奈良時代にかけての
広範囲な複合遺跡らしいのですが。



西に歩けば阪神高速道。
その下は城北川。
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大阪市の高速道は運河の上に
建造されている場合が多いのですが
ここも城北運河の上。
昭和 15 年(1940)に掘ったようですが
近年!運河から川と名称を変えています。
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南に遊歩道を進むと
「大阪大国技館跡」の説明板が。
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当時の写真がありました。
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たしかに城北運河の横だったようです。

3 階席もあったのですか。
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収容人員 25,000 人!
屋内でこの人数!
現在の体育館に比べても!すごいですね。

昭和 12 年(1937)竣工。
太平洋戦争のため!
屋根の銅板なんかを供出させられ
昭和 26 年(1951)解体。
悲しい短い歴史です。

今はまったくしのぶものはありません。



大阪メトロ(地下鉄)の
新森古市駅に着きました。

ランチして帰ります。

「ステーキのどん」だぁ!
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ま!驚くこともないですが。
なにか去来するもやもやは!
なんでしたやら。

そうそう!フォルクスです。

色気づいて
「ステーキハウス フォルクス」の某店に
通っていた(!)ことがあります。

ランチどきになると満面の笑みで
「お肉!おにく!今日も食べる~!」と
いってきていた女性がいましたが。

お目目の大きい体格のいいかの女は
「ロース」に目がなかったですね。

いや!肉好きは
いつも夜になってからきていた
少女でしたやら。

行くところも
帰りたいところもないというのが口癖。
私のところにきても
なにもおもしろいものはないでしょうに。
童顔で小さな体なのに
やること!なすこと!大胆な娘でしたか。

忘れるほど大昔のこと!
忘れています。
忘れなければ天罰がくだりそう。

いずれにしろ!昼夜(?)飽きもせず!
「フォルクス」に行っていたのですが。
仕事場からすぐ行けたのです。

ある日!突然!看板が
「ステーキのどん」に替わっていたような。

スーパーのダイエーの子会社だったのかも。
ダイエーがおかしくなり
身売りされた!だったような。
間違っているのなら!ごめんなさい。

思い出すのはやめましょう。
どんどん悲しくなります。
あのころすでに!わが人生!
ダイエー以上に変でしたね。



つらいさだめに泣きながら(でもないですが)
「ステーキのどん」で
一番安価(税込み 823 円)な
日替わり定食をいただきます。
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ハンバーグと焼いた鶏肉。
牛肉のトマト煮と。

ごはんとパンとスープは食べ放題。
サラダの食べ放題ならうれしいのですが。

スープは 2 種類ありましたが
私には塩味が強過ぎます。
なん杯も飲めません。

それでもいやしいので
パンも食べておきますか。
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もう 1 種類のスープをとってきましたが
やはり!塩気の強いこと。

これ!
食べ放題の範ちゅうに入るものやら。
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