SSブログ

琵琶湖の沖島は日本唯一の島 [みんなで歩けばこわくない]

「どこに行くの?!ハイキングするの!?」

ハイキングするほど歩きませんが
琵琶湖の沖島です。

「行く!」

あの!島はお嫌いなのでは?

「だ~れがぁ!」

あの!朝早く出たいのですが?

「早朝にメールか!でんわしてよ」
「朝シャンとメイクする時間を考えてね」

なにかよく分りませんが
アラフォー(around 40)の
お色気とわがままいっぱいだけの
お局さまたちを従えて出かけます。

というのは
半年も経たないこの前のゴールデンウィーク!
「友ケ島に行きませんか」と提案したら
「島は嫌い!行きたくない」と
即断で却下した連中なのに。



ははは!雨ですね。

この夏!大阪は真夏日やら熱帯夜やら
尋常でない高温と日照の連続の日々だったのに
雨ですね!この日に限り。

琵琶湖特有のエリの向こうにあるはずの
比叡の山々が雨にかすんで見えません。
blog01.jpg

淡水湖の中の人が住む島。
世界的に稀有(けう)らしい。
もちろん!日本ではここ沖島だけだそうですよ。

まったくの森!高さ225m!案外!標高があります。
blog02.jpg

小学校が見えてきました。
blog03.jpg

全盛期には 1500 人も住んでいたのに
今はその1/4ばかり。
小学校と保育所はありますが中学校はありません。



漁業の島ですから漁港は思ったより立派でしょ。
blog04.jpg

なんの漁に使うのか
興味をひくトラップが干されています。
blog05.jpg

高台にへばりつくように建てられている
奥津嶋神社に上ってみましょう。

建てものは水際に密集していますね。
blog06.jpg

畑地・農地はないといえますか。

島の中の道の幅員はありません。
blog07.jpg

ガソリンを燃やすくるまもありません。
島内の乗りものは3輪自転車ばかり。

枝先を湖面に落としてトンネルになった
桜の小道がありました。
blog08.jpg

小さくて可愛いクワガタが落ちてきました。

とたん!ぎゃあぎゃあ騒ぐお局たち。

うるさい!し~! SHUT UP!
生娘でもあるまいに!小虫くらいで。
家が密集しているので
島内での大声は厳禁ですよ。



そう!コロッケを探しにきたのです。

最近!島でブラックバスとおから等で
クリームコロッケが作られているとか。

残念!
この日はブラックバスの漁獲がなく
コロッケもありませんでした。

代わりにエビ(海老)と大豆の煮もの
「えび豆若煮」を買いましょう。
blog09.jpg

雨がやみましたね。
でも!上がってはいないような。
大降りにならないうちに
蓮如の伝説の残る島を離れます。
blog10.jpg
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

河口慧海の学んだ寺子屋 [猫も歩けば棒立ち]

「自由都市」
「東洋のベニス」
「匠の街」とか形容されている堺。

南海・堺東駅前の
堺市役所の 21 階展望ロビーから街をのぞみます。
blog1.jpg

ここは庁舎なのに
曜日に関係なくいつでも上がれます。
無料です。



堺出身の偉人といえば
千利休!与謝野晶子!河口慧海!阪田三吉!
ま!浅学ゆえその他の人は今すぐ思い出せませんが。

利休!晶子!三吉!
不調法ながら素直にいえば
私にはどうも好きになれそうにない人たち。
すみません。

河口慧海(かわぐちえかい 1866 ~ 1945)には
なぜか若いときにあこがれましたね。

こどものときから今も
飽きっぽく根気のない性格なので
長文のものはハナから敬遠してしまうのですが
慧海の「チベット旅行記」は読みましたね!最後まで。
青春の前期のこと。



慧海が学んだ寺小屋が現存しているそうな。

地図をもらったので
市役所の前の観光案内所でレンタサイクルを借ります。

堺はまた自転車の街。
鉄砲鍛冶の技術があったから
明治時代に自転車部品の製造が容易に始まったようです。

自転車の街の
レンタサイクル・ママチャリは 1 日 300 円!保証金なし。
安い!
それにこの日は 60 円引いてくれました。
なんの理由か聞いたと思うのですが忘れました!あは。

ともかく!自転車で北へ北へ。
南海・七道駅と阪堺・高須神社駅の中間あたり
元・寺小屋の清学院に着きました。

清学院は寺院でしたが
堺市が買い取って
堺市立町家歴史館との看板をあげていました。

小さな机が並んでいます。
blog2.jpg

少年・慧海が座っていた机かも知れません。
慧海の生家はこの寺院のすぐ近くだったそうです。



「読み・書き・そろばん」の時代だったのでしょうか。
blog3.jpg

ひとつの単語を
最初は身近な町名なんかが多かったそうですが
漢字で習います。

その読みをかなで書きます。
さらにその単語に使った漢字の別の読み方を習います。

1 度に 三つのことを習っていたようです。



すぐ南にやはり堺市立町家歴史館という
山口家住宅がありました。
blog4.jpg

大きな家です。
江戸時代初期の町家だとか。

ほんのこの前まで住居としていたそうです。
よく保存されていますね。

こんな家に生を受けなくてよかったと
ふと思います。
とても!維持する力がありません。



堺市立町家歴史館!堺市立文化館!堺市博物館!
自転車博物館サイクルセンター!大仙公園内日本庭園なんかは
入場料が必要です。

京都や奈良の寺社ほど高くはないのですが。

どこも 65 歳以上は無料です。
(サイクルセンターは半額)

