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お茶漬けバイキング 阿古屋茶屋 [たべほ!ブフェ!バイキング!]

京都の東山。
暑い。
夏ですからね。

さっぱりと京漬けもので
冷たいものでも飲みませんか。

二年坂(二寧坂)途中の
「阿古屋茶屋(あこやちゃや)」の
「お漬けものバイキング」なんていかが。
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なかなか雰囲気がいいでしょ。
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店舗内はフツーですけどね。
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あれ?!
些細なことですけど
「お漬けもの」じゃなく
「お茶漬けバイキング」になっていますが。
私の記憶違いかな。
(記憶違いでした!拙ブログ 2010/01/10

1,300 円(税込)です。

漬けものとごはんだけというのは
昔からおんなじです。

十六穀米ごはんをいただきます。
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菊の形の「もなか」の中には味噌と具。
お湯を注ぐと味噌汁になります。
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「お粥さん」もいただきます。
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これで漬けものは全種類かな。

お土産に買う京漬けものは高価です。
もう 1 度端からとってきます。
貧乏人は根性がいやらしい。



あ!
冷たい飲みもの!?
暑くて飲みたかったのですよね。

水だけです!冷たい飲みものは。
期待していた麦を醸造したものはありません。
蒸留したものもありません。
アルコール類はありません。

それなら!
日ごろごはん類はあんまり食べないのですが
今度は白いごはんもいただきます。
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唯一の動物性の食べもの
じゃこの佃煮をのせて
おいしかった漬けものを再びチョイス。

メインディッシュとおぼしきものがなかったので
つい!ごはんばかり食べてしまいました。
そのときには食べた気がしなかったのですが
食べ過ぎかも!おなかパンパン。

デザートはもなか。
自分であんを詰めていただきます。
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あんが 2 種類あったので
ふたになる方にも入れてきました。

食べ放題ですから
あわてなくてもいいのにね。
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大和民俗公園にて [猫も歩けば棒立ち]

唐箕(とうみ)があります。
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風選する道具。
上から穀物なんかを入れて
人工の風の中を落とせば
軽い籾殻なんかは吹き飛び
重い実は下に落ちて
選り分けられるという
よくできた道具ですね。

まだ各地に比較的よく残っていて
そう珍しいものではないのですが
先日!年には不足のない人たちが
「知らない」だの「使っていた」だのと
白熱した(?)討論をしていたので
ふと!気になったりして。

奈良県立民俗博物館内の展示。

近鉄郡山駅から真西に
一直線に 3km も歩けば
(よいこはバスに乗ってね)
大和民俗公園がありました。

その中に民俗博物館があります。

半世紀以上前の奈良県の産業や
衣食住を常設展示していました。

「鶴の恩返し」の挿絵みたい。
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機(はた)織りの家ですか。



大和民俗公園は広い!

広場あり里山あり!
池や花壇もあり
「26.6ha ありますので」
1 周すれば 1 時間のハイキングになると
教えてくれましたが
26.6ha がどれほどのものかよく分かりませんが
広い。

古民家が移設されています。
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(旧鹿沼家・旧臼井家)

奈良県は南北に長い県。
それぞれの地で
地形や気候風土が大きく違うようです。

これは「町屋集落」にあった古民家。

「町屋」は土地の名前か
町の中の家のことか知りませんが。
どちらも商家みたいです。

だれも住んではいないのに
旧鹿沼家にはツバメが営巣していました。
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国中集落。
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(旧吉川家)

「国中」の意味もやっぱり分かりませんが。
大きな農家ばかりのような。
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(旧赤土家離座敷・旧萩原家)



公園の休憩所に
キツネ(狐)がいました。
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キツネなんて軽々しく呼んではなりませぬ。

「矢田の熊五郎」という名の超能力を持ったキツネ。
このあたりの人は困ったとき
なん度も助けられたそうな。

その昔はこの公園に
熊五郎大明神が祀(まつ)られていたとか。

今でもお願いして手を打つと
この建てものの天井が
「コーン!コーン」と答えるそうな。

答えなかったら!あきらめてください。

それにしても
キツネなのにクマ五郎とは。



「里山の駅」の道標がありました。

ああ!昼食時間は過ぎているので
なにか買いましょうか。
レストランでも併設されていたらいいのですが。

公園の外に
「里山の駅 風とんぼ」がありましたが。
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なんだかイメージが違いますが。
農作物販売やレストランは?!

