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邪馬台国の台与の眠るみささぎ [いわなが姫の丑の刻参り]

天理教の本部を通過します。
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秋晴れですので
山の辺の道をゆるゆると歩きます。
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雄鶏の声がとぎれず聞こえる
日本最古といわれる石上神宮に着きました。
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いろいろな種類の鶏が境内を徘徊しています。

あら!おにいさん!
唄うにはいいポジションを確保していますね。
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鏡池の前。
ワタカ(馬魚)の生息地として
知られていますが
見えるのは錦鯉が泳いでいるだけ。

芭蕉の句碑が立つのは
内山永久寺の本堂の池の跡。
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“永久”に存続するはずの大寺院も
いわれなければ気づかないほど
完全に消えています。



山の辺の道は
JR万葉まほろば線の天理駅から
桜井駅まで 15.8km を
ハイキングコースに設定されています。

こんなにゆっくり歩いていたら
日が暮れそうですが。

柿園が多い。
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中途半端なマルチ(根元の覆い)ですが
もしかしたら
柿の実の色づきをよくする目的!?

オブジェにあらず。
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古い枝の更新でしょうか。
枝を思い切りよく落とされた
柿の木の畑も多い。

柑橘園もあります。
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十月桜かな!咲いています。
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この場所でこの桜の花。
今までよく遭遇しているような。
花期が長いのかも。

無人販売所にあんまり野菜がありません。
里芋を買いましょうか。
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綿のタネが売られています。
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カラスウリの実が赤い。
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有名なハイキングコースですが
ハイカーに出会いませんね。



民家のすてきな塀の横を通ります。
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西山塚古墳。
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下池山古墳。
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右も左も古墳だらけです。

最近!盛り土の丘を見て
「古墳だぁ」と叫ぶと
「それは墓です」と
冷ややかにいわれたりします。

「それは墳丘」「あれは墳墓」なんてね。

古い土盛りの墓は
みんな古墳じゃないのですか!?

違うらしい。
「古墳時代のものだけが古墳」らしい。
墳丘!古墳!墳墓!それぞれ違うらしい。

そんなこと!義務教育で教わりましたか。
ま!人は教わっても
私は習わなかった(?)ことが多くて
すみません。



山の辺の道から少しはずれて
衾田(ふすまだ)陵(西殿塚古墳)に寄ります。

大き過ぎて近くに寄ると
林としか思えませんが。
拝所へは彼岸花が誘導してくれます。
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宮内庁は継体天皇の皇后の
手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵墓と
治定していますが。
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地元では
邪馬台国(やまたいこく)の
卑弥呼(ひみこ)の後継者の台与(とよ)の
埋葬地じゃないかといっています。

台与は壱与(いよ)とも称せられています。

三国志の「魏志倭人伝」の邪馬台国を
どうしてもこの地に比定したいようです。

そもそも無学なシロートは
邪馬台国とはふしぎな名称だと思うのですが。

大陸の政府は周辺諸国を見下して
それらの地名やら人名に
卑しい字をあてていませんか。

邪馬台国!?
「邪」も「馬」もそうみえるのですが
「台」は高貴すぎるでしょう。

邪馬臺國(邪馬台国)は
邪馬壹國(邪馬壱国)の誤写ともいわれますが。

でも「壹」(壱)もよさそうな字に見えますね。

もともと「臺」とか「壹」とかによく似た
卑しい字で書かれていたのですが
その字が珍しかったので誤写してしまった
という説に妙に納得させられます。

「壹與(壱与)」あるいは「臺與(台与)」も
そんな訳で原本と違うのじゃないですか。



近くの纏向(まきむく)遺跡を
邪馬台国だと騒いでいますが。

たしかに日本全国からきた物品が
出土しているようですが
それだけのこと!?

なにか「人」がいないんですよね。
「生活臭」がありません。

度重なる紛争があったというのに
「鉄の鏃(やじり)」の出土数が
他の遺跡に比べて極端に少ない。

鏡!勾玉(まがたま)もしかり。

絹は皆無!?

魏志倭人伝と違うじゃないですか。

住宅の展示場。
住宅の見本をいくつか建てて
客に説明しているあの施設を
連想してしまいました。

纏向遺跡は住宅展示場だったように思えた
頼りない!ふわふわした秋。
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