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南海・平野線 田辺駅跡発見!涙はてなく [わが街・下駄ばきドドンパ]

大阪メトロ(地下鉄)の田辺駅から
高架の阪神高速道の下を南東に行けば
喫茶「サンレモン」があります。
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先日!(拙ブログ 2023/03/10
南海・平野線の
廃線跡を探索していたとき
店舗の壁際に無造作に置かれていた
古いボードが気になっていたのですが。
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今朝は多少時間にゆとりがあるので
入店してみました。

店内に!古い標識と
色褪せた写真が数葉!
他の掲示ものに混じってありました。
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平野線のものでした。

これが昭和 52 年(1977)の
田辺停留場の写真ですか。
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ホームは
この喫茶店の真横にあったそうな。
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(画像の中心がサンレモンです)

些細なことですが
駅舎(?)に
田辺駅と書かれているような。
田辺停留場ではないのでしょうか。
それとも!どちらの名称も
使われていたのでしょうか。

今も残るボードは
「天王寺駅前」「恵美須町」!
北に行く案内ですね。

「平野」始発の電車が
「天王寺駅前」に行くには
「阿倍野」(現存)から
南海・上町線(現 阪堺電軌 上町線)に
合流していたようです。

「恵美須町」に行くには
上町線を横切って進み
「今池」(現存)から
南海・阪堺線(現 阪堺電軌 阪堺線)に
入っていたようです。

ちなみに法的な
線路の名称はどうか知りませんが
現況の客を乗せた電車の呼び名は
恵美須町・浜寺駅前間が阪堺線。
天王寺駅前・住吉間が上町線。

もっとも最近まで
「住吉」のひとつ先の
「住吉公園」までが
上町線だったようですが
「住吉公園」停留場は
廃止されてしまいました!線路とともに。
拙ブログ 2016/01/31

当時はそれに平野線といわれる
恵美須町・平野間と
天王寺駅前・平野間の
ダイヤがあったようです。



あるご老体は
家を出て電車を 2 度乗り継いで
「天王寺駅前」から上町線に乗り
働きに行っていたそうな。

小学校 3 年のときから!ずっと。
学校が休みのときにはもちろん!
ときには休んで。
どんな仕事があったのでしょう。

母親から片道の運賃をもらって行き
帰路は日当と
帰りの運賃をもらっていたとか。

母親と義理の父親が
身を粉にして働いても極貧で
下にきょうだいは多く
年端も行かない姉と自分の
ささやかな日当も家計費にして
冬はおでんやの残りもんを買い
夏は安売りの佃煮で
ごはんを食べていたそうな。

ちなみに!結婚したとき
奥さんがみそ汁を作り
カボチャを煮たので!
このひとは一流天才シェフかと
感激!雨あられ。

奥さんに聞いたら
「みそを湯に溶いただけやけど」!

あるとき!いつものように
「天王寺駅前」から乗ったら
電車は「阿倍野」で左に曲がったのです。

まっすぐ行く電車に
乗らねばならなかったのに。
教えてもらっていなかったのですね。

知らない停留場!
すなわち「平野」まで行って
途方に暮れたとか。
泣いたとか。

片道の運賃しか持っていません。
小学校低学年で!
でんわもなければ!
かけることも知りません。

ん十年経ったとき
笑ってはなされていましたが
私のような
心やさしいものは(ホントーです)
聞いただけで泣けますね。



そのご老体はたいてい道頓堀あたりで
クロート(?)のね~ちゃんの尻を追い!
好みは細い足の女性らしく!
突撃して!たいてい玉砕して!
それでも!楽しそうに暮らしていましたね。
うらみつらみは
まったく!いいませんでしたが。

鬼籍に入ったのは!もうひと昔前。

そんなことを思い出しながら
「サンレモン」で
「モーニング」をいただきます。
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厚切りのトーストです。
税込み 300 円。

今さらながら
泣きながら食べている
南海・平野線跡の朝です。
タグ:廃線
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