堺市内の長尾街道 [町道!街道!眠り未だ足らず]
堺市の認定(?)によると
自由都市・堺市内に 5 街道あるそうな。
紀州街道!熊野街道!竹内街道!西高野街道!
それに長尾街道!
長尾街道!?
知りません!聞いたこともありません。
もっとも!
そうなん度も堺にきたこともありませんが。
長尾街道は
堺と奈良を結んでいた街道だったようです。
堺と奈良を結ぶ街道は
竹内(たけのうち)街道がありますが。
その北に並行して造られた道だったようです。
長尾街道を少しだけのぞいてみます。
JR堺市駅から南海・堺東駅に
つまり西に向かって歩けばいいのですね。
ホントにここかと思えるような
なんの変哲のない道ですがね。
南北に走る「けやき通り」と交差。
さらに西に進めば
方違(ほうちがい)神社の前を過ぎて
ありました!長尾街道の碑が。
この先で車道は南海・高野線をまたぎ
人は鉄道を地下道でくぐります。
くぐって左が堺東駅ですが
さらにまっすぐ西へ。
阪神高速 15 号堺線を越えると
旧市街地でしょうか
碁盤の目のように道が通っているので
紛れの少ない街です。
50m 道路!
ちんちん電車(阪堺電軌)の走る
大道筋につきあたりましたが。
緑色のかたまりはザビエル公園です。
この先あたりに「津(港)」があったのでしょうね。
長尾街道は竹内街道と同じように
港から飛鳥の京(みやこ)へ通じていたのかも。
ま!これでおしまい!今日の長尾街道探検。
仕事も忙しいので(ウソついてすみません)
引き返します。
道路の伝い石(?)でしょうか?!
なんでしょうね。
さいころ賭博のような、、、?!
長尾街道の北の筋
堺大和高田線を帰ります。
南海・高野線の手前で分かれた
くるときに歩いた堺市駅につづく道です。
堺奉行所跡がありましたが。
説明板が 1 枚あるだけ。
難しい漢字の寺院がありました。
櫛笥寺(くしげじ)だそうですよ。
古刹だそうですが
大坂夏の陣やら
太平洋戦争やらの戦火にあい
建てものは古いものではないようですが。
ここに
「壺日審(つぼにっしん)」さまが
お祀りされているとか。
「壺日審」さまは
「壺棺(つぼかん)」に納められて
埋葬された母親から生まれたそうな。
慶長 4 年(1599)のこと。
母親は肉体が滅んでおっぱいが出ないため
幽霊に化身して
水飴を買いに行って育てたそうな。
その赤ん坊が高僧になり
「壺棺」から生まれたので
「壺日審」さまと呼ばれ
今なお人々の信仰を集めているとか。
ん?!
京都は六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)近くの
「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」の伝説と
瓜ふたつ?!(拙ブログ 2014/06/02)
高僧の生い立ちは似ているのですね。
コウノトリなんかの鳥が運んできて
松の木にかけていた赤ちゃんが
名僧になったというはなしも多いですね。
なんでしょう!?
大きな写真!
おカネをかけている自己顕示欲?!
役者さんでしょうか!?
この街ではなにか違和感を覚えますが。
見上げれば
きれいな人!?
こちらが照れて恥ずかしくなって
足早に通り過ぎます。
自由都市・堺市内に 5 街道あるそうな。
紀州街道!熊野街道!竹内街道!西高野街道!
それに長尾街道!
長尾街道!?
知りません!聞いたこともありません。
もっとも!
そうなん度も堺にきたこともありませんが。
長尾街道は
堺と奈良を結んでいた街道だったようです。
堺と奈良を結ぶ街道は
竹内(たけのうち)街道がありますが。
その北に並行して造られた道だったようです。
長尾街道を少しだけのぞいてみます。
JR堺市駅から南海・堺東駅に
つまり西に向かって歩けばいいのですね。
ホントにここかと思えるような
なんの変哲のない道ですがね。
南北に走る「けやき通り」と交差。
さらに西に進めば
方違(ほうちがい)神社の前を過ぎて
ありました!長尾街道の碑が。
この先で車道は南海・高野線をまたぎ
人は鉄道を地下道でくぐります。
くぐって左が堺東駅ですが
さらにまっすぐ西へ。
阪神高速 15 号堺線を越えると
旧市街地でしょうか
碁盤の目のように道が通っているので
紛れの少ない街です。
50m 道路!
