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冬の応神天皇陵 [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・古市駅(大阪市羽曳野市)前の
白鳥(しらとり)神社。
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日本武尊(やまとたける=倭建)を
祀(まつ)っているのですか。

日本武尊は鈴鹿山脈の麓(ふもと)で死に
魂が白鳥に化身
あちこちに飛んで行っては降りて!
また飛んで行って!降りた伝承地はかずかず。

古事記ではここ河内の志幾(しき)が
最終地になっているのかも知れません。
すぐ近くに宮内庁が治定した「白鳥陵」があります。



誉田(こんだ)八幡宮に向かいます。
祭神は応神天皇だそうです。
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放生橋。
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秋の祭礼時にはこの橋を神輿(みこし)が渡るとか。

渡ったところが
誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳
つまり応神天皇陵なんですね。

地元の藤井寺市や羽曳野市の有識者に聞くと
千年前から「応神陵」だといわれているそうな。

これはすごいことじゃないですか。

最近まで多くの天皇陵は
比定されていなかったのですよね。
早いはなし!
どこにどの天皇陵があるのか紛れてしまい
だれも無関心だったのですね。

それが政治的に
「文久の修陵(1863 ~ 1865)」ということになって
その時点で無理やり
治定してしまったところが大半のようです。
たぶん!間違えているところばかりでしょう。

が!この陵を少なくとも千年前から
地元では応神天皇陵だと呼んできたのです。

それに!ほんのこの前まで
古墳の頂上まで神輿が上っていたとも。

いつのころか
宮内庁が民の習慣を制限し
立ち入り禁止にしてしまったのですね。



応神天皇陵は大きい。

堺市の
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)にはおよばないものの
それでも全長 420m !

てくてく歩いて前方部に回ります。
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大き過ぎて!全体像なんて分かりゃしません。

井上光貞は
「実在が確かめられる最初の天皇」といって
世間を驚かせたそうですが
それはともかく!それまで(14 代まで)の雰囲気と
違うことはたしかです。

14 代仲哀天皇が没して
(日本書紀では)69 年間!天皇不在ですよ。
神功皇后が摂政していますが。

それで唐突に 15 代応神天皇即位です。
ひょっとして応神天皇がひとつの皇統の初代では?!

離れた古室山古墳から
ぼんやりかすむ応神天皇陵を見ながら
遠い日の幻を追います。
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寒いだけですね。

余談ですが
この古室山古墳には大きな柿の木だらけ。



とぼとぼ歩けば
道明寺粉で有名な道明寺。
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石庭に梵字(ぼんじ)が。
あ!梵字じゃありませんね!漢字でした。

道明寺天満宮へ。

春遠い梅園。
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冬枯れの薄墨色。
なにか!私の身と心が
異空間に漂っているよう。
不思議な気分にさせられます。

ん!?
空には毛細血管?!
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色のない毛細血管!
血管に瘤(りゅう)が!?
病んでいるようにぽつぽつと。
おぞましい!

瘤と思ったのはなん羽ものドバトでした。

このムクロジの大木は
「おじいさんの木」と命名されていました。



近鉄・道明寺駅前に
「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」が
建てられていました。
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「大坂夏の陣」から 400 年目なんですね。



(敬称略)
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きざみわさびごはん [もっそうライス]

「きざみわさび!おいしそうですよ」

今度の外食で使ったらどうかという提言あり。

外食といっても
外の公道で食べる食事ですけどね。
憐憫(れんびん)や侮蔑(ぶべつ)のまなざしに
さらされる食事ですけどね。

試してみますか!暇ですので。

これ!?
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いくつかあるらしいのですが
近くの店頭にはこれしかありませんでした。



とりあえず!ごはんにのせて食べます。

ごはんにバター!青ネギ!醤油!きざみわさび。
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おいしいですが。

ゆでたまご。
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これもきざみわさびと醤油で。
以下!だいたい同様。

エビフライ!
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鶏肉から揚げ。
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わさびにはマグロ(鮪)ですね!やっぱり。
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魚には牛肉も。
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予算の関係からおでん用のすじ肉ですが。

かつおぶしと粉チーズもいってみますか。
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ヨーグルトと納豆と青ネギを混ぜて。
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これは、、、?!
よいこはマネしなくてもいいです。
納豆臭さは消えていますが。

醤油ばかり振っていましたが味噌じゃどうかな。
生味噌にわさびを練り込んで!胡瓜を和えたら。
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おいしいじゃないの!味噌好きには。

なんか貧寒ですね!いつものことながら。

あと!冷蔵庫にはアボカドと柴漬けならありますが。



マヨネーズもいいんじゃないでしょうか。

マヨネーズと醤油ときざみわさび。
オイルサーディンにのせて。
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おいしい。

あ!もっと脂ぎったものに!?

