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尼崎 大物川ありき [いわなが姫の丑の刻参り]

阪神・尼崎駅を出ると尼崎城が見えます。
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まだできたて!ほやほや。
建てられたのは 2019 年でしたね!たしか。

城の正面の郵便ポストに!なぜか
鯱瓦(しゃちがわら)がのっています。
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そこから南の小学校の横に
「尼崎城址」ときざまれた石柱があります。
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このあたりにホンモノの古い尼崎城!
別名・大物(だいもつ)城が
あったのでしょうか。

荒木村重が織田信長に攻められて
伊丹の有岡城から
家族全員を犠牲にして
自分だけ逃げてきた城かな。

ちなみに村重は大物城が危なくなると
家来たちを見殺しにして
自分だけ!今の神戸市にある
花隈(はなくま)城に脱出しています。

花隈城が落ちると
また!ひとりだけ!今の広島県の
尾道あたりに逃げていたとか。

秀吉の時代になると!いつの間にか
堺で茶の湯の宗匠をしていたそうな。

千利休らと交流があったので
秀吉とすれ違ったこともあったらしい。
でも!昔のカタキを見た秀吉は
「ははは」と笑っただけで
もう!全然相手にしなかったとか。

私も笑えます。
無学なものは!なんだかふしぎに。

今の新しい城は
家電量販で
しこたま儲けた(知らんけど!)ひとが
建設したらしい。



この城跡の東に行けば!そこから北へ
くねくねした緑地帯があります。
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大物川を埋め立てて造ったようです。
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大日本紡績発祥の地という
古い建てものがありました。
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大日本紡績の最初は
尼崎紡績という組織だったようです。

この周囲一帯が大工場地帯になって
大いに栄えたとか。

じきに大物川が
どす黒くよどむようになったとか。

よどんだ一番の原因は
工場が地下水をくみあげつづけたため
地盤沈下を起こし!
川の流れが止まったといいます。

さらに市民がその川を
ゴミ捨て場にしてしまったとか。

大日本紡績はニチボーと!
さらにユニチカと名称を変え!
そして今!
工場もなにも消えてしまいました。

川を浚渫(しゅんせつ)して
流れをとりもどす案もあったそうですが
農業用水を必要とすることも
船便もなくなり
埋め立てて公園化することにしたらしい。

だから!
橋の跡を示す石碑もいくつかあります。

蜆(しじみ)橋跡というものも。
きっと!大昔は汽水域で
立派なシジミが棲息していたのでしょう。



舞台らしいもの?!
能舞台!?
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謡曲に「船弁慶」というものがあります。
ここでときどき演じられるのでしょうか。

源義経と静御前の別れの場。
義経と弁慶が頼朝の追討を逃れて
船出をした港がここだというのですね。

この近くに義経の隠れ家跡とか
静なごりの橋跡とかあるそうです。

尼崎市は
歴史として扱いたいのでしょうか。

源義経の一番詳細な伝記という
義経記でさえ
ほぼ 100%!史実ではないそうですが。

交通機関も宿泊施設もない時代に
妻も家族も捨てて
愛妾とあちこち逃げ回りますかね。
現実的ではないでしょう。



春には桜のお花見ができそうです。
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「残念さんの墓」だとか。
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ここに祈れば願いがかなうそうです。
ただし!願いは
ひとつだけにしなければなりません。

なぜか!蒸気機関車があります。
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大物公園と表示してあります。
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先ほどまでは
大物川緑地公園だったような。

国道 2 号の下は埋め立てていません。
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稲川橋をくぐると稲川公園ですか。
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ここも船溜まりだったような景色です。



国道に出て西に歩けば
尼崎駅にショートカットしてもどれます。

あ!?
各種定食が
税込み 600 円からある店舗があります。
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「食事と珈琲の店 ナダ」ですか。

なんと!日替わり定食なら
580 円ですと!?

それ!それだ!内容も確認しないで注文。
大丈夫!
由緒正しい貧乏人はなんでも食べますぞ。
嫌いなものでも食べてしまう
鋼鉄の胃袋を所持しています。

この日は焼きそばとコロッケでした。
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小皿は蓮根の金平です。
ふりかけはいくつか
かけたい放題でした。
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