ちんちん電車(阪堺電軌)の走る
大道筋につきあたりましたが。
緑色のかたまりはザビエル公園です。
この先あたりに「津(港)」があったのでしょうね。
長尾街道は竹内街道と同じように
港から飛鳥の京(みやこ)へ通じていたのかも。
ま!これでおしまい!今日の長尾街道探検。
仕事も忙しいので(ウソついてすみません)
引き返します。
道路の伝い石(?)でしょうか?!
なんでしょうね。
さいころ賭博のような、、、?!
長尾街道の北の筋
堺大和高田線を帰ります。
南海・高野線の手前で分かれた
くるときに歩いた堺市駅につづく道です。
堺奉行所跡がありましたが。
説明板が 1 枚あるだけ。
難しい漢字の寺院がありました。
櫛笥寺(くしげじ)だそうですよ。
古刹だそうですが
大坂夏の陣やら
太平洋戦争やらの戦火にあい
建てものは古いものではないようですが。
ここに
「壺日審(つぼにっしん)」さまが
お祀りされているとか。
「壺日審」さまは
「壺棺(つぼかん)」に納められて
埋葬された母親から生まれたそうな。
慶長 4 年(1599)のこと。
母親は肉体が滅んでおっぱいが出ないため
幽霊に化身して
水飴を買いに行って育てたそうな。
その赤ん坊が高僧になり
「壺棺」から生まれたので
「壺日審」さまと呼ばれ
今なお人々の信仰を集めているとか。
ん?!
京都は六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)近くの
「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」の伝説と
瓜ふたつ?!(拙ブログ 2014/06/02)
高僧の生い立ちは似ているのですね。
コウノトリなんかの鳥が運んできて
松の木にかけていた赤ちゃんが
名僧になったというはなしも多いですね。
なんでしょう!?
大きな写真!
おカネをかけている自己顕示欲?!
役者さんでしょうか!?
この街ではなにか違和感を覚えますが。
見上げれば
きれいな人!?
こちらが照れて恥ずかしくなって
足早に通り過ぎます。
天ヶ岳!百井峠!アンニュイ! [野道!山道!恋はけもの道!]
出町柳駅から叡電に乗ったら
偶然「きらら」でした。
一部窓向きのシートがついている車両。
なんなくそのシートに座れました。
いいことありそう。
しかし!
太陽の射し込む側では暑くて
カエデのトンネルも
新緑はあまり迫力がないような。
終点の鞍馬駅から歩きます。
北から鞍馬川が鞍馬寺の方に流れていますが
その東の川に沿ってつづく尾根を歩きます。
まず!静原の里に抜ける
薬王坂(やっこうざか)に上ります。
あのね!カメラを構えているのに、、、!
ハイキンググループの老若男女が次から次から。
少し途切れてくれたら。
少し待ってくれたら!シャッターが切れるのに。
そんなことお構いなしですね。
1 分待ったら!頭に血が上りますね。
ま!私がやんごとなき身の上だったり
チョー権力者で成り上がりものだったら。
撮影するといえば
人払いして貸し切り状態になるでしょうけどね。
望めば!この峠で
ジャニーズの「嵐」が裸で組体操するでしょう。
「広瀬すず」と「長澤まさみ」が
新作水着で立っているでしょう。
すっぽんぽんのマツコ・デラックスが
松の木に片足吊りをされているでしょう。
げ!見たくもねぇ!
あ!なにを考えていたのやら。
連想がとんでもないところに行きそうなので
そこそこで妥協して。
尾根筋を北へ
天ヶ岳(あまがだけ)を目指します。
上りです。
鞍馬駅が標高 238m で
天ヶ岳が 788m なら当然!上りですが。
汗びっしょりになって戸谷峰(とだにみね)。
まだ 525m かぁ!?
とにかく上ります。
ときどき下ります。
そんなお愛想みたいな下り
すぐもっときつい上りが控えています。
団体のハイカーがいやというほど前後にいます。
200 人以上だそうです。
あれはなんの匂い?!サロンパス!?
この洛北でも気温 30℃ を越える日
その匂いが胸苦しい!
加齢臭に漢方薬の匂いをプラスした人にも
ヘドが出そうになります。
長い杖をやたら振り回すしつけができてない年寄り。
後ろにつくと危ないのなんの!
鈴の工場からの回しものみたいに
ザックにいくつもの鈴をぶら下げている輩。
しんどいときにやかましいんだよ!
わざと休憩を取ったり
急いで追い抜いたりして
ヤツらから離れたつもりでいたのに
いつの間にか
また!そんな連中の尻についているんですね!?
