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大阪城の配水池は125歳 [いわなが姫の丑の刻参り]

大阪城の南の教育塔。
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大きな塔ですがなんの歴史があったのやら。
なにかの勉強会(?)のとき
ときどきレクチャーされたような!
そんな気もしますが。

ま!注目する人はほとんどいませんね。

この塔の向こう側!すなわち東側に
「あじさい・うつぎ園」があります。

早咲きの花があるなんて
どこかのアラフォー(around 40)の
おね~さんがいっていましたが。
ガセネタでした。

なんにも咲いていません。

一番櫓が見えます。
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南外堀の縁を歩くなんて!なぜか新鮮。
長い間なかったような。

一番櫓のほうへのぼります。

途中で
先月植えたシロバナタンポポを訪ねます。
2 か所とも
雑草とカンサイタンポポに紛れていました。
もしかして消えたのかも。
そうなら可哀そうなことをしましたね。

わが家にいたら
もう少しだけ長生きしたはず。

豊国神社の鳥居は角柱。
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桜門をくぐって本丸の日本庭園。
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どこにも人がいませんね。



天守閣には入場できます。

新型コロナウイルス禍で
前後に入場するものはいません。
それなのに
なん人いるんですか!門番(?)が!

検温だ!名前を書け!だのと。

エレベーターは使用禁止。

使用したことはなん年もありませんがね。
使用できないといわれれば
急に疲労感におそわれます。

ああ!階段の蹴上げが高く感じます。
20cm はないでしょうけど。

いやなことは!早くかたづけましょう。

1 階の高さは 5m くらいありそう。
一気にのぼります。

5 階から上!
ステップが多くありませんか。
あれ!?
7 階になりました?!どうして。

バカですねぇ。
降りて確認。
降りれば 5 階!?

ん!?
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この頭の上の
キャットウオークみたいな通路が
6 階ですって?!



8 階が最上階。

初めてじゃないでしょうか。
こんなに観光客がいなくて
ゆうゆうとながめられるのは。
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それなのに!
下手な写真しか撮れていません。
人の肩越しにパシャパシャと
シャッターを切っていたときのほうが
いい画像が得られていたかも。はは。

天守閣に隣接した東側に
ふしぎな芝生の広場。
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観光客にあんまり
ここの説明はありませんが。



降りて天守閣の裏!東に回ります。
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まさにバックヤード。
人に見せられる場所ではないようです。

芝生広場には侵入できないように
厳重に防御されています。

昔!レクチャーされているものの
ほぼ忘れていますが
この芝生の下は「大手前配水池」ですね。

明治 28 年(1895)竣工。
古い!
今でも現役。
36,000 世帯の水がめ。
自然流下で上水を送っています。

フラットな大阪市内の中で
ここが高台だったのでしょう。



天守閣の東側の石垣が乱れています。
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米軍の空襲の被害。

コンクリートを充填して
崩壊をとめているのかと思いましたが
打込接(うちこみはぎ)の
間詰石(まづめいし)のように
すき間ができたところに
石を詰めているのかも。

大阪城の石垣の中には
コンクリートを使っているところも
あるような気がするのですが。
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隠し曲輪(くるわ)で休憩。
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ここの石垣には刻印が多い。
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丸に I の字の十字は伊予大洲藩!
丸に二八は丹波園部藩(但馬出石藩)かな。

これは刻印ではなく!米軍の機銃掃射の痕跡。
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機銃掃射跡なら一段下
山里丸の下のほうにあるものがすごい。
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終戦の前日(1945/08/14)まで
機銃のタマと爆弾が
雨あられと落ちてきていたそうな。



あじさいを見にきただけなのに
南から北に抜けてしまいました。

極楽橋から振り返ります。
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やっぱり観光客は全然ですね。
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