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キャベツのチキンラーメン炒め [だまって食え!]

安藤百福(1910 ~ 2007)は
96 歳のとき
長寿の秘訣は
「ゴルフとチキンラーメン」だと
書いています。(安藤百福著/食欲礼賛)

チキンラーメンは半世紀
毎日欠かさず食べているそうな。

そりゃ!自分で発明した
インスタントラーメンですからね。
どこから見てもいいものでしょうけど。

先日!新大阪駅構内のチキラーハウスで買った
「チキ弁」をいただきましたが
拙ブログ 2015/05/09
そんなに健康にいいのなら
炊き立てのごはんに混ぜてみましょうか。
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青ネギもいっしょに。

湯をそそいだだけの
チキンラーメンの吸いものと。

おいしいじゃないですか。



キャベツの素炒めをよく食べます。
オリーブ油かなにか植物性の油で
炒めただけのものが好きなんですが。

かつおぶしをトッピングするときもありますが
醤油やウスターソースやポン酢や
市販のドレッシングなんか手近にあるものを
ふって食べます。

チキンラーメンを砕いて混ぜてみたら。
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おいしいじゃないですか。



ついでにいいますが
キャベツ!高い!

これはわが家の周囲だけですか。

自転車でちょっと走って
「安売り」を叫んでいる
「スーパー玉出」まで行きましたよ。

特価です。
1 玉 500 円!?

なんという高価な!
やっぱり高かったです。
大阪中高いのでしょうか。

刺し身の皿にも
トンカツの皿にも
なんでもかんでもキャベツを敷いている
知り合いじゃないけど!
ちょっとだけ知っている
自称・高級割烹の居酒屋は
どうしているのでしょう。

ま!強いて知りたくもないですが。



(敬称略)
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三輪山と妻問婚 [いわなが姫の丑の刻参り]

山の辺の道。
奈良県桜井市と天理市の境界あたり。
額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌の碑。
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反歌は

三輪山をしかもかくすか雲だにも
  心あらなむかくさふべしや

これが最後に見る三輪山かも知れないのに
雲が隠してしまうという
寂しい気持ちをあらわした歌でしょうか。

ここを通るとき
なぜか写真を撮ってしまいます。
わがアーカイブにはここの画像だらけです。
今回は初めて撮るおね~さんですが
やがてみなさんのように
遠い思い出の人になるでしょう。



今日の三輪山は晴れています。

古事記に
三輪山の名前の由来がありますが。

イクタマヨリヒメという麗しい娘のもとに
深夜美しい青年がやってきました。
だいたい!こんな場合の美男美女は
恋に落ちますな。
このときにも落ちたそうです。
あたりまえ過ぎて面白くないですが。

毎晩逢瀬を重ねると
やがて身ごもってしまいます。
親にしてみれば油断も隙もあったもんじゃない!

その男はいったいなにものなのか。
麻糸の先に針をつけておき
男の着物の裾に刺したのです。

翌朝!麻糸を追えば
かぎ穴を通って外に出ています。
糸は山の神社につづいていました。

神さまだったのですね。
用意していた麻糸は三勾(みわ)
すなわち三巻だけ残っていたそうな。

それでこの土地を「みわ」
漢字で美和とか三輪と書いたそうな。

四巻残っていたら四輪山となっていたかも。
近世になって自動車メーカーの聖地に
祀(まつ)りあげられていたかも。



日本書紀では
美男子が通ってくる美少女は
ヤマトトトヒモモソヒメですが。

姫はあるときイケメンの昼の姿を見たのですね。
蛇でした。
三輪山の神が
昼間は小さな蛇に化身していたのでした。

ついでにいえば
ヤマトトトヒモモソヒメは嘆いて
箸で陰処(ほと)を突いて亡くなります。
知りませんよ!なぜだ!?と聞かれても。
突いて死んだんだから死んだのでしょう。