波長がどこか合うんですかねぇ!おぞましい。
この暑い中
心臓も足もたいして苦にならずに
汗だけはシャワーを浴びたほどかいて
天ヶ岳に着きましたが。
薬王坂から 2 時間もかかっていました。
ならずものたち(上記の私にとってはですよ!)が
天ヶ岳でランチしているうちに急ぎますか。
見晴らしのいい送電線の鉄塔の下まで先に行って
おにぎりをひとつ食べます。
「きらら」に乗れたときには
いいことがありそうだと思ったのですが。
ま!多くを望むのは分不相応ですね。
百井峠(ももいとうげ)に降りて
林道のような国道を鞍馬駅の方に下ります。
しばらく行けばバス停もある
「百井別れ」という三叉路。
「アンニュイな 百井別れが 股開く」
あ!駄じゃれ句ですが。
今!私はだるいんです!
アンニュイです。
アンニュイそうなのは「桃井かおり」です。
百井別れは三叉路ですから股開いたようです。
百井別れと桃井かおりです?!
ああ!長々と説明しなければならん駄じゃれ句!
面白くありませんね。
忘れて!忘れてください。
ただひたすら下ります。
1 時間はかかるでしょう!鞍馬駅まで。
でも!杉と桧の林の中の
結構いい道なんですけどね。
(敬称略)
偶然「きらら」でした。
一部窓向きのシートがついている車両。
なんなくそのシートに座れました。
いいことありそう。
しかし!
太陽の射し込む側では暑くて
カエデのトンネルも
新緑はあまり迫力がないような。
終点の鞍馬駅から歩きます。
北から鞍馬川が鞍馬寺の方に流れていますが
その東の川に沿ってつづく尾根を歩きます。
まず!静原の里に抜ける
薬王坂(やっこうざか)に上ります。
あのね!カメラを構えているのに、、、!
ハイキンググループの老若男女が次から次から。
少し途切れてくれたら。
少し待ってくれたら!シャッターが切れるのに。
そんなことお構いなしですね。
1 分待ったら!頭に血が上りますね。
ま!私がやんごとなき身の上だったり
チョー権力者で成り上がりものだったら。
撮影するといえば
人払いして貸し切り状態になるでしょうけどね。
望めば!この峠で
ジャニーズの「嵐」が裸で組体操するでしょう。
「広瀬すず」と「長澤まさみ」が
新作水着で立っているでしょう。
すっぽんぽんのマツコ・デラックスが
松の木に片足吊りをされているでしょう。
げ!見たくもねぇ!
あ!なにを考えていたのやら。
連想がとんでもないところに行きそうなので
そこそこで妥協して。
尾根筋を北へ
天ヶ岳(あまがだけ)を目指します。
上りです。
鞍馬駅が標高 238m で
天ヶ岳が 788m なら当然!上りですが。
汗びっしょりになって戸谷峰(とだにみね)。
まだ 525m かぁ!?
とにかく上ります。
ときどき下ります。
そんなお愛想みたいな下り
すぐもっときつい上りが控えています。
団体のハイカーがいやというほど前後にいます。
200 人以上だそうです。
あれはなんの匂い?!サロンパス!?
この洛北でも気温 30℃ を越える日
その匂いが胸苦しい!
加齢臭に漢方薬の匂いをプラスした人にも
ヘドが出そうになります。
長い杖をやたら振り回すしつけができてない年寄り。
後ろにつくと危ないのなんの!
鈴の工場からの回しものみたいに
ザックにいくつもの鈴をぶら下げている輩。
しんどいときにやかましいんだよ!
わざと休憩を取ったり
急いで追い抜いたりして
ヤツらから離れたつもりでいたのに
いつの間にか
また!そんな連中の尻についているんですね!?
波長がどこか合うんですかねぇ!おぞましい。
この暑い中
心臓も足もたいして苦にならずに
汗だけはシャワーを浴びたほどかいて
天ヶ岳に着きましたが。
薬王坂から 2 時間もかかっていました。
ならずものたち(上記の私にとってはですよ!)が
天ヶ岳でランチしているうちに急ぎますか。
見晴らしのいい送電線の鉄塔の下まで先に行って
おにぎりをひとつ食べます。
「きらら」に乗れたときには
いいことがありそうだと思ったのですが。
ま!多くを望むのは分不相応ですね。
百井峠(ももいとうげ)に降りて
林道のような国道を鞍馬駅の方に下ります。
しばらく行けばバス停もある
「百井別れ」という三叉路。
「アンニュイな 百井別れが 股開く」
あ!駄じゃれ句ですが。
今!私はだるいんです!
