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河内の幻の宮 道鏡暗躍 東弓削遺跡にて [スペインのハエ (R-18)]

恩智(おんぢ)城跡だとか。
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大阪平野の東。
生駒山系の高安山や信貴山の登り口あたり。

れんが造りの校門らしきものがあります。
かつては小学校があったのですね。

見晴らしがよろしい。
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私のように窓から景色ばかりながめていたら
勉強になりませんね。はは。

小学校は明治時代でしょうか。
城は中世のころ。
さらにさかのぼれば
この眼下に「宮」があったそうな。

わが家ではサイコー(!)で唯一の
インテリジェンス(?)な歴史年表の
「読める年表・日本史」(自由国民社)に

「称徳天皇が河内国由義(ゆげ)宮へ行幸
「由義(ゆげ)宮を西京とし
「河内国を河内職(しき)として

なんて
阿呆な人生では
今までまったく
知る由もなかったことが書いてありました。

769 年のこと。

孝謙女帝(718 ~ 770)が
重祚(ちょうそ)して
称徳天皇になってからのことでしたか。
つまり
弓削(ゆげ)の道鏡(700 ~ 772)という
ブレーンを得てからのことですね。



聖武天皇の死後から桓武天皇までは
現在の政治のように
だらだらした倦怠期で
教えられることもなく
こんな場所に(失礼!)
「宮」や「西(の)京」があり
現在の「省」みたいな大きな役所の
「職(しき)」が置かれたなんて
歴史に埋もれてしまっていませんか。

自分が知らないから
人も知らないと思ってはいけませんが。

それが出てきたのですね!最近。

昨年(2016)からの発掘調査で
弓削(ゆげ)寺の七重の塔の跡をはじめ
いろんな遺物がぞくぞく出てきています。



今日(2017/08/20)の
八尾市と八尾市文化財調査研究会の
説明会の現場は
塔の基壇が出てきたところから
500m 離れたところ。
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かなり出ていますね!建てものや溝の跡。

人工河川跡も。
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その川の横に井戸の跡があるのは面白い。
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やっぱりあったのですね。
幻の宮が。



このあたりは道鏡の生まれたところ。
とにもかくにも
称徳天皇は道鏡に便宜をはかり過ぎ!?

後世の人は
称徳女帝は惚れたオトコに貢ぐ
世間知らずの深窓の令嬢にしたがります。

それは想像に難くないですね。

巧言令色!性技に長(た)けている
カザノヴァ(カサノヴァ)にだまされる
良家の夫人や令嬢。

女とカネにだらしないのが分からなくて
鉄幹を信じるお嬢さん育ちの与謝野晶子。

称徳天皇もまたおなじかな。



日本には男性器が大きいと無条件に
女性が恍惚となるという
神話(?)があります。
これは
男性側の一方的な思い込みでしょうけど。

そんな羨望(?)の落語も多いような。

「揚子江」なんて落語には
向こう岸が見えないほどの川幅の
橋になるほど
大きい持ちものが出てきますな。

「紀州飛脚」ではアゴがはずれていますな。



道鏡も「なに」が大きかったから
女帝がメロメロになったと
だれかがいい出したようで。

「道鏡は 座るとひざが みっつでき

なんて川柳がよく引き合いに出されます。
川柳ですから
江戸に入ってから作られたのでしょうけど
だれの作ですか。



江戸時代の「耳嚢」には
あまりにも大きな一物のため
馬を妻(?)にした悲しいはなしがあります。

そんな昔のことではなく
大相撲の三保錦大輔は
巨根の持ち主だったとか。

大正 12 年(1923)生まれ。
歌手の元・大関増井山があかちゃんのとき
子守をしていた人だそうな。

大相撲では
男性器のことを
「肩口」というのだそうですが
その肩口が
前述の道鏡の川柳のようだったとか。

ともかく大きいことは
いいことかどうか知りませんが
大き過ぎるのはいいことでもなんでもなく
かえって困っているはなしが多いですなぁ。

宝暦 2 年(1752)の遊女の性技指南書の
「おさめかまいじょう」には
「馬まら」の対処法が書いてあります。

まともに人間の(!)女性では
太刀打ちできないモノが
くるときもあるのですね。
対処法が書かれているということは
ときどき
そんな持ち主がいたのかも知れません。



そんな訳で
称徳天皇が道鏡と
男女の仲じゃないとここまで優遇しない!?