亡骸を葬ったところが
三輪山の麓の箸墓(はしはか)古墳です。
拙ブログ 2012/05/12

古事記のイクタマヨリヒメの恋人も
蛇に化身して動いていたのかも。
かぎ穴から出入りしていますからね。



大昔から
神さまやら高貴な人は
男が女の家に忍び込む
妻問婚(つまどいこん)なんでしょうか。

しもじもの
夜這い(よばい)とどう違うのでしょうか。

妻問婚は結婚で
夜這いは犯罪のような気もしますが。

でも!勝手なもので
好みでない男がきたら犯罪!
いい男がきたら恋だというのでしょうねぇ。



妻問婚とはいえ
夜這いとはいえ
枕草子や源氏物語に接すると
いきなり少女の家に忍び込んで
押さえつけるというものでもないようですね。

この辺の仕組みを
まったく教えませんね!日本の教育は。
なっとらん!
「通い婚だといったら!通い婚だ!」なんて
大昔によく分からんから質問しているのに
叱られたりしました。

ていねいに応接しないと
グレるよ!私のような小心ものの若ものは。



情報交換があるのかな!初めは。

公達(きんだち)にも
お姫さまにも家族や親戚や取り巻きがいます。

「うちのお姫さまはきれいですよ」とか
「どこぞに麗しい姫君はいないでしょうか」とか
年ごろといううわさをふりまき
なにか引っかかったら!歌を作って
今ごろなら橘(たちばな)の花の枝にでも刺して
持って行かせることから始まるのでは。

すると向こうから歌のお返しがきます。

なん度かやり取りして
いい感じ!機が熟したら
いざ鎌倉と
深夜くるまを出してぞろぞろと行くのでしょうか。

もちろん!
器量はよくても頭の中は空っぽの公達も
お勉強はできるのですが詩心は欠如していて
歌を作れないお姫さまも。

取り巻きは阿呆では務まりません。

ご主人に代わって
ウィットに富んだしゃれた歌を
即座に作らねばなりません!たぶん。

悪筆もよくありません。
代筆もしなければならんでしょうなぁ。



余談ですが
今日(2015/05/15)は葵祭です。

蜻蛉日記(かげろふのにっき)の作者
え~と!名が伝わっていないので分かりませんので
仮に「蜻蛉さん」としてはなしますが
その蜻蛉が葵祭の見物にくるまで行きます。

早くから行って場所取りをするのだそうです。

ひょいと向こうを見れば
時姫のくるまがあります。

時姫も蜻蛉も藤原兼家(929 ~ 990)の妻ですが
時姫は後の関白太政大臣
わが世の春を謳歌した幸運児・道長の母ですから
兼家の多くの妻の中でも唯一名前が残っていますが。

長時間待ちくたびれて
作歌の得意な蜻蛉は
たぶん!いたずら心から
五七五と一首の半分を書いて
時姫に届けさせます。

さぁ!大変。
歌詠みの名手から上の句がきました。
時姫はたぶん
自分が第一夫人と自覚していたでしょうから
退く訳にはいきません。

時姫側の女房どもが
額を集めて練りに練ったものの
長時間かかったそうです。
それでも恥ずかしくない下の句を返したそうな。

宮仕えは今も昔も大変なんですね。



閑話休題。
通い婚にもどります。

無事に仲よくなったら夜だけせっせと通います。

こどもができます。

そのこどもの養育も
通ってくる婿殿の面倒も
かの女の親がみなければなりません。

婿殿の猟官運動の費用さえ負担するようです。

それが妻問婚かな。



ん?!
お姫さまの父親も通ってきて
かの女が生まれたのでは。

ということは
お姫さまの父親はよその家の人では。

なぜ!
娘が年ごろになったころ
その家にいるの?!