アンニュイです。
アンニュイそうなのは「桃井かおり」です。
百井別れは三叉路ですから股開いたようです。
百井別れと桃井かおりです?!
ああ!長々と説明しなければならん駄じゃれ句!
面白くありませんね。
忘れて!忘れてください。
ただひたすら下ります。
1 時間はかかるでしょう!鞍馬駅まで。
でも!杉と桧の林の中の
結構いい道なんですけどね。
(敬称略)
矢田寺八十八ケ所へんろ道 [野道!山道!恋はけもの道!]
「あじさい(紫陽花)」の寺の
矢田寺の奥山・地蔵山に
「弘法大師 八十八ケ所霊場参詣道」の
道標がありました。
ミニお遍路道ですか。
各地にいろいろな
ミニ八十八ケ所霊場めぐりが造られていますが。
京の御室(おむろ)の仁和寺(にんなじ)の
御室・成就山(じょうじゅざん)の
八十八ケ所めぐりが
私にはなじんでいて
好ましく思うのですが。(拙ブログ 2008/04/13)
御室の山は 3km の周遊でしたが
ここは 4.5km !?
すごいじゃないですか!
あ!?
御室のようにお堂がある訳じゃないのですね!
石仏でした。
霊場の本尊と弘法大師が彫られた石仏でしたか!
一番札所から順にめぐります。
九番札所!法輪寺!釈迦如来。
たいていこの形ですが。
十七番札所!井戸寺!薬師如来。
1 体だけ?!
弘法大師像がありませぬ。
十九番札所!立江寺!地蔵菩薩。
なぜか!
弘法大師とお地蔵さまが向かい合っています。
四十五番札所!岩屋寺!不動明王。
ここは大きな像です。
岩屋寺ですから岩屋におわします。
四十六番札所!浄瑠璃寺!薬師如来。
カエデの林。
若い木が多いようですが。
平成 19 年(2007)ごろから
紅葉の名所にしたくて
植樹しているのでしたか。
そうですか!
このミニ遍路道の記憶が全くありません。
大昔!ここ矢田寺や
それにつづく松尾寺や矢田丘陵の
ハイキングになん度かきましたが
自分で企画したものでも
すぐ!忘れてしまう特技(?)を持っていますから
まして!先達の後をだらだら歩いていたら
覚えているはずもないと思っていましたが。
そうでしたか。
大正時代に造られたコースを
最近なんですね!だれでも歩けるように
整備し始めたのは。
私が知らないはずでした。
長い間!荒れるにまかせていたので
行方不明になった石仏もあるのですね。
見晴らしのいいところに出ました。
五十一番札所!石手寺!薬師如来。
見晴台に休憩用の小屋があります。
石仏は小屋にはばまれて
景色が見えなくて可哀そうですね。
なんですか!ぶんぶんブンブンぶんぶん!?
蚊柱かブヨの集団に遭遇したのかな。
げ!
ミツバチ!?
小屋の腰板壁の中に巣を作っています。
石仏の撮影に
画像モニターに集中していたら
ミツバチのお家の入り口を
おなかでフタをしていました。
ごめんね!
刺さないでね!
こんな日に限って
白ではなく
興奮させる濃い色のシャツを着ていました。
ゆっくり!そっと!離れたら
ミツバチも体から離れて行きました。
ニホンミツバチは無駄な争いをしないようです。
にぎやかです。
ご詠歌の碑があったり。
これは八十八ケ所霊場ではないような。
五十八番札所!仙遊寺!千手観音。
ヒノキの林がつづきます。
この日
全 88 の霊場を撮影したはずなんですが
七十一番札所!弥谷寺だけありません。
70 と 72 の間にこの写真を撮っていますが。
砲弾(!)があります!
なんでしょう?!
札所ではないですね。
よく分かりません。
キツネかタヌキに遊ばれたのでしょうか。
初夏の大和郡山市がよく見えます。
ひと息入れたら急坂を下ります。
七十七番札所!道隆寺!薬師如来。
八十番!八十一番札所!どちらも千手観音。
大道(!)に出ました。
ここから楽々とゆるやかに下るだけ。
結願!
八十八番札所!大窪寺!薬師如来。
途中で脇道の散策もしたので
1 時間半もかかりました。
奈良交通のリーフレットには
距離が 3km とありましたが
私の歩いた感じでは
ここの案内板のように
4.5km 近くあるような気もします。
矢田寺の奥山・地蔵山に
「弘法大師 八十八ケ所霊場参詣道」の
道標がありました。
ミニお遍路道ですか。
各地にいろいろな
ミニ八十八ケ所霊場めぐりが造られていますが。
京の御室(おむろ)の仁和寺(にんなじ)の
御室・成就山(じょうじゅざん)の
八十八ケ所めぐりが
私にはなじんでいて
好ましく思うのですが。(拙ブログ 2008/04/13)
御室の山は 3km の周遊でしたが
ここは 4.5km !?
