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おかしな奴 三田佳子のパン助に泣く [活動写真]

映画「おかしな奴」(1963 年 東映)を
観ました。

3 代目 三遊亭歌笑(1916 ~ 1950)の
一代記!?
そのつもりで観に行ったのですが
私の知っている歌笑ではないですね。

もっとも
伝記のディテールは書によって違います。

実際に交遊関係にあった
小島貞二のはなしを
信じてしまいますけどね。
ま!それが 100%真実かどうか。

歌笑は 33 歳で
進駐軍のジープにひかれて死んだのですが
その死ぬ前の 5 年間!
爆笑王の名を
ほしいままにしていたようです。

輝いたのは 5 年!
長いことはないでしょうけど
短いかどうか。
輝いた人はしあわせでしょう。

映画は歌笑をモデルにしたストーリィと
解釈したほうがラクですね。



映画は爆笑王の部分ではなく
悲しみを前面に出しているようで
泣けました。

映画を観ていたら
ストーリィと関係ないところへ心が飛んで
涙が出てしかたなくなる
変なヘキを持っているのですが。
それではありません。

歌笑は極度に視力がなく
珍な顔は人間離れしていて
化け!とか
ゲテ!とか
あんま!とか
終生呼ばれていたとか。

兵隊検査で「丙種」になったとき
工場を経営している名士の父親が
「この家からおまえのようなものが出たのが」
「恥ずかしい」と家族の前でいいます。

生来のからだの欠陥なら恥ずかしいもなにも。
だいたい!
おまえがつくった(!)子じゃないのかね。
悪いというのなら親が悪いのでしょう。

名士の家には
身心強健な「甲種」合格でなくては
いけないのです。

その下に
「乙種 1」「乙種 2」がありますが
まぁ!兵役にはつけそう。

「丙種」は極めて欠陥の多い肉体。
その悲しい(?)丙種なんですね。



作家の田辺聖子には親兄弟!親戚が
美男美女ばかり。
その中で「ややこしい」顔といわれて
大きくなったとか。

「ややこしい」ということばは
大阪弁になると(拙ブログ 2013/03/16
大変たくさんの意味を持っています。

いずれにしろ
「マイナス」的な要素ばかりですが。
それでもくじけずに文豪になるとは
エラいですねぇ。

私も身内の中で飛び抜けて「変」!
身につまされます。
迷惑をかけたくないので兄弟には
あまり近づかないようにしていますが。

私のことはともかく
映画は初めから涙がとまりません!ああ。



古典落語を捨てて
「歌笑純情詩集」で一世風靡します。

ブタの夫婦がのんびりと
畑で昼寝をしてたとさ
夫のブタが目を覚まし
女房のブタにいったとさ
いま見た夢はこわい夢
俺とおまえが殺されて
こんがりカツにあげられて
みんなに食われた夢を見た
女房のブタが目を覚まし
あたりのようすを見るならば
いままで寝ていたその場所は
キャベツ畑であったとさ

7 5 調ですね。
日本人には 5 とか 7 とかの
モーラ(拍)は心地いいのでしょう。

歌笑はこういう詩をたくさん創作して
高座にかけて!ウケていたのです。



余談ですが
昭和 20 年前後にはもうカツの皿には
キャベツをつけることに
なっていたのですか。

明治の終わりの「食道楽」や
昭和の初期の「野菜百珍」には
キャベツのこんな使い方はありませんけどね。



歌笑の前には「金三詩集」があったのですが。
柳家金語楼の金三時代の高座。

ちなみに急死した歌笑の代演に
柳亭痴楽(4 代目)が出て
7 5 調の詩を創作したのですね。

それは
「痴楽綴り方狂室」と命名されています。
痴楽の音声は
なん度か聞いたことがありますが。



高座の画面に「めくり」が出てきます。
めくりとは出演者名を書いた紙製の札。

めくりは上方落語の独特なものだったと
人間国宝・桂米朝がいっていたような。
昭和 20 年代にはもう
東京の寄席に採用されていたのでしょうか。

渥美清が歌笑を好演していました。
まだ「フーテンの寅」を演じる前ですね。

ふたりの女性が花を添えます。
これは創作でしょうけど。

心寄せたとてもすなおないい娘の
「おひさ」が戦後再会したときには
「パン助」になっていました。

泣けますねぇ。

「パン助」とは進駐軍相手の売春婦のこと。
ここにその単語を
書いていいのかどうか知りませんが
映画ではなん度も出てきました。

また!三田佳子のパン助役!いいですね。
私は生意気にも
この女優さんは好きではなかったのですが
ただ!泣けました。


新型コロナウイルス禍で
映画館の席はひとつおき。
いつもの定位置(!)
一番後ろの右端で見ました。

ポロポロ!涙が出ていても
あまり気づかれない席です。はは。



(岡本和明著/昭和の爆笑王 三遊亭歌笑/)
(小島貞二著/こんな落語家がいた/)参照
(敬称略)
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