それは否定も肯定もできませんが
ふたりがわがままに
わが世の春を謳歌したのは
重祚(ちょうそ)して
道鏡を大臣禅師に任命してからですよね。

それは 764 年のこと!?

称徳帝は 40 歳半ば。
18 歳上の道鏡は
古希に片足をかけています。

年齢が、、、?!

それがどうした!?
といわれれば!
返すことばもありませんが。

いくつになっても!
死ぬ間際まででも!
燃える人は燃えるでしょうから。

私の周囲のアラフォー(around 40)の
おね~さん方なら
「性衝動」に関するかぎり
18 娘と変わりませんからね。

1,200 年前の女性も
体の仕組みや習慣がおなじかどうか
あたしゃ知りまへんけどね。



暑い!

残暑の発掘現場でそんなことを思いながら
大汗をかいているとは
寂しいことですねぇ。
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(J・カザノヴァ著/恋と賭博の修業/窪田般彌訳)
(露の五郎(兵衛)著/つゆの艶ばなし/)
(根岸鎮衛著/耳嚢/長谷川強校注/)
(石井代蔵著/続・相撲畸人列伝/)
(渡辺信一郎著/江戸の性愛術/)
(西沢爽著/雑学艶学/)参照
(敬称略)
タグ:カサノヴァ
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土坑が出た 長岡京の夏 [町道!街道!眠り未だ足らず]

長岡京の右京の北の端のほう
二条三坊あたり。
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稲の穂が出ています。
のどかな田園地帯。

長岡第十小学校の校庭から
長岡京時代の掘立柱建てもの跡と土坑!
縄文時代の土坑群が確認されたそうな。
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地表からすごく浅い。
しかも近世に
50cm ほどかさ上げしたといいます。
どうしてこんなに堆積物がないの?!

それはまた考えるとして
掘立柱建てものとは
なんとなく分かりますが
「土坑」ってなんですか?
「どこう」と読むんですかね。

これ!?
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穴ですね!なんの変哲もなさそう。
東西 2.5m 南北 4m 深さ 1.4m あまり。

他にこれより少々小さな土坑がふたつ
みっつ南北に並んでいました。

中から土師器(はじき)片と
須恵器(すえき)片が少量出たくらい。
ゴミ捨て穴じゃないようです。
粘土採掘跡でも便所遺構でもないようです。

まさか当時の町の中の建てもののすき間に
狩猟の落とし穴やら
墓地やらに掘った訳じゃないでしょう。

客土ですね。
「ここの呪われた土を入れ替えなさい」と
呪術師(!)がいったのです。

すみません!
私が呪術師なら
そんないいかげんなことをいうでしょうね。
忘れてください。



今日(2017/08/19)の
長岡京市埋蔵文化財センターの現地説明会は
やさしいですね。

暑いので見学者に冷水を用意したり。
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日除けのテント(タープ)を立てたり。
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それにしても大勢の人ですね。
あんまり交通の便はよくないのに。

この遺跡の真東に緑の丘があります。
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長岡京を北から鳥瞰(ちょうかん)したら
こんな感じ。
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緑の丘が右手から南に延びています。
これを長岡と呼んで
縄文時代から長岡という集落があったので
京(みやこ)の名前になったと
聞いたことがあったような。



あの丘に向けて歩きます。

この町の街路樹はサルスベリ!?
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どの無人販売所にも
ピーマンの類とナスばかり。
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野菜の端境期かな。
ナスを買って背負います。

長岡京は今の行政では長岡京市や
京都市西京区や大山崎町やらに
またがっているのかも知れませんが
長岡宮があるのは向日市(むこうし)です。

その向日市の名前の由来の向日神社が
あの(!)飛び出た丘の上にあるのです。
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丘の端っこから
現代の長岡京(!)を俯瞰(ふかん)します。
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1,200 年前のなんの面影もありません。



ふと寂しくなりました。

騎驢三十載
 きろすること さんじっさい

旅食京華春
 りょしょくす みやこのはる

唐の詩人・杜甫(712 ~ 770)は
長安の京(みやこ)で
この有名な詩を残しています。

科挙の試験には合格しないで
30 歳半ばを過ぎ
制科という試験にも落ちたのですね。

それは杜甫のせいでもないかも。
玄宗はすでに
フツーではなくなっていたのかも。
楊貴妃に心も体も束縛されていて。

なん度も苦渋をなめてきた私は
この丘に立てば
なぜか突然
杜甫の無念さに泣きたくなりました。

長岡京はその杜甫のおなじ時代かも。

長安城は東西 9.7km
南北 8.6km だったそうですから
長岡京はその1/4の規模。

そして 10 年(784 ~ 794)の命。
なにがあったのでしょう。

今見ると京の南東の角が桂川の中です。

川の中に京を造ったとは思えません。

当時の桂川の位置が違っていたのか。
それともそのうち簡単に流路を替えたり
干拓等制御ができると踏んでいたのかも。
分かりません。

でも結果!川に京の南東角をえぐられた!?