すごいじゃないですか!
あ!?
御室のようにお堂がある訳じゃないのですね!
石仏でした。
霊場の本尊と弘法大師が彫られた石仏でしたか!
一番札所から順にめぐります。
九番札所!法輪寺!釈迦如来。
たいていこの形ですが。
十七番札所!井戸寺!薬師如来。
1 体だけ?!
弘法大師像がありませぬ。
十九番札所!立江寺!地蔵菩薩。
なぜか!
弘法大師とお地蔵さまが向かい合っています。
四十五番札所!岩屋寺!不動明王。
ここは大きな像です。
岩屋寺ですから岩屋におわします。
四十六番札所!浄瑠璃寺!薬師如来。
カエデの林。
若い木が多いようですが。
平成 19 年(2007)ごろから
紅葉の名所にしたくて
植樹しているのでしたか。
そうですか!
このミニ遍路道の記憶が全くありません。
大昔!ここ矢田寺や
それにつづく松尾寺や矢田丘陵の
ハイキングになん度かきましたが
自分で企画したものでも
すぐ!忘れてしまう特技(?)を持っていますから
まして!先達の後をだらだら歩いていたら
覚えているはずもないと思っていましたが。
そうでしたか。
大正時代に造られたコースを
最近なんですね!だれでも歩けるように
整備し始めたのは。
私が知らないはずでした。
長い間!荒れるにまかせていたので
行方不明になった石仏もあるのですね。
見晴らしのいいところに出ました。
五十一番札所!石手寺!薬師如来。
見晴台に休憩用の小屋があります。
石仏は小屋にはばまれて
景色が見えなくて可哀そうですね。
なんですか!ぶんぶんブンブンぶんぶん!?
蚊柱かブヨの集団に遭遇したのかな。
げ!
ミツバチ!?
小屋の腰板壁の中に巣を作っています。
石仏の撮影に
画像モニターに集中していたら
ミツバチのお家の入り口を
おなかでフタをしていました。
ごめんね!
刺さないでね!
こんな日に限って
白ではなく
興奮させる濃い色のシャツを着ていました。
ゆっくり!そっと!離れたら
ミツバチも体から離れて行きました。
ニホンミツバチは無駄な争いをしないようです。
にぎやかです。
ご詠歌の碑があったり。
これは八十八ケ所霊場ではないような。
五十八番札所!仙遊寺!千手観音。
ヒノキの林がつづきます。
この日
全 88 の霊場を撮影したはずなんですが
七十一番札所!弥谷寺だけありません。
70 と 72 の間にこの写真を撮っていますが。
砲弾(!)があります!
なんでしょう?!
札所ではないですね。
よく分かりません。
キツネかタヌキに遊ばれたのでしょうか。
初夏の大和郡山市がよく見えます。
ひと息入れたら急坂を下ります。
七十七番札所!道隆寺!薬師如来。
八十番!八十一番札所!どちらも千手観音。
大道(!)に出ました。
ここから楽々とゆるやかに下るだけ。
結願!