すき焼きを生卵の代わりにマヨネーズわさびでは?!
そんなゲリラの宴なんかどうかな。



脂ぎったものといえば
「豚トロ」か「ウナギ(鰻)」が浮かびます。
それで!少し試してみますか。

自称・高級割烹に端切れでももらいに。

お!
客がだれもいません。

“暇ですかぁ”

「なんや!?」

怖い顔をしていますね。
動物的な臭覚で
カネにならんヤツだと見破っていますね。

気が小さいのに顔は怖い。
攻撃どきにはエラそうですが
受け身に回るとすぐ腰砕けになります。

ここはこちらから攻勢に出ないと。

“豚トロとウナギ!”

「豚トロとウナギ~っ?!」

“ちょうだい!”

「あるかぁ!」

“端っこでいいから”

「ない!」

今日はいつになく強く受けますね。

“あ!そ!おじゃましました”

「お~い!」
「うそじゃないんや」
「ホントにないんや!今日は」
「ごめんなぁ」

おじさんの弱気な声が
追いかけてくる宵の口でした。
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舒明天皇の初葬墓ではない?! [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・岡寺駅近くに大きな
モヒカン刈りの古墳があります。
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たぶん!勝手に生い茂っていた木々を
裾の方は払った結果でしょうけど。

大き過ぎて全体像はよく分かりませんが
前方後円墳の丸い方が見えているらしい。

昔からその大きな丸い部分が際立っていたようで
呼び名はそのまま丸山古墳。
宮内庁は(40 代)天武天皇と
(41 代)持統天皇の陵墓候補地にあげていますが。

世間は(29 代)欽明天皇か
その時代の大もの!
蘇我稲目じゃないかといっています。
蘇我一族の本拠地があったとされる
甘樫丘(あまかしのおか)の近くですから。



東に行けば菖蒲池古墳。
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精巧な家形石棺がのぞけます。
大王クラスの墳墓でしょう。
これも蘇我稲目かその一族が葬られていると
うわさされていますが。



菖蒲池古墳の隣の
奈良県立明日香養護学校の敷地で
奈良県立橿原考古学研究所の
発掘の現地説明会がありました。(2015/01/18)

10 時からの予定でしたが
9 時前に入場が早まりました。
岡寺駅からアリの行進のごとく
人が押し寄せてきているらしい。

考古学が好きなんですね!日本人は。
他人も私をそう卑下しているでしょうけど。あは。

150 人ずつ発掘現場に入れてくれましたが。
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もちろん!私は図々しくも最初の組で入りました。
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石が敷かれた「掘割」らしい。
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飛鳥地域では最大の方墳と推察されています。
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無学な目から見ると
墳墓というより
庭園の一部としか見えないのですが!すみません。



狭い足場上に人が殺到するものですから
ゆっくり見られません。

写真を少し撮って!早々に退散。
その画像が!ああ。
昨日(2015/01/17)明石海峡大橋で
夕焼けを撮ったときの設定に
ダイアルが回っていました。

上掲のように赤い(?)現場ではありませんから。



「方墳」といえば
横の菖蒲池古墳と同じですね!
日本書紀でいう
蘇我蝦夷(えみし)入鹿(いるか)親子の
「双墓(ならびはか)」かも。

他に(35 代・37 代)斉明(皇極)天皇の
名前も出ていました。

でも流れは(34 代)舒明(じょめい)天皇の
初葬墓ですね。

今!舒明天皇陵は桜井市忍坂(おっさか)にあります。
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崩御した翌々年に
「押坂内陵」に改葬したという日本書紀の記述通りに。
最初どこかに埋葬していたのでしょう。
その初葬墓がこれだという説で
現場のシロート・クロートの大半が
口角泡を飛ばしていました。

