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細雪 住吉川 [町道!街道!眠り未だ足らず]

阪神(& 六甲ライナー)魚崎駅から
六甲ライナーの高架線路の下
住吉川をさかのぼります。
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六甲山の最高峰を正面に歩きます。

松の植栽が多い街ですが。
新しく植えた根元には
ローズマリーを植えていますね。
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ローズマリーは乾燥や寒風に強くて常緑です。
強剪定にも耐えそうなので
新しい街路樹として普及するかも。
街のレストランにとっては便利ですね。
目の前にハーブがあったら。

でも!松の手入れは大変そう。
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庭木と同じように手をかけているのかな。



倚松庵(いしょうあん)があります。
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「細雪(ささめゆき)の家」だとか。
谷崎潤一郎が小説「細雪」を執筆した家らしい。
魚崎駅あたりにあったようですが
六甲ライナーの建設時に移設されたとか。

谷崎は関西にきていく度も引っ越したらしく
いたるところに旧谷崎家があるのでは。

谷崎は江戸っ子の変な
宵越しのカネは持たないという気質?!
大きな印税が入るとすぐ大きな家に越し
印税が激減すると税金が払えなくなって
出て行くという繰り返しだったのかも。

倚松庵という家も数軒あるのでは。
その中で
一番長く(1936 ~ 1943)住んだ家でしょうか。

余談ですが
大阪の船場(せんば)道修町(どしょうまち)にある
谷崎の文学碑に
「春琴抄」の自筆原稿の複製があります。
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その原稿用紙に「倚松庵用箋」と刷られていました。



細雪は大阪の船場が舞台という認識が
なんとなくありますが
船場を出て行った後の姉妹のはなしのようなので
この家が舞台なのでしょうか。
いや!舞台は芦屋でしたか?

元来読書は嫌いで
ましてこんなテーマの小説には
なんの興味も湧かないので
読んだ記憶はありませんが。

道修町(どしょうまち)の薬問屋生まれの
正真正銘の船場っ子の
三島佑一四天王寺大名誉教授は
細雪の
船場(風俗・習慣・心情等)の記述はおかしいと
早くから指摘していましたが。

第一ことばが変だとも。

いろいろと
レクチャーされたことがあると思うのですが
さっぱり思い出せません!すみません。
ああ!船場には
「こうと」といういいことばがあるのに
谷崎はまったく書いていないと
残念がっていたことを今!急に思い出しましたが。

着物なんかを選ぶときに
派手さ具合を表すことばを順に並べると
「派手」「はんなり」「こうと」「地味」になるそうな。

「こうと」は「高等」の意味もあるとか。
地味だけどシックらしい。

あ!偶然手元にあった
三島佑一著/谷崎潤一郎と大阪/を見たら
方言指導(?)は松子夫人らしい。

細雪の船場ことばの不備を残念がって
「もっとよく目を通していたらよかった」と
長女にもらしていたことがあったとか。



神戸は狭い平地に
阪神とJRと阪急と
3 鉄道が並んで敷設されています。

左に曲がって行く六甲ライナーと別れて
ほどなくJR東海道本線。
ですが!線路が見えません。
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川が上にふくれて(!)います。

もともと住吉川は天井川なんですが。

源流は六甲山です。
正面の六甲最高峰のトップ(931m)でないとしても
その南の東おたふく山でも標高は 697m もあります。

海まで 8km あるかないか短距離でしょう。
大げさにいえば滝のような急勾配の流れですね。

特にこのあたりの勾配は顕著で
線路の方が下に潜っています。



さらに上流に阪急の鉄橋が見えてきました。
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ここはフツーに鉄道が上部ですね。

でも川の中の小さな滝は減ることはありません。
石のかたまりは魚道だそうです。
いいアイデアです。
昇る魚は精気あふれていて
川の中心の水流の激しいところを通ることが
多いような気がします。
そんな場所にも造れそうな。



この急流を利用して水車産業が起こったようです。

油搾(しぼ)り!精米!製粉等の水車小屋が
88 か所あったそうな。
灘の清酒造りの一端をになっていたのですね。

「灘目(なだめ)の水車」だそうです。
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観光モデルとして復元されたのかな。



大寺院のような!城のような建てもの。
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昭和 6 年(1931)開館の白鶴美術館。
白鶴酒造の 7 代当主が造ったらしい。
そんな昔から
美術館という認識が日本にあったというのが
私にはふしぎな感覚。

入館料 800 円。
私には美術品の鑑賞眼がありませんから
いつも通り過ぎるだけですけどね。



(敬称略)
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