八十八番札所!大窪寺!薬師如来。
途中で脇道の散策もしたので
1 時間半もかかりました。
奈良交通のリーフレットには
距離が 3km とありましたが
私の歩いた感じでは
ここの案内板のように
4.5km 近くあるような気もします。
矢田寺はアジサイの季節 [猫も歩けば棒立ち]
矢田寺に。
奈良県は大和郡山市の西の端
山の中にあります。
坂道を飽きるほど上って行かねばなりません。
山門をくぐっても石段が延々とつづきます。
石段の脇には墓石が並んでいます。
ここで眠れば寂しくありませんね。
大門坊の前を過ぎて
本堂が見えてきたら
「味噌なめ地蔵」が迎えてくれます。
新しい味噌を作ったとき
それを持参して
お地蔵さまの口元に塗ってお願いすれば
味噌は腐ることもなく
よい味になるそうな。
お地蔵さまといえば
ここ矢田寺は地蔵信仰の発祥の寺とか。
本尊は平安時代から地蔵菩薩だそうです。
創建は天武天皇。
7 世紀の終わりですね。
地蔵信仰が起きるずっと前のことですね。
そのときの本尊は十一面観音らしいのですが
詳しいことを知りたい訳でもありません。
矢田寺は「あじさい寺」として
関西では有名です。
1 万株あるそうです。
1 万株といえば
1m 間隔で植えたら 99m 四方。
2m 間隔で植えたら
ん? 198m 四方ですかね。
すみません!並木算(植木算)が
分からなくなりました!酒毒が回っています。ああ。
ま!そんな大変な面積と数ですね。
山中のことですから
斜面やら谷川沿いに咲いています。
あじさいに埋もれて
すべりやすい道をアップダウンしながら
善男善女(たぶん!)がそろそろ歩いています。
「短夜や まりのやうなる 花の咲」
「みじかよや まりのようなる はなのさく」
でしょうか。
小林一茶(1763 ~ 1827)の
文化 9 年(1812)のころの句
たしかに「鞠(まり)」のようですね。
余談ですが
一茶は多作です。
たくさんの句を残していますが。
でも!「あじさい」の句はあんまりないような。
関心が「まりのやうな」でおしまいかも。
「なでしこ」やら「ほととぎす」やらは
似たような句を数えきれないほど残しているのに。
「紫陽草や 帷子時の 薄浅黄」
「あじさいや かたびらどきの うすあさぎ」も
ありましたよね。
あ!すみません。
この句は松尾芭蕉(1644 ~ 1694)でした。
芭蕉も「あじさい」の句は少ないようです。
「あじさい」は薄い「浅黄(あさぎ)」色ですか。
これ!
「浅葱(あさぎ)」の漢字じゃないとまずいのでは。
「浅黄」では黄色になってしまうのでは。
「浅葱」は薄い藍!
水色のことじゃないでしょうか。
「あじさい」はそんな色が基本では。
今!広辞苑を引くと
「浅黄」は
① 浅い黄色。
やっぱり!
でも!つぎに
② 浅葱におなじ。
と書いてありました。
芭蕉の浅黄は浅葱のことでしょうか!
漢字は借字でもあるので
書くときには楽なように
画数が少ない方を
書いてしまう傾向がだれにでもあるようです。
でも!黄色っぽい花もありますね。
もうなにがなんやら!考えることをやめます。
谷の底ばかりではなく
上に!御影堂の方へ上ってみます。
土壌の関係からでしょうか
浅葱色の花ばかりが咲いています。
下の方には佃煮にするほどいた観光客が
御影堂のまわりにはいません。
おばあさん 3 人組がいただけ。
このあたりにも
「あじさい」は咲いているので
蝉噪(せんそう)嫌いな方にはおすすめ。
南僧坊では「あじさい御膳」が食べられます。
まだ!オープン前に訪ねて行ったのですが
値段が値段なので
予約をしないで出直します。
優柔不断な性格と
懐中不如意がタッグを組んで
胸の奥で様子をうかがっております。
熟考 1 時間半。
ええい!
後のことは知らん!
食べるだけ食べてから考えよう!はは。
坊にかけ込んだら
「ただいま!売り切れになりました」
ま!いつもそんな人生です。
門前の茶店でなにか食べさせてもらいましょう。
なにもありませんか。
「トマトがおいしいよ!地のトマト!」
高いなぁ!
スーパーの「桃太郎」の倍くらい。
空腹には負けそうで食べようと思ったのですが
満席だったので
1 籠求めてとぼとぼ坂道を下ります。
念佛院で金平糖を買います。
あじさいの形に包装しているだけですが。
ここで買えば 300 円。
寺の外で買えば 350 円。
よいこは頭に入れてお参りしてね。
田んぼの畔の木陰で
矢田寺の山を見ながら
昼食代わりのトマトをいただきます。
スーパーのものと違って
完熟トマトかな。
顔中!べとべと!