私のいい加減な推察では。

① 庭園の池
② 蘇我蝦夷の墳墓
③ 舒明天皇の初葬墓
④ 斉明天皇陵

賛同者は少なし。はは。



628 年!(33 代)推古天皇が没した後
実力者・蘇我蝦夷は聖徳太子の子の
山背大兄(やましろのおおえ)皇子をしりぞけて
田村皇子を立てて舒明天皇にしました。

舒明天皇が亡くなっても
やっぱり!山背大兄皇子にはゆずらず
舒明天皇の皇后を立てて
皇極天皇にしてしまいました。

山背大兄皇子は蝦夷にとっては甥なんですがね。
なぜなんでしょうね。

後に日本書紀では
蘇我蝦夷を極悪非道に仕立てています。
創作と思われかねないほどたくさん書いています。

他の悪人(?)はばっさり斬り捨てておしまいなのに
行状をこと細かに書き連ねるとは
なぜなんでしょうね。

乙巳(いっし)の変・大化の改新も変です。

蘇我蝦夷・入鹿親子がいなかったら
父母の舒明・皇極天皇の即位はなかったのに
中大兄(なかのおおえ)皇子は
恩人の親子を殺害したのです。

日本書紀ではその言い訳や
大義名分を一所懸命作ろうとしていませんか。



万葉集の 2 番目に舒明天皇の歌があります。

  大和(やまと)には
  群山(むらやま)あれど とりよろふ
  天(あめ)の香具山 登り立ち
  国見をすれば
  国原は 煙立ち立つ
  海原は 鴎(かまめ)立ち立つ
  うまし国ぞ あきづしま 大和の国は
    (現代表記/佐佐木信綱)

香久山からのぞめば
平原には民のかまどがにぎわっているようだ
海原にはカモメが飛んで豊かな国だわい
とでもいっているのでしょうか。
きわめて観念的で分かりにくい歌ですが。

国原の煙はなんとか想像できますが
海原にカモメが飛んでいるだけで
どうして「うまし国」なんですか。

だいたい!香久山から海が見えますか。
なんの比喩なんでしょう。

また「とりよろふ」とはなんですか。
万葉仮名を見れば「取與呂布」!

「鳥が寄っていた」のでしょうか。



甘樫丘が南に延びた端に
菖蒲池古墳と
今回発見された方墳(?)がありますね。
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飛鳥川沿いです。
当時には湿地や沼地も多く!
海のように見えたのかも。
冬にはその川に
ユリカモメでも飛んできていたのやら。



なんて幻を追いましたが
まだ!舒明天皇の初葬墓と
決まった訳じゃありませんでしたね。

(敬称略)
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野島断層 20年目の寂しさ [野道!山道!恋はけもの道!]

冬の「あわじ花さじき」です。
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甲子園球場の 4 倍ばかりの面積の丘です。
兵庫県が
明石海峡大橋の開通(1998/04)に
合わせて造った公園らしい。

冬は頂上付近のこのあたりだけ咲いていました。



淡路島を北の端の岩屋港から
とぼとぼと南下したのですが
静かですね。

雑木林の中に
「売り不動産」の看板が色褪せたりしています。
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貸農園らしきもの。
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ニワトリの農場の跡かな。
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たぶん!明石海峡大橋でつながれば
「ヒト」が押しかけてくると踏んだのでしょうね。

思惑はことごとくはずれて
冬の風が冷たい。

「あわじ花さじき」のそばの牧場では
「牛」さんたちが呼んだら走ってきましたが。
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これまた静かな「北淡自然休養村センター」!
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淡路市が運営しているのでしょうか。
寂しいのは季節のせいばかりでもないような。



この日(2015/01/17)は
阪神・淡路大震災から 20 年目。

淡路島でも犠牲者がたくさん出ています。

でも!
こちらではこれといった慰霊祭を聞きませんね。

神戸市は朝から大変!てんてこ舞いの様子。
淡路島のなん百倍もの人が
犠牲になっているからでしょう。

しかしね!
なん万人といっしょに殺されても
たったひとりで死んでも
その個々の悲しさや
命の重さは変わらないと私は思うのですが。

多数なら丁重に慰霊して
少数なら犬死に扱いですか。



大きな風力発電の風車が回っています。
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北淡震災記念公園。
だれが運営している公園なのか
表には顔が出ていませんが。

「野島断層保存館」があります。

平成 7 年(1995) 1 月 17 日に発生した
M7.3 の「兵庫県南部地震」によって
野島断層が 10km にわたって大きくずれ
それが「阪神・淡路大震災」を引き起こしたのですね。

その断層のずれをそのまま保存しています。
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人間の「おごり」なんて
地球がため息ひとつつけば
吹っ飛ぶほど軽いものですね。



明石海峡大橋までバスで帰ってきました。
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夕陽が沈みます。