それに四神相応の思想が
あったのかなかったのか
北の玄武にあたる山がないような。

それで平安京遷都が行われた?!
ま!根拠は薄弱!寂しい思いつき。
忘れてください。



向日町競輪場に裏から入場。

レースはなく場外車券だけ売っていました。
暑いので!当然だれもいませんよね。
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冷房のきいた車券売り場に
淡々と投票するおじさんやおばさんが
たむろしています。

ここは飲食物を売るブースが 20 以上あります。
観客の規模からいえば!すごく多い。
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でも!今日は元気がありません。
シャッターを下ろしている店も多い。

なにか B 級グルメをと思ったのですが
そのまま正門から抜けて
とぼとぼ阪急・東向日駅へ。

駅前の栄久堂の「天国と地獄」という
まんじゅうを買いました。
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税込み 120 円!
辛いのなんの!

向日市は町をあげて
「激辛」商品を扱っています。



(田川純三著/杜甫の旅/参照)
(敬称略)
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神戸ワイン城 真夏のハイキング [みんなで歩けばこわくない]

8 月の定例
仮面(氏素性不問!寄せ集め)の
おにぎり 1 個持参のハイキングです。
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「じっとしていても暑いのに!」
「こんなときによくまぁ!企画するわね!」

「こんなときによくまぁ!やってきますね。

朝!阪急・梅田駅にだれもこなかったら
私はひとりで
涼しい映画館にでも行くつもりでしたよ。

アブラゼミが鳴いています。
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六甲山系は涼しい(?)じゃないですか。
わが家の周囲には 100 %クマゼミ!
暑苦しいのなんの!
アブラゼミがなぜか
涼しく感じるようになっています。

「あれは?!」
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「タカサゴユリでしょうか!?
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わが家から消えて久しい。
さらさらとした軽い種子ですので
繁茂地を移動して
命のリレーをしているみたい。

「じゃなくて!上の、、、!?」

「ぶどうです。

神戸ワイナリー農業公園(神戸市西区)に
着いたのです。

ここはヨーロッパ流に垣根仕立てです。
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「あ!おいしそう!」
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「食べないでくださいね。

「消毒液がかかっているから!?」

「違うでしょ!泥棒になるからでしょ!



「少し園内を歩きます。

「園内って?」

「丘をふたつほど越えるだけです。

「もういいよぉ!」

「少し汗を出して
「ハラまわりをしぼってあげようという
「親心です。

「親でもないのに!」
「心配してくれなくてもいいよぉ」

陶芸館です。
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登り窯だってありますね。
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炭焼き用かな。
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民具農具館は江戸時代の建てものかも。
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ひまわりの丘!
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今年は播種後から開花までの
日数が短かったと
各地で聞きましたが。



神戸ワイン城・中央広場へ行きますよ。
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この
アラフォー(around 40)のおね~さんとは
なん度もきて
大酒を飲んだような記憶がありますが。
意外に初めての人も多かったようです。

じゃ!ショップで試飲させてもらってね。
帰りに買ってあげてね。

それから地下の熟成館へ。
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つぎに工場館!製品館!
外の仕込みや熟成設備へ。
流れが無茶苦茶ですね!はは。



では!ランチです。
例年 8 月だけは
「おにぎり 1 個」の
ハイキングの掟(おきて)を破り
ちょっと豪華(?)に外食しています。

もっとも掟に縛られていたのは
私と元・相棒の発情した!あ!もとい!
スレンダーな!ちょっと見が美しい淑女の
アラフォーおね~さんだけでしたが。

バーベキュー場へ行きますよ。
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ひとり 2,500 円徴収。
ワインはたっぷり!
お好きなだけ!
死ぬほど!
自前(!)で飲んでください。
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ここには白ワインの辛口がそろっていました。