やっぱり!こういうことは
義務教育か
高校時代に
きちんと教えてもらいたかったものです。

そうすれば
拗(す)ねてグレない
健全な精神の国民が増えると思うのですが。
タグ:古事記
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イケア鶴浜から大正内港へ [朝食 モーニングサービス]

最近!父娘で社長のイスを争っていた
家具の販売会社もありましたが
私は家具には興味もないし
おそらく買うこともないので
家具店なんて遠い世界のことなんですが
なりゆきで
イケア鶴浜店のレストランで
朝食を食べることに。あは。

以前!
ザリガニパーティなんかで(拙ブログ 2010/08/30
きたこともあるのですが
そのときには
佃煮にするほど人があふれていたのですが
平日の朝は閑散としていますね。
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勝手が分かりません。
「ブレックファスト」というセットがあるのですか。
それをください。
え!
自分でセットするんですか?!
分からないことばかりなのに!気が滅入りますね。

ま!こんなぐあい。
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ゆでたまご!ハム!クロワッサン!ジャム!
ヨーグルト!ぶどう!
りんごジュース!コーヒー!
税込み 299 円だったような。
安いから!ま!しんぼうしますか。



大阪湾は江戸時代から干拓されていて
今の大阪市の
西半分は海の上なんでしょうけど
このあたり!大正区鶴町あたりは
比較的最近の造成地じゃないでしょうか。

最近といっても明治から大正期のことですが。

海の中にあるのか
どちらを向いても大きな橋が見えます。
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「鶴町」は万葉集の

潮干(ふ)れば 葦辺に騒ぐ 白鶴(あしたづ)の
  妻呼ぶ声は 宮もとどろに

からつけられたそうですが。

たしかに万葉集の難波(なにわ)の歌には
「鶴(たづ)」がよく出てきますが。



イケアの無料送迎バスはあるのですが
歩いて帰ります。
忙しい(ウソついてすみません)午前中なんですが
忙中閑ありなんてほざきながら。

大橋の名前がついたまんじゅう。
銘菓(?)があるじゃないですか。
税込み 150 円とあるので
ひとつもらいましょうか。

店主らしい人が 162 円とのたまう、、、?
税込みじゃないじゃないの!?
表の大きな写真の下の文字はなんなの?!
私の身なりの寂しさに売る気がないの!?

ま!買いましたけどね。
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いつか誰かと歩くときには
ごちそうしようかと思ったのですが
もう!買いません。
私は根性が小さいのです。



神明神社があります。
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そんなに立派な(失礼!)神社ではありませんが。

豊臣家滅亡後!大坂城主になった松平忠明が
京都から
大坂の蝋燭町へ遷座(せんざ)させて
日中神明社と称したらしい。

大坂には他に朝日神明社と
夕日神明社があって
3 神明社は
たくさんの善男善女を集めていたそうな。

鶴町の造成が終わるころ
1924 年にこの地に迎えられたとか。

さまよう神さまですね。

そして!
先の大戦で建築物も祭具も宝物もみんな失い
さらにときの流れの中で
広大な敷地も縮んでしまったようです。



千歳渡船に乗ります。
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大阪市の船ですから無料です。

千歳橋の下を渡します。

ん?!
橋があるのに渡し船が必要なの?!
フツーは
橋がないから渡し船があるのじゃないの!?

あれ!?
千本松渡船も木津川渡船も橋の下ですね。

大阪に 8 渡船が運航していますが
3 か所もあります!橋のある渡船場。
今さらながら!変なの。



大正内港を渡れば
「恩加島」という地名や看板が目立ちます。

「おかじま」と読むとか。

このあたりは岡島某が新田開発したので
恩に報いるために「恩加島」の漢字をあてた?!

ではなく!
岡島某が自分でつけたという説もありますが。

病院の敷地にある万葉歌碑。
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難波方 塩干丹立而 見渡者
  淡路嶋爾 多豆渡所見

佐佐木信綱訳を読めば

難波潟(なにはがた)
 潮干(ひ)に立ちて 見わたせば
  淡路の島に 鶴(たづ)渡る見ゆ

だそうですが。

やっぱり!「鶴(たづ)」が出てきますね。



大正内港の奥の波おだやかそうなところ。
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なんですか!?