初夏の風の中。
奈良県は大和郡山市の西の端
山の中にあります。
坂道を飽きるほど上って行かねばなりません。
山門をくぐっても石段が延々とつづきます。
石段の脇には墓石が並んでいます。
ここで眠れば寂しくありませんね。
大門坊の前を過ぎて
本堂が見えてきたら
「味噌なめ地蔵」が迎えてくれます。
新しい味噌を作ったとき
それを持参して
お地蔵さまの口元に塗ってお願いすれば
味噌は腐ることもなく
よい味になるそうな。
お地蔵さまといえば
ここ矢田寺は地蔵信仰の発祥の寺とか。
本尊は平安時代から地蔵菩薩だそうです。
創建は天武天皇。
7 世紀の終わりですね。
地蔵信仰が起きるずっと前のことですね。
そのときの本尊は十一面観音らしいのですが
詳しいことを知りたい訳でもありません。
矢田寺は「あじさい寺」として
関西では有名です。
1 万株あるそうです。
1 万株といえば
1m 間隔で植えたら 99m 四方。
2m 間隔で植えたら
ん? 198m 四方ですかね。
すみません!並木算(植木算)が
分からなくなりました!酒毒が回っています。ああ。
ま!そんな大変な面積と数ですね。
山中のことですから
斜面やら谷川沿いに咲いています。
あじさいに埋もれて
すべりやすい道をアップダウンしながら
善男善女(たぶん!)がそろそろ歩いています。
「短夜や まりのやうなる 花の咲」
「みじかよや まりのようなる はなのさく」
でしょうか。
小林一茶(1763 ~ 1827)の
文化 9 年(1812)のころの句
たしかに「鞠(まり)」のようですね。
余談ですが
一茶は多作です。
たくさんの句を残していますが。
でも!「あじさい」の句はあんまりないような。
関心が「まりのやうな」でおしまいかも。
「なでしこ」やら「ほととぎす」やらは
似たような句を数えきれないほど残しているのに。
「紫陽草や 帷子時の 薄浅黄」
「あじさいや かたびらどきの うすあさぎ」も
ありましたよね。
あ!すみません。
この句は松尾芭蕉(1644 ~ 1694)でした。
芭蕉も「あじさい」の句は少ないようです。
「あじさい」は薄い「浅黄(あさぎ)」色ですか。
これ!
「浅葱(あさぎ)」の漢字じゃないとまずいのでは。
「浅黄」では黄色になってしまうのでは。
「浅葱」は薄い藍!
水色のことじゃないでしょうか。
「あじさい」はそんな色が基本では。
今!広辞苑を引くと
「浅黄」は
① 浅い黄色。
やっぱり!
でも!つぎに
② 浅葱におなじ。
と書いてありました。
芭蕉の浅黄は浅葱のことでしょうか!
漢字は借字でもあるので
書くときには楽なように
画数が少ない方を
書いてしまう傾向がだれにでもあるようです。
でも!黄色っぽい花もありますね。
もうなにがなんやら!考えることをやめます。
谷の底ばかりではなく
上に!御影堂の方へ上ってみます。
土壌の関係からでしょうか
浅葱色の花ばかりが咲いています。
下の方には佃煮にするほどいた観光客が
御影堂のまわりにはいません。
おばあさん 3 人組がいただけ。
このあたりにも
「あじさい」は咲いているので
蝉噪(せんそう)嫌いな方にはおすすめ。
南僧坊では「あじさい御膳」が食べられます。
まだ!オープン前に訪ねて行ったのですが
値段が値段なので
予約をしないで出直します。
優柔不断な性格と
懐中不如意がタッグを組んで
胸の奥で様子をうかがっております。
熟考 1 時間半。
ええい!
後のことは知らん!
食べるだけ食べてから考えよう!はは。
坊にかけ込んだら
「ただいま!売り切れになりました」
ま!いつもそんな人生です。
門前の茶店でなにか食べさせてもらいましょう。
なにもありませんか。
「トマトがおいしいよ!地のトマト!」
高いなぁ!
スーパーの「桃太郎」の倍くらい。
空腹には負けそうで食べようと思ったのですが
満席だったので
1 籠求めてとぼとぼ坂道を下ります。
念佛院で金平糖を買います。
あじさいの形に包装しているだけですが。
ここで買えば 300 円。
寺の外で買えば 350 円。
よいこは頭に入れてお参りしてね。
田んぼの畔の木陰で
矢田寺の山を見ながら
昼食代わりのトマトをいただきます。
スーパーのものと違って
完熟トマトかな。
顔中!べとべと!
初夏の風の中。
大地の恵 西高野街道 [たべほ!ブフェ!バイキング!]
