河童と胡瓜 [お命!いただきます]
暑い!
幼いこどもらが
庭先のビニール製のプールで遊んでいるのを見ると
うらやましくなりますね。
河童(かっぱ)になりたい。
なんて非生産性なことばかりつぶやいて
ひと籠いっぱい 100 円の曲がり胡瓜を求めてきて
生味噌をつけてかじります。
最近!生味噌がおいしい。
変なの。
豚足でも生キャベツでもゆで鶏でも
生味噌をつけています。
川島四郎(1895 ~ 1986)元・帝国陸軍少将が
兵隊の嗜好調査したところ
1 位なのがこの「胡瓜に生味噌」だったそうですよ。
(川島四郎著/たべもの心得帖)
古いはなしですみません。
ところで
河童はどうして胡瓜なんでしょうかね。
胡瓜が好きなんでしょうかね。
いつの時代から
「河童に胡瓜」が定着したんでしょうか。
柳田國男(1875 ~ 1962)の遠野物語にも
河童(川童と書いてありますが)は出てきます。
が!胡瓜にはまったく触れていませんが。
遠野物語だけではなく
全国の民話によく出てくる河童。
可哀そうに決まって悪ものとして登場!です。
寂しい片田舎ばかりのことじゃなく都会にも
つい最近!といっても 1781 年のことですが
江戸は伊達藩の蔵屋敷の前の堀で
河童を撃ち殺し!塩漬けにしています。
根岸鎮衛(1737 ~ 1815)という奉行が
著書・耳嚢に書き残しています。
悪ものというより
一般的に妖怪として扱われているのかな。
鬼と天狗と並んで日本 3 妖怪では。
胡瓜は貝原益軒著/大和本草(1708 年ごろ)に
もっとも下級な瓜と書かれています。
胡瓜が渡来したのはいつごろでしょうか。
仁徳朝期から平安時代の初期までの諸説があるようで
私には判断ができませんが
少なくとも江戸時代中期までは
一般的な食品ではなかったのかも。
浄土真宗本願寺派の 22 世宗主の
大谷光瑞(1876 ~ 1948)が著書・食に
胡瓜について述べています。
瓜類の中で胡瓜が第一。
ただし!日本のはだめ。
自分はロシア種を植えている。
生食は英国産がよい。
というような趣旨のことを
たぶん!大正のころ(20 世紀の頭)に書いています。
胡瓜は明治になって(1868 年~)
モーレツに品種改良が進んでいるようですが
それでもまだ世界に比べて劣っていたのでしょうか。
胡瓜の原産はインド北西・ヒマラヤ山麓だとか。
ちょっと今!思い出せないのですが
原種を食べたら苦味のかたまりだったと
だれかがいっていたような。
今でもつるのついているところが
苦い胡瓜があります。
先祖の特質を受け継いでいるのでしょう。
昔の胡瓜は品質が安定せず
全身苦い瓜もできていたのかも。
青木恵一郎著/さくもつ紳士録によると
苦味があり
病虫害を受けやすく
色変わりや変形のものが出る
が胡瓜の特徴らしいです。
さらに!とげとげのいぼがあるし
とても人間の食物じゃない!
これは妖怪の河童の食いもの、、、!
となったというのは私の思いつきですが。
余談ながら
ヒマラヤから東に渡った種にはいぼがあり
西に流れた種にはいぼがないのじゃないでしょうか。
大谷光瑞がほめる英国の胡瓜はいぼなし!?
檀一雄が新京(今の長春か)郊外のロシア人の台所で
盗み食いしながら見た胡瓜はいぼあり?!
檀一雄が貧乏ロシア人の台所に住んでいたのは
昭和の初めごろでしょうか。(檀一雄著/美味放浪記)
妖怪の河童のように生食ばかりにも飽きたので
清朝の宮廷料理でも作りましょう。
「糖醋黄瓜」という料理が
愛新覚羅浩著/食在宮廷にあります。
胡麻油で胡瓜と山椒の実を炒めて
砂糖と醤油で調味するだけのレシピですが。
冷蔵庫に山椒の青実を
醤油と砂糖で煮詰めたものがありました。
私は胡瓜を炒めてこの佃煮を混ぜましょう。
河童からエンペラーへ出世?!