「はしけ桟橋」だとか。

幅員が 2m もない桟橋が
200m くらい直線に延びています。
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小さな桟橋に船舶が 2 重 3 重に停泊しています。

桟橋に自転車がたくさん。
船で暮らしている人の足でしょうか。
私のまったく知らない世界です。



(敬称略)
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三輪山登拝 [みんなで歩けばこわくない]

「きたこと!あるのかなぁ」
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記憶にないですか。
関西に 40 年も住んでいて。
有名な神社ですが。
大神(おおみわ)神社です。
奈良県桜井市にあります。
三輪明神とも三輪山とも呼ばれているような。

私は酒の神さまとの印象があるのですが。
全国の酒蔵に下げられている杉玉は
ここでもらった(?)ものじゃないんですか。

ご神体は山です。
神殿の奥の三輪山です。

北の狭井(さい)神社に回ります。
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ここからご神体に登ります。
登拝料 300 円出してください。

「えっ?!」

えっ!じゃありません。
小さな神社仏閣だって
拝観料をなん百円もとる時代!
ご神体に抱(いだ)かれるのですぞ!
安いものです!
なんでしたら私の分もお払いなさい。



標高は 467m
山頂の奥津磐座(おきついわくら)までおよそ 2km
狭井神社から標高差 380m を一気に登ります。

大丈夫です!たぶん。

元気のいい中学生の男の子たちは
1 時間で往復してきますよ。

しっかり歩いて
人生の淫らな数々の行い!反省しましょう。

途中の三光の滝では裸になって打たれましょう。

「やだぁ!」

やだもなにも!
そんなささやかなバスト!だれも見ません。
あ!そんな問題じゃないのかな。

参拝証でもある借りた鈴のついた白たすきを
登拝中ははずさないでください。

登拝中の画像はありません。
撮影・録画禁止です。

飲食!喫煙!動植物の採取!
他の宗教のはなし!
ま!ほとんどの浮世のことが禁止です。

トイレはありません。

恋をしたり
発情しないでくださいね。

「こんなところで」
「できるのはあなたくらいでしょ!」

手をつなぐことはできないので
登拝口で竹の杖を借りてね。

最初にめいめいが
自分で御幣(ごへい)を持って
お祓(はら)いしてから行きます。



裸足で歩いている人も。
それが正式(!)なんでしょうか。

ほうきを携えている人たちは
どこかの「講」かな。
小学生からそうとうな年配の男女。
毎月清掃登拝しているのだとか。

しかし!遠かったぁ。
どんどん追い抜かれて
山頂にはゆうに 1 時間を越えて着きました。

飲食は禁止ですが
途中の磐座(いわくら)や祠(ほこら)には
日本酒やら柏餅やら
枇杷(びわ)やら供えられていました。

おいしそう。

烏山椒(からすさんしょう)は
めったに見られるものじゃないから
見て帰ってくださいね。

直径 20cm を越える烏山椒の林。
見ごたえがあります!私感ですが。

でも!山中で見聞したことを
下界でしゃべってはなりませぬ。

結局!帰路も 1 時間要しました。
驚くほど体力が低下していますね。あは。



山の辺の道を歩きます。
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「これ!官道?大昔の!」

ま!そういうことになっていますが。
往時のままかどうか知る由もありませんが。

玄賓庵(げんぴんあん)です。
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玄賓という人の庵。
世阿弥の謡曲「三輪」で
知っている人は知っているのでは。
私に詳しくは聞かないでください。

桧原(ひばら)神社から
山の辺の道を少し西にはずれて
川端康成の「大和し美し」の碑のある井手池。
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三輪山を仰ぎながらランチにしましょう。

デザートは無人販売所で 100 円で買った
さくらんぼ。
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ああ!大半が腐っていましたか。
この初夏の気候ですからね。

でも!そこここに
キイチゴの実がいっぱいうれています。
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甘くて!おいしい。
トゲが強烈ですから用心してくださいね。



「山の辺の道って楽勝!」

あの!楽勝ではありませんよ。
桜井から天理までが整備されていますが
16km あるんですよ。
今!その途中の 1.5km ばかり歩いただけですよ。



(敬称略)
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とんぺい焼き どんどん焼き [ゲリラの宴]

また!そぞろ気になってきました。

解決したり
すでにあきらめたことが
なんにもなかったようにみんな忘却して
最初にもどって
気になるのはなんなのでしょう。

頭の中が腐り始めているのかも。

今回気になったのは
「とんぺい焼き」ですが。

漢字をたくさん使えば「豚平焼き」!

