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菜の花の中の能勢街道 [わが街・大阪ブギウギ]

歯神社!
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歯神大神(はがみおおかみ)さま!?

大きな石にきざまれていた
地蔵尊だったそうですが
梅田一帯をおそった
洪水を「歯止め」したことから
「歯」の神さまになったらしい。

最初のご神体はどこに行ったのでしょう。

猥褻(わいせつ)ブツ!?
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遠目に猥褻に見えて!すみません。
「なで石」と書いてあります。
よく分かりません。

阪急・梅田駅のすぐ東。
JRの線路脇。
四六時中!村祭りのようなにぎわいの中。
不思議な神さま。



近くに凌雲閣跡もあります。
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明治時代の娯楽施設。

説明板に写真が!
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130 尺(39m)を誇る展望台?!
今の「あべのハルカス」ほどの
輝きがあったのでしょうか。



能勢(大阪府最北端)につづく
能勢(のせ)街道かな。
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上方落語の「池田の猪(しし)買い」で
頭の弱い男が急ぐ道かも。

猪買いは寒い季節でしょうけど
春は
見渡すかぎりの菜の花の中だったようです。

鶴乃茶屋跡の碑!
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茶屋が軒を連ねていたらしい。
今もこのあたりの地名は茶屋町です。



与謝蕪村の句碑。
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新しい形の句碑ですね。
もちろん!
「菜の花や 月は東に 日は西に」です。

蕪村(1716 ~ 1784)は
近くの毛馬村(けまむら)の出身。

20 歳で出奔(しゅっぽん)
2 度と故郷に帰りませんでした。
近くまで帰ってきたときにも
毛馬村には寄りませんでした。

この句は安永 3 年(1774)の作。
晩年!故郷の菜の花畑を思い出して
作ったのでしょうか。

ちなみに今!毛馬村は
新しい淀川の水の底になっています。



ここから北はたくさんの道が錯綜していて
紛れて
能勢街道もなにも私には分かりません。

たまたま
「元 萩之橋」の碑にめぐり会いました。
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淀川を渡る橋ではありません。

アボカドだらけの店がありました。
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店外にたくさんのアボカドの種子と苗。
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種子は無料!苗は 100 円。

阪急電車と国道 176 号が
並んで高架になっている中津駅付近。
高架下にチャップリンがいましたが。
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長い距離のある高架下。
生活した匂いはあるものの
人も犬もネズミもなにもいません。
不気味です。
世界核戦争の後のようです。



山頭火の句です。

「何もかも過去となつてしまつた菜の花ざかり」

種田山頭火(1882 ~ 1940)は
どんなときに詠んだのか知りませんが
私も蕪村のように
故郷も菜の花もなつかしい人も
胸の中で生きていたらいいと思う性格です。

胸の中ではいつまでも美しい。

訪ねたら菜の花がしおれるじゃないですか。
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