野外活動センター!?

「道の駅」のように
通りすがりの人は相手にしていない?!

なにも売っていません。
なんですか!ハラへったぞ~!



再び公園にもどります。
なんだか急に足が重い。

宇陀・東山集落にたどり着きました。
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(旧八重川家)

やっぱり大きな農家でしょうね。

林業も営んでいたらしい旧岩本家に
馬屋(まや)があります。
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馬も同じ屋根の下で暮らしたのです。

美しい!
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(旧松井家)

日本の民家は美し過ぎて涙が出ます。



吉野集落に入ります。

山の中の集落だとは
私でもだいたい見当がつきます。

先ほど見てきた民家とは
まったく趣が異なりますね。
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(旧前坊家)

現代のおしゃれな別荘のような。
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(旧木村家)



里山の木洩れ陽の中をたどります。

卯の花が咲いています。
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サラサウツギの仲間でしょうか。

梅雨どきは
里山は昼でも「卯花月夜(うのはなづくよ)」
きれいですが
おなかすいたよ~!

まだ!生きている私です。

花ゆゑゆゑに 顕(あら)はれたよなう
あら卯の花や 卯の花や

16 世紀の閑吟集にあった忍び逢いの小唄。

まだ!色気のある私です。
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京都 花街 かけ足めぐり [平安京有情]

鴨川です。
団栗橋(どんぐりばし)から見降ろせば
アユ(鮎)釣りの見える季節。
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四条大橋の下流
松原橋の上流
江戸時代からすでにあった橋のようですが
おちゃめな名前ですね。

団栗橋を渡って下流左岸
鴨川に沿って
京都五花街(嶋原を除く 5 か所)のひとつ
宮川町があります。
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静かです。

静かというのは
五花街の中では祇園甲部(ぎおんこうぶ)の次に
お茶屋や芸妓・舞妓の数を誇っているというのに
祇園甲部や先斗町(ぽんとちょう)のような
観光客の流れがありません。

小説や詩歌や
スキャンダラスなはなしもあまりないような。

「陰間(かげま)」から始まった花街とも聞きましたが。

「かげま」とは
江戸時代後期の好色本の
「恋湊女護島生娘(こいみなとにょうごのしまだ)」に
女性姿の男のつぶやきがありましたが。

色の道にいれど
女の代わりにばかにされ
たまたま女の客あれば
五十路(いそじ)あまりの婆さまか

昼は婆さま
夜は男を相手にしていたようですね。
両刀使い?!器用なもんですのぉ。

それは江戸のはなし。
ここ京都の宮川町はどうだったのか
私に知る手立てはありませんが。

ただ!現代の歌舞伎役者の屋号は
もともと宮川町の
陰間茶屋の屋号だといわれています。



宮川町から分かれて左に曲がり
松原通りを東に行きます。
これが平安京時代の五条通りかな。

幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)です!
買いますか。(拙ブログ 2014/08/17
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「姉が買ってきて!ひとりで食べていたけど」
「私はいりません」

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。
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閻魔(えんま)大王と懇意な
小野篁(おのたかむら 802 ~ 853)が
この世とあの世を往復していたところ。

このあたりは大昔の葬送の地。
こんな伝説ばかり。

では!お口直しに安井金比羅宮の
「縁切り・縁結び碑(いし)」なんかどうですか。
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縁切りはこちらから
縁結びはあちらからくぐりましょう。
間違えると
あのステテコ野郎(?)と復縁してしまいますよ。



祇園甲部です。
花見小路です。
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いつも観光客がいっぱい。
今の時代には
異邦人が多いのはなんとなく分かりますが
今の時代でも
修学旅行の児童・生徒がいますね。

同道のアラフォー(around 40)のおね~さん
髪が長いのですから
「舞妓変身」して歩いたらいかが。
2 ~ 3 万円で変身できて観光客にモテますよ。

あ!すみません。
舞妓は 13 歳くらいまでですよね。
その後は芸妓になっていましたか!
ただし!先の大戦より前までのこと。
今は 13 歳で旦那を持つ訳にはいかないでしょうけど。