1995 年の大震災。
その 3 年後の大橋開通。

暗い世相を吹き飛ばして
淡路島はバラ色の夢に酔ったのかも。

しかし!はかないものですね。
淡路島は便利になったため
通過点でしかなくなったのでしょうか。

今回!北淡を少し歩いただけですが
なにか!
私と同じ匂いのする寂寥感を感じて
夕陽に立ち尽くしてしまいました。
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中華あんかけごはん!? [食い意地]

持ち帰り弁当店。
表に大きく「中華あんかけご飯」とあります。

元気のない日がつづきます。
これでも食べて寝ましょうか。

以下!面白くも!なんにもないはなしですので
お急ぎの方はご注意願います。



宵の口 7 時 13 分。

支払いしたら
91 番の紙を渡されました。

できあがりを待つ数人の男女。
それぞれに関係はないようです。
みな一様にスマホかなにか知りませんが
手元の液晶ディスプレイに一心不乱。

すごく画面に集中していますね。
夜にたくさん連絡したり
仕事をしなければならないのでしょうか。
働きものばかりですね。

次々に呼ばれて
88 番が出て行くと
残っているのは私と青年ひとり。

え!?
89 90 91 とすれば 3 人いなければ?!

ま!
この青年が 89 90 と 2 枚所持しているのかも。

「92 番でお待ちの方」
店のおね~さんのコール。

88 からいきなり私を飛ばして 92 ?!
その 92 がもうひとりの客!

91 番ひとり残されました。

寂しくひとり。
89 90 番は存在さえ分かりません。



7 時 25 分。

女性がはいってきました。
身長は可愛らしいのですが
体重と年令は
にくたらしいほどありそうなふたり。
双子のようにそっくりな体形ですが
顔のしわは倍くらい数が違います。

間髪入れず
「ステーキ弁当!ごはん大盛り!」と若い方。

老けている方は 30 秒ばかり呻吟(しんぎん)して

「ステーキ弁当!ごはん大盛り!」

考えても考えなくても
行き着く青山(せいざん)は同じ。
ふたりはおなじ体質の!いや!さだめの赤い糸。

「番号 95 96 でお待ちください」

え?!
93 94 飛び越えて、、、?!
それに 89 90 はどうなったのよ~!
依然!未解決のまま。



それにしても!なん分待てばいいの?!

ボンカレーは「3 分間待つのだぞ」でしたか。
チキンラーメンも 3 分?!

たしかチキンラーメンの創案者・安藤百福は
「なん分の製品でもできる!」といっていたような。
麺の形状で調整できるのかも。

でも!調理時間だけが重要ともかぎりません。

1 分で調理ができるけど
完食に 10 分かかるようなものなら
食べているうちに端から劣化
つまり冷めたり!ノビたりして!
悲しい食品になるでしょう。

調理時間とその後の食事時間のバランスを考えたら
「3 分間待つのだぞ」が許容値かも。

私は弁当の冷たさはいとわないので
スーパーの店頭の弁当でもいいのですが。

コンビニの弁当でも
あたためなくても食べられるものは
そのまま買って帰りますが。

この店に思慮もなく飛び込んだ自分に
情けなさが込みあげてきます。



7 時 30 分。
やっと!できましたか。
これは遅い仕上がりなのですか。
フツーなのですか。
まさか早いことはないとは思うのですが。



これが「中華あんかけご飯」?!
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ごはんと惣菜の八宝菜みたいなものが別容器に。

表にある写真と見た目が違いますが。
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ふたつ合体させれば
大阪では中華丼といわれるものでは。

大昔!
オフィス街のビル群の中に埋没していた中華料理店。
ゴキブリとドブネズミが
いつも愛想をふりまいていましたが。
残業の合い間に中華丼をかきこみました。
白菜の硬いところばかりがはいっている超安価な丼が
とてもおいしく感じた少しは純なころ。

思い出しますねぇ。
これを見て思い出して!ごめんなさい。

菊池寛(1888 ~ 1948)は
東京で初めて親子丼を食べたとか。

「うまい!」
心とろけて!毎日でも食べたかったそうです。

私のそれが
中華丼だったのかも知れません。



フツーにおいしい「中華あんかけご飯」でしたが。
でも!
「中華丼」との違いはなんですか。
そもそも「中華丼」の定義さえ理解していませんでしたね。

それに!あの欠番!?
分かりません。
案外!単純な事由なんでしょうか。



(敬称略)
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