大昔!白ワインの辛口が少なく
山梨から取り寄せていましたが。
そうまでして飲まなくてもいいような。

今日はすみませんね!
私!買わないのにつぎつぎ回ってきて!
回ってきたら遠慮もしないで飲んでしまって。



ひとり 362 円余剰金が出ました。

「ハイキングの企画・引率に経費がいるでしょ!」
「返さなくてもいい!」なんていいますが
どうしましょう。

甘えてしまったら
口のきき方を変えなくてはいけないような。
「はげ」「でぶ」「あほ」の単語が
使えなくなるような。

自民党の豊田真由子衆院議員のように
「はげ~!」と絶叫はしませんが
とっさにお名前が出ないとき
「はげちゃん 3 号」とか
「ピンク豚(とん)ちゃん」とか
「発情おばさん」とか
失礼なことばかりいっていますね。
ごめんなさい。
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木槿 むくげ 屋根に登ってんか [解語の枯れ尾花]

ジャカランダ(拙ブログ 2017/06/24)が
咲いています。
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この夏の空に。
暦の上では秋ですよ。
なにかふしぎな光景。

初夏のように
雲霞のごとくとは咲いていませんが
高いこずえの先に人知れず咲いています。

長居植物園(大阪市東住吉区)の隅ですが。

ジャカランダの下の
イナゴマメ(拙ブログ 2017/05/08)の実が
黒く熟してきています。
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横にムクゲ(木槿)が咲いていましたが。
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ムクゲの花には
たくさんの種類があるようですが
基本の花色はどれなんでしょう。

あ!?
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「言(こと)に出(い)でて
「言(い)はば忌(ゆゆ)しみ朝皃(あさがほ)の
「穂には咲出(さきで)ぬ恋もするかも

万葉集を書いていますが。

この万葉集の「あさがほ」
ムクゲのことなんですかねぇ。



松尾芭蕉の有名な句。
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「道のべの 木槿は馬に くはれけり

芭蕉の時代にはたしかに
「ムクゲ」は「木槿」でしょうけど。

江戸時代には馬が道草するほど
ムクゲの垣根があったということ?!

原産国は中国だ!
東南アジアだ!アルメニアだと
本を開くたびに
それぞれの説が記述してあります。

そのムクゲがいつ渡来したのか!?

少なくとも
万葉時代にはなかったという見解が
多いのですが。

今!万葉集から「あさがほ」を探してみると
朝貌 (1538)
朝杲 (2104)
朝容貌 (2274)
朝貌 (2275)
安佐我保 (3502)
これらはみんなおなじ
「あさがほ(朝顔)」なんですかね。

それに今
私たちがフツーにイメージする朝顔も
万葉のころに歌に詠まれるほど
日本に定着していたものかどうか。

キキョウ(桔梗)のことだ!
ヒルガオ(昼顔)じゃないか!
なんて主張する人もいますが
固有名詞じゃなく
朝咲いている花はみんな朝顔!?
特定することもない!といえば
叱られますか。



あら!?
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ムクゲの横で
静かに咲いている花がありました。

ムクゲにどことなく似ていますが
花は小さく!数も少ない。

これ!
「屋根のぼってんか」じゃないんですか?!
表示が見あたりませんが。

アラフォー(around 40)のおね~さんが
「母が見た」といっていましたね。

「屋根のぼってんか」は
大阪弁です。
「屋根にのぼってくださいね」とか
訳せばいいのかな。

そのときは聞き流していたのですが。

ま!
「屋根のぼってんか」じゃなく
「矢の根梵天花(やのねぼんてんか)」でしょう。

屋根にのぼるほど伸びて行く木じゃないですね。

ん!
今!園芸大百科事典(講談社)を見ると
「パボニア」の中では
「ヤノネボンテンカ」が
よく知られていると書いてあります。

それがこれですが。
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全然似ていませんね。
じゃ!間違いかな。
長居植物園で聞いてみたらよかったですね。



「白むくげ もくりもくりと 咲きいでて
「少しは空も 秋らしくなる    尾山篤二郎

ムクゲは秋の季語なんですね。



(白文 万葉集/佐々木信綱編/参照)
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モダン焼きフジ 清水寺千日詣り [平安京有情]

京都です。
某大学の時計台の下でしばし立ち尽くします。
これから数時間のスケジュールが
急に飛んでしまいました。

私の都合ではありません。

自慢じゃないですが!といいながら自慢しますが
ここ 10 年!自分で企画したハイキングなんか
毎月 1 ~ 3 度催行してきましたが
台風で交通機関が止まった 1 回をのぞいて
中止したことはありませんがね。