舞妓も芸妓も
ドレスコードがうるさくあるようで
私には容姿の説明ができませんが
おこぼ(厚底下駄)とだらりの帯は舞妓さんどす。

大昔は舞妓も芸妓も
自分の毛で結っていたようですが
現代は芸妓になると髪をカットして
かつらを着用しているようです。

大石内蔵助(1659 ~ 1703)が遊んだという
お茶屋「一力亭」があります。
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もっともそれは仮名手本忠臣蔵の中の
大星由良之助のことで
ホンモノの内蔵助は
伏見の遊里にばかりいたと私は思っていますが。



祇園甲部から四条通りを越えたら
祇園東です。

昔は祇園乙部といっていたようです。

遊郭・遊女大好き人間の
作曲家の小林亜星が
昭和 32 年(1957)に訪ねていました。

著書/あざみ白書/によると
当時は「東新地」とも呼ばれ
「子供衆」という娼妓がいて
「赤線」と変わらなかったといいます。

あらら!
立ち止まることなく素通りしてしまいました。
祇園東のエリアは狭いのです。



鴨川にぶちあたりましたね。
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あちら側に
先斗町(ぽんとちょう)歌舞練場が見えます。

三条大橋を渡ります。

鴨川沿いに先斗町の花街があります。
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元は中州だったらしい。
江戸時代にはここも
芸妓より娼妓の方が多かった新地だったのかも。

「ぽんと」とは不思議な名前です。
スペイン語だのポルトガル語だのと
昔!私の周囲の
自称・有識者はかまびすしかったのですが。

数字の「1」と
「半島」というふたつの説の支持者が多かったような。

私はそんなシャレたものではなく
非公認の岡場所だった時代の
隠語のような気がしますが。
それがなんなのか!分からずにいっていますが。

道の幅員がなく
くるまの通行がないので
四六時中!観光客の往来がある花街です。



4 花街を回りましたが。
あとひとつ
上七軒(かみしちけん)が残りましたね。
また機会があれば同道してくださいね。
売り飛ばさないから。

売れないかな。



(敬称略)
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キャベツ煮干し炒め [だまって食え!]

ふと目を上げたら。
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あべのハルカスが霞んでいます。
高さ 300m の超高層ビル。

梅雨ですからね。

なにもいいことがないので
とぼとぼ帰ります。

そんなにいいことなんか
しょっちゅうあるはずもないですよね。
生きているだけ丸儲けと思いますか。

わが庭(!)桃ケ池まで帰ったら
あべのハルカスはすっかり雲の中。
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池中!やかましい。
カラスが町内会をしているのでしょうか。

たくさんのカラスが
径 100m ほどの大きな円陣作っています。
電柱や高速道路や街路樹や屋根から
ハシブトカラス特有の
いい声(?)で鳴いています。

梅雨の雨では遊ぶ人のいない
円陣の中心になる島には
地上に降りて騒いでいますが。
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100 羽くらい集まっているのでしょうか。
30 羽までは数えましたが。

おぞましい。



おぞましい!といえば
これ!
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ヌルデの仲間でしょうか。
最近!いくつか
桃ケ池に芽生えて伸びているのですが。

ウルシ科なら
かぶれる人が出ないうちに
刈り取ったらどうですか。

先日進言したら
草刈りしているおじさんは
「知らない」とけんもほろろ。

作業しているのは
市の職員じゃないんですね。
草刈りだけ請け負っている業者ですね。
樹木の伐採はまた別の入札でしょうか。



濡れて帰って
疲れて
仮眠したら
日が暮れています。

なにか食べなければ。
なにも目ぼしいものはありません。

「食べるものがなかったら食べるな」と
いつも他人にはいってはいるものの
自分のことになったら、、、。

ハラの色が変わり始めた煮干しはありますが。
水に浸けてみます。

キャベツをオリーブ油で炒めて
少し柔らかくなった煮干しを加え
もどし汁と
キムチの汁!醤油!塩!黒胡椒で調味。
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これと硬くなったバゲットと
ウイスキーの水道局の水割りで夕飯。

荒い食感です。
煮干しの頭もなにも取ってないですからね。

しかし!おいしい!