「大地の恵 堺東店」でランチです。
南海高野線の堺東駅前に堺市役所があります。
その市役所の南
ダイワロイネットホテル堺東の 1 階。
豆腐料理中心のバイキングとか。
1,200 円(税込)です。
心貧しい私の基準では
1,000 円越えるバイキングでは
ソフトドリンクは無料です。
ときどき 1,000 円を越えているのに
有料の店舗があって
怒髪天を突く思いになりますが。
ここは私の基準通り。
まずはめでたし。
ここは自家製の豆腐が自慢でしたね。
この日は 2 種類の豆腐がありました。
豆腐プリンやら湯葉やらも。
ランチタイム内であれば時間無制限です。
暑かったので
冷たいドリンクやらコーヒーやら飲み過ぎて
もう!ギブアップ。
ほとんどひと口ずつ食べたとは思いますが
あと!パンがいくつか残りましたかも。
堺市役所の 21 階展望ロビーで休憩。
無料です。
仁徳天皇陵に向けて
南海高野線が延びていますね。
私も仁徳天皇陵目指して帰りましょう。
その道は西高野街道と
竹内(たけのうち)街道です。
この辺では共通の道です。
いかにも昔の道のように
くねくねとはしていますが
いわれなければなんの変哲もない道ですがね。
途中で竹内街道を左に見送って
西高野街道をたどります。
ふり返れば
先ほどいた堺市役所が小さくなっています。
左の林は永山古墳かな。
仁徳天皇陵の陪塚のひとつらしい。
相当大きくこんもりしていますが
これで仁徳陵の 1/20 ほどもありません。
こんな陪塚が 20 くらいあったようです。
いかに仁徳陵が大きいか!
その仁徳陵にぶつかったところに
西高野街道の碑がありましたが。
こんな近くで見たら
仁徳陵はまったくなにも!?
全体像がつかめません。
南海高野線の三国ヶ丘駅に着きました。
ひと駅歩いただけです。
屋上に庭のようなものが造られています。
あ?
ちょっと見は中学生くらいな格好なのに
年は結構いっていそうな(ごめんね!)
CMソングを歌っている人。
重盛さと美かな!?
なんせ!TVは滅多に見ないものですから
(見たくても映らん!拙ブログ 2015/03/12)
はっきりディテールは書けませんが
「ミクちゃん」なんとか歌っていましたが。
それがふと浮かんだのですが
(ご立派な!いい頭ですなぁ!)
その「みくちゃん」じゃなく
ここは「みくにん広場」と名づけられています。
すみません!余計な連想で。
みくにん広場から見る仁徳天皇陵の一部。
やっぱり右奥に堺市役所が見えます。
(敬称略)
南海高野線の堺東駅前に堺市役所があります。
その市役所の南
ダイワロイネットホテル堺東の 1 階。
豆腐料理中心のバイキングとか。
1,200 円(税込)です。
心貧しい私の基準では
1,000 円越えるバイキングでは
ソフトドリンクは無料です。
ときどき 1,000 円を越えているのに
有料の店舗があって
怒髪天を突く思いになりますが。
ここは私の基準通り。
まずはめでたし。
ここは自家製の豆腐が自慢でしたね。
この日は 2 種類の豆腐がありました。
豆腐プリンやら湯葉やらも。
ランチタイム内であれば時間無制限です。
暑かったので
冷たいドリンクやらコーヒーやら飲み過ぎて
もう!ギブアップ。
ほとんどひと口ずつ食べたとは思いますが
あと!パンがいくつか残りましたかも。
堺市役所の 21 階展望ロビーで休憩。
無料です。
仁徳天皇陵に向けて
南海高野線が延びていますね。
私も仁徳天皇陵目指して帰りましょう。
その道は西高野街道と
竹内(たけのうち)街道です。
この辺では共通の道です。
いかにも昔の道のように
くねくねとはしていますが
いわれなければなんの変哲もない道ですがね。
途中で竹内街道を左に見送って
西高野街道をたどります。
ふり返れば
先ほどいた堺市役所が小さくなっています。
左の林は永山古墳かな。
仁徳天皇陵の陪塚のひとつらしい。
相当大きくこんもりしていますが
これで仁徳陵の 1/20 ほどもありません。
こんな陪塚が 20 くらいあったようです。
いかに仁徳陵が大きいか!
その仁徳陵にぶつかったところに
西高野街道の碑がありましたが。
こんな近くで見たら
仁徳陵はまったくなにも!?
全体像がつかめません。
南海高野線の三国ヶ丘駅に着きました。
ひと駅歩いただけです。
屋上に庭のようなものが造られています。
あ?
ちょっと見は中学生くらいな格好なのに
年は結構いっていそうな(ごめんね!)
CMソングを歌っている人。
重盛さと美かな!?
なんせ!TVは滅多に見ないものですから
(見たくても映らん!拙ブログ 2015/03/12)
はっきりディテールは書けませんが
「ミクちゃん」なんとか歌っていましたが。
それがふと浮かんだのですが
(ご立派な!いい頭ですなぁ!)
その「みくちゃん」じゃなく
ここは「みくにん広場」と名づけられています。
すみません!余計な連想で。
みくにん広場から見る仁徳天皇陵の一部。
やっぱり右奥に堺市役所が見えます。
(敬称略)