ま!人の都合を責めてはいけません。
やがていつか
私もあやまるときがくるでしょうから。

百万遍さん(知恩寺)に寄って
法然上人に反省を入れてから
京阪・出町柳駅に向けて歩きます。

「モダン焼き」専門店(!)の「フジ」です。
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あんまり「お好み焼き」には
食指が動かない人生なのに
なぜか今日は目につきました。

「サービスランチ」がお得そうですね。
入店してみます。

おお!「モダン焼き」のメニューがずらり。
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眼前に数十はありますね。
左右に目をやれば
その 3 倍くらいになるのでしょうか。

「モダン焼き」ってなんでしょうか。

お好み焼きに
そばやうどんや中華麺等
ま!麺類を合わせたものでしょうか。
簡略に
お好み焼きの具に麺も使ったもの!といえば
叱正されるでしょうか。

実際!私の前で溶かれた粉が
鉄板に丸くのばされて焼かれ始めました。

そこへウスターソースみたいなもので
濃い色!濃い味をつけてきた
そばを持ってきてのせました。

その横で鶏卵が 1 個
丸くのばされて焼かれました。

そばのせお好み焼きがひっくり返されて
たまご焼きの上に重ねられました。

たまごと小麦粉の間に
そばがはさまったものが完成。
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サービスランチはこれに
「フジ玉子」なるものと
「味付ライス」なるものがつきます。

「フジ玉子」とは
目玉焼きとも
ポーチドエッグともよく分からない半熟卵に
だし醤油みたいなものがかかっています。

「味付ライス」とは
具の入っていない炊き込みごはんみたい?!

税込み 720 円です。



今夜(2017/08/16)は
五山の送り火があります。

予定ではここから近い
鴨川の上流の
賀茂川の堤防から見るつもりでしたが。

送り火の点火は 8 時から。
まだ 7 時間以上あります。
待てませぬ!帰ります。

京阪に乗ったものの
清水五条駅で降りました。

清水寺の「千日詣り」を思い出したのです。

六波羅蜜寺に寄り平清盛の塚に合掌。
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向こうの集まったお地蔵さまの袈裟が白い。
白い色がなぜか今日は印象的。

松原通りに出ましょう。
清盛のころには
五条通りだったかも知れませんが。

「幽霊子育飴」があります。
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「幽霊子育飴」やら「六道の辻」やら
「小野篁(たかむら)」やら「六道珍皇寺」やら
「鳥辺野(鳥部野・鳥戸野)」やら
他国の小心ものの私には
おどろおどろしい地域ですが
地元の人は
「ハッピー」に生きているんでしょうね。
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六波羅は六原と書くのですね!なるほど。



坂を上って行けば細い路地に観光客。
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八坂の塔かな。
海外の観光客のみなさんよくご存じで。

外国の若ものたちがたむろしています。
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アイスキャンディですかぁ!
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おいしそう!
のども渇いています。

でも!食べていませんけどね。
1 本 500 円!ですもの。
貧乏人は持参のぬるくなった水を
飲みながら歩を進めます。

三年(産寧)坂近くなると
観光客が増えに増えて
芋の子を洗うようにおしくらまんじゅう。

土産もの店の軒先には
やっぱり「千日詣り」の提灯だらけですね。
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ほうほうの態で清水寺に。
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浴衣姿の外国のおね~さん方がいっぱい。



清水寺の「千日詣り」は最終日。
「採燈大護摩供」の日かな。

ほら貝の大合奏が聞こえる
三重の塔の下に行きます。
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「五山の送り火慶讚の仏教行事」だそうですが
よく分かりません。

おごそかに延々と執り行われています。
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ときどきながら
私もいっしょに「般若心経」を
なん回か唱和しましたよ!暇なもんで。

たまたま今日は持っていた
脚立の位置をなん度か変えていたら
点火!やれやれ。
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くさぐさのものを隠すけむりでしょうか!
いい感じです。
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それもつかの間。
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この後
今夜は 9 時半まで
内陣のほうでなにかあるようでした。



この夏は「千日詣り」を
3 度したことになります。
拙ブログ 2017/08/02 2017/08/10
積極的に参加したのかどうかはさておいて。
いいことがあるかも。

夏が行きます。
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