大阪で初めて出合った食べものですが
大阪の食べものかどうかは知りません。

薄切りの豚肉と鶏卵を焼いたものです。
でも!
出合うたびにレシピが違っているような。

豚肉の厚みが違っていたり
オムレツのようなもの。
お好み焼きに近いもの。
一銭洋食(キャベツ焼き)と
変わらないもの。等々。(拙ブログ 2007/08/25



近所の居酒屋「太郎」の
とんぺい巻き定食。
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650 円。ごはんお代わり可!うれしいな。
あ!それはともかく
「とんぺい焼き」じゃなく
「とんぺい巻き」だそうですよ。
たしかに!豚肉を
たまご焼きで巻いていますからね。

「太郎」の前の食堂「福」の
とんぺい焼き定食。550 円。
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たまごの中に
豚肉と野菜がたっぷり。
野菜炒めを巻いたかのようです。

どれが正調「とんぺい焼き」なの!?



それで今夜の外食は
「とんぺい焼き」です。

外食といっても
家の外の公道で
ひんしゅくを買いながらする食事ですがね。

ああ!
豚肉を勝手に焼いて食べちゃあかん。

「どうすんの!?」
「いいよ!これで!」

いうことをきかない人たち。
だいぶ!肉を食べられました。

とりあえず!
豚肉を鉄板で焼いて
お好み焼き粉を溶いた粉を薄くかぶせて
鉄板の別の場所に鶏卵を落とし
黄身を軽くたたいてつぶし
焼いていた粉つき豚肉を返してのせました。

と!頭の中ではうまく行っているのですが。
なかなか!
みなさんが気に入るようにはなりません。

ま!
アラフォー(around 40)のおね~さんが
仕事を終えてやってくるまでつないでおきます。



おね~さんのお手並み拝見。

豚肉と小エビ(海老)とイカ(烏賊)と
キャベツとネギで
野菜炒めみたいなものをこしらえて
取り出しました。

いくつかの鶏卵に
溶いたお好み焼き粉をほんの少し入れて
大きなたまご焼きを作り
作っておいた炒めものをくるんでしまいました。

濃厚ウスターソースとマヨネーズをふります。
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「文句!あります?」

おいしゅうございます。



昭和 43 年(1968)発行の
佐藤哲也著/大阪の味/に
「とん平」という屋号の
「とん平焼き」を出す店の紹介が!

あったじゃないですか!
元祖か!
正調「とん平焼き」かも知れません。
記事だけ!文章だけで!画像はありませんが。

「花月劇場の角を南へ」とあります。

吉本興業の梅田花月劇場ですね。
閉鎖してから久しいのですが
場所は分かります。

お初天神につづく商店街に
ありました!
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でも!屋号は「本とん平」?!
「とん平」から「本とん平」に替えたのかも。
でんわ番号は同じですから。

「創業六十年」と書かれた看板が
すでになん歳か経たみたいな雰囲気。

残念ながら
営業時間に合いませんでした。



池波正太郎が新潮社の編集者たちの前で
「どんどん焼(き)」を
得々と作っている写真がありました。

8 種類をそれぞれ 10 人前ばかり
焼いたらしい。(池波正太郎著/むかしの味)

その中に「カツレツ」という名のもの。

「メリケン粉を鉄板に小判形に置き」
「その上へ薄切りの牛肉を敷き」
「メリケン粉をかけまわしパン粉をふりかけ」
「両面を焼きあげたもの」だとか。

その通りに作ってみます。

ただし!牛肉だけ別に焼いてから
粉の上に置く方が作りやすいような気がします。

これでいいのでしょうか。
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牛肉を豚肉に代えたら
「とんぺい焼き」になりませんか。



(敬称略)
タグ:池波正太郎
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