今夜はいい気なものです。
久しぶりにスコッチといきましょう。
自分では買えないけどあるのです。
到来もののジョニーウォーカー(赤)が。
(敬称略)
幼いこどもらが
庭先のビニール製のプールで遊んでいるのを見ると
うらやましくなりますね。
河童(かっぱ)になりたい。
なんて非生産性なことばかりつぶやいて
ひと籠いっぱい 100 円の曲がり胡瓜を求めてきて
生味噌をつけてかじります。
最近!生味噌がおいしい。
変なの。
豚足でも生キャベツでもゆで鶏でも
生味噌をつけています。
川島四郎(1895 ~ 1986)元・帝国陸軍少将が
兵隊の嗜好調査したところ
1 位なのがこの「胡瓜に生味噌」だったそうですよ。
(川島四郎著/たべもの心得帖)
古いはなしですみません。
ところで
河童はどうして胡瓜なんでしょうかね。
胡瓜が好きなんでしょうかね。
いつの時代から
「河童に胡瓜」が定着したんでしょうか。
柳田國男(1875 ~ 1962)の遠野物語にも
河童(川童と書いてありますが)は出てきます。
が!胡瓜にはまったく触れていませんが。
遠野物語だけではなく
全国の民話によく出てくる河童。
可哀そうに決まって悪ものとして登場!です。
寂しい片田舎ばかりのことじゃなく都会にも
つい最近!といっても 1781 年のことですが
江戸は伊達藩の蔵屋敷の前の堀で
河童を撃ち殺し!塩漬けにしています。
根岸鎮衛(1737 ~ 1815)という奉行が
著書・耳嚢に書き残しています。
悪ものというより
一般的に妖怪として扱われているのかな。
鬼と天狗と並んで日本 3 妖怪では。
胡瓜は貝原益軒著/大和本草(1708 年ごろ)に
もっとも下級な瓜と書かれています。
胡瓜が渡来したのはいつごろでしょうか。
仁徳朝期から平安時代の初期までの諸説があるようで
私には判断ができませんが
少なくとも江戸時代中期までは
一般的な食品ではなかったのかも。
浄土真宗本願寺派の 22 世宗主の
大谷光瑞(1876 ~ 1948)が著書・食に
胡瓜について述べています。
瓜類の中で胡瓜が第一。
ただし!日本のはだめ。
自分はロシア種を植えている。
生食は英国産がよい。
というような趣旨のことを
たぶん!大正のころ(20 世紀の頭)に書いています。
胡瓜は明治になって(1868 年~)
モーレツに品種改良が進んでいるようですが
それでもまだ世界に比べて劣っていたのでしょうか。
胡瓜の原産はインド北西・ヒマラヤ山麓だとか。
ちょっと今!思い出せないのですが
原種を食べたら苦味のかたまりだったと
だれかがいっていたような。
今でもつるのついているところが
苦い胡瓜があります。
先祖の特質を受け継いでいるのでしょう。
昔の胡瓜は品質が安定せず
全身苦い瓜もできていたのかも。
青木恵一郎著/さくもつ紳士録によると
苦味があり
病虫害を受けやすく
色変わりや変形のものが出る
が胡瓜の特徴らしいです。
さらに!とげとげのいぼがあるし
とても人間の食物じゃない!
これは妖怪の河童の食いもの、、、!
となったというのは私の思いつきですが。
余談ながら
ヒマラヤから東に渡った種にはいぼがあり
西に流れた種にはいぼがないのじゃないでしょうか。
大谷光瑞がほめる英国の胡瓜はいぼなし!?
檀一雄が新京(今の長春か)郊外のロシア人の台所で
盗み食いしながら見た胡瓜はいぼあり?!
檀一雄が貧乏ロシア人の台所に住んでいたのは
昭和の初めごろでしょうか。(檀一雄著/美味放浪記)
妖怪の河童のように生食ばかりにも飽きたので
清朝の宮廷料理でも作りましょう。
「糖醋黄瓜」という料理が
愛新覚羅浩著/食在宮廷にあります。
胡麻油で胡瓜と山椒の実を炒めて
砂糖と醤油で調味するだけのレシピですが。
冷蔵庫に山椒の青実を
醤油と砂糖で煮詰めたものがありました。
私は胡瓜を炒めてこの佃煮を混ぜましょう。
河童からエンペラーへ出世?!
今夜はいい気なものです。
久しぶりにスコッチといきましょう。
自分では買えないけどあるのです。
到来もののジョニーウォーカー(赤)が。
(敬称略)