柔らかい!甘い!食べやすい!ことばかりが
いい料理だという風潮。

それにさからうものにでも
味があるような。



みなさんから
キャベツ炒めばかり食べて
生きていると思われていますが
私だって好き好んで
キャベツの素炒めと
三つ 55 円の納豆だけで
暮らしている訳じゃありません!
ホント!好き好んで、、、ぐすん。

今は!
さだめの川に身をゆだねているだけですよ。
そこが冷水でも泥水でも。
滝でもダムでも!しがらみがあっても。

いつまでそうしているのかと
問いたもうことなかれ!
問う人はただただ嫌いです。
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天保山渡船 なみはや大橋 [みんなで歩けばこわくない]

昨夜から未明まで
腹痛で眠れなかったのですが。
行儀の悪いわんこじゃないのですから
なにか拾い食いした記憶もありませんが。
虫垂炎でしょうか!はは。

JR桜島駅。
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JR環状線から虫垂のように少し延びている
桜島線の端っこ。
桜島線というより
「JRゆめ咲線」という
通称ばかりが表示してありますが。

乗客はあらかたひとつ前の
ユニバーサルシティ駅で降りてしまいます。

この駅で降りた人は
生活臭のある人は少なく
左右にみごとに分かれています。

右に
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の
従業員ゲートがあります。
左には
「舞洲(まいしま)ゆり園」に行くバス停があります。



アラフォー(around 40)のおね~さんが
約束の時間ぎりぎりにやってきました。

「お待たせ!昨日!母が入院したので」

そりゃ!大変
(こちらにも入院しそうな事由が起きていますので)
ウォーキングは中止しますか?!

「行きます!めったにない機会ですから」

では!ぼちぼち!そろそろと。

安治川を渡る天保山渡船場。
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大阪に長い間住んでいても
この無料の市営渡船に
乗ったことがないという人が多いのです。

そして「乗ってみたい」という人も
私の周囲にたくさんいます。
そのひとりが今日のおね~さん。

USJの従業員でしょうか
自転車の外国人の乗客が多いですね。
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岸壁間 400m だそうです。
大阪市の市営渡船が 8 か所ありますが
天保山渡船が 1 番長距離です。
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USJ側から海遊館のある岸に渡りました。



大阪生まれのクセに天保山!知りませんか。
「どこ?!」
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あの古い塔の右の地面が山頂です。
標高 4.53m ですって。
周囲の公園の方が土を盛っていて高い!はは。

大阪市は「日本一低い山」といってきましたが
果たして!どうでしょう。
二等三角点はありますが。



南に歩きます。

あ!
築港赤レンガ倉庫。
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壁に大きく「住友」のロゴがあったような。
消えていますね。

クラシックカーがたくさん展示されていたり
カフェができたりしています。
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住友倉庫から所有権が移ったのかな。

「TVでニュースになっていたよ」

そうですか!
TV!見なくてすみません。(拙ブログ 2015/03/12



大正区目指して「なみはや大橋」を渡りましょう。

先ほどの天保山の渡しは
港区と此花区の間を運航していますが
残りの 7 か所の渡船は大正区だったり
片方の岸は大正区なんです。

上りがずっとつづきます。
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橋の長さは 1,740m もあります。
まっすぐではありません。
廃品回収のくず針金のように
やたらクネクネしている橋です。

橋の下に
幅 100m 水面上 45m を確保したかったらしく
まだまだ上ります。
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このあたりが頂部かな。
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360°見晴らしがよろしい。
高いところが大嫌いなおね~さんはへっぴり腰。

下りのときには速足ですね!はは。
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降りてから見るなみはや大橋。
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ホントに変な形です。



船町渡船です。
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岸壁間 75m 。
市営渡船の中では一番短距離でしょうか。

昔は浮き桟橋のような橋が浮かんでいたそうな。

降りたところは人もにゃんこも姿のない
乾いた工場群。
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映画「ブラック・レイン」の撮影現場かな。

マイケル・ダグラスや
高倉健や松田優作なんかが出演した映画。
いつの公開でしたやら
遠い日のことになりました。

この長い舗装道路は木津川飛行場の跡でしょう。
昭和の初めのころの大阪飛行場。
飛行場はやがて八尾に!
そして伊丹に移って行ったようですが。



木津川には 4 か所の渡船場がありますが
一番下流の木津川渡船に乗ります。

あ!ここの船はすごい。
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入り口の扉が自動ですね。
それにイスもあります。

航路の上に立派な新木津川大橋が架かっています。
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橋があれば渡船はいらないような気もしますがね。



渡船はあと 5 か所ありますが。
またそのうち企画しますので
生きていてくださいね!美しいまま。

「あなたもね」



(敬称略)
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