大阪市立の動物園なども
65 歳以上は無料ですが
ただし!市民だけ。
よそからきた人には適用されません。

が!
堺市は市外の人にも同じ対応。

わが大阪市の評判が悪いのもうなづけます。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

異教徒のきこく邸参観 [平安京有情]

「真宗の方ですか?!」

いきなり!想定外の質問。

え!?
は?!
いいえ!違います。

でも!親戚の多くは浄土真宗!
父の生家も真宗でした!
お西さんかお東さんか忘れましたけど。

あわてて!つまらん饒舌(じょうぜつ)!
しゃべっていてイヤになりますね。

しゃべりながら
ああ!ここは浄土真宗大谷派(お東さん)の
境内ということを思い出していました。



渉成園(しょうせいえん)を参観しようとして
朝一番に受付に行ったら
まず!そんな質問がありました。

うそも方便!
あっさり
「真宗です!南無阿弥陀仏」といえばいいのに。
アドリブには弱い性格です。

余談ですが
「南無阿弥陀仏」の発音が
本願寺派と大谷派では違うような。
つけ焼き刃で唱えてもバレますね。

しかし!
別段!とがめられることもなく入場できました。

渉成園は別名・枳殻(きこく)邸
生垣が枳殻(からたち)だったから
そう呼ばれたようですが
今はからたちなんてどこにあるのか分りません。

前回にきたときはいつでしたやら。
色気づいてだれかときたような。
それほどの大昔。
庭園なんて!なにも覚えていませんが。



あ!
入場してすぐぶつかる高石垣。
blog1.jpg

唯一!記憶にあります!
長い切り石と臼。
その他!自然石やらなにかの礎石やら
瓦なんかのいろんなもので石垣を造っています。

渉成園は 1653 年に名づけられたそうですが
たびたび火災や戦火にあい
今ある建てものは 1865 年以降の再建ばかり。

臨池亭(りんちてい)と
奥の滴翠軒(てきすいけん)は池の上。
blog2.jpg

どちらも明治 17 年(1884 年)再建
古い方です。


この庭園は
「池泉回遊式」といわれるものらしいので
池はていねいに保存されているようです。

大きい方の池。
blog3.jpg

奥の水の上の漱沈居(そうちんきょ)は
慶応元年(1865 年)!
それでも!もっとも古い再建らしい。

池の中の島には明治 17 年(1884 年)再建の
縮遠亭(しゅくえんてい)という茶室。
blog4.jpg

かつて東山三十六峰を借景にしていたとか。
今の借景はコンクリートの建てもの。
色気のないはなしですね。



あれ!?
菱(ひし)が咲いています?!
ピンクの花が!?
blog5.jpg

菱の花って!赤かったですか!

ああ!
赤いさるすべり(百日紅)の花が散っていたのですか。
blog6.jpg



10 あまりの建てものや
かずかずの景物があります。

源融(みなもとのとおる)の伝説のものなんかもあって
建てものの中には入れないのですが
庭園を歩くだけで 1 時間費やしてしまいました。

大玄関の方から帰ります。

大玄関の前にある小さな小屋。
blog7.jpg

「馬つなぎ」でしたか。

案外!狭いんですね。
ひとつの区画は 1.8m × 2.4m くらい。
目で測っただけですが。



京都駅の方へ南下して帰ります。

「京の旅館通り」という名前がついています。
blog8.jpg

こんな名前!初めて知りましたが
なるほど!
旅館がつづいていますね。
blog9.jpg
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

雁治郎横丁は消え精華通りもやがて [わが街・大阪ブギウギ]

あれ!?
精華小学校の正面はこちらでしたか。
blog1.jpg

年中!お祭りのように
にぎやかな戎(えびす)橋筋商店街。
道頓堀川の戎橋から南に高島屋までの
御堂筋に並行して東側を走るアーケード街ですが。

にぎやかな!
けばけばしいデコレーションの店舗ばかりの中に
忘れられたようにはさまれています。
blog2.jpg

裏に回れば
廃校になっても
まだ!取り壊されることもなく
立ち尽くしている威容がおがめます。
blog3.jpg

街灯に「精華通り」と書いてありますね。

戎橋筋の東の南北の通り。



この通りは昭和の初めのころ
初代・中村雁治郎(1860 ~ 1935)が
通っていた路地ということで
「雁治郎横丁」といわれて
昔の小説や戯曲にも登場していたのじゃないでしょうか。

この通りの北の突き当たり今のビックカメラの場所に
雁治郎が通わねばならない
大阪歌舞伎座があったのですね。

「ミナミの大火」と記録されている
明治 45 年(1912 年)の大火事で
あたり一面!灰燼(かいじん)に帰した後に
大正 3 年(1914 年)一大レジャー施設「楽天地」ができ
楽天地の跡に
昭和 7 年(1932 年)に
大阪歌舞伎座が建設されているのです。

雁治郎の最晩年のときの開業でしたか。
それでも「雁治郎横丁」だったのですね。

ちなみに
上方歌舞伎はしだいに凋落(ちょうらく)して行き
日本一といわれた歌舞伎の殿堂も
移転して縮小され新歌舞伎座になり
さらに小さく上本町駅横のビルに引っ越しています。



北側にまわり
千日前通りからビックカメラを見ます。
blog4.jpg

千日前と書いてある商店街をはさんで
東のビルはアムザ1000 。
ここが芦辺劇場の跡らしい。

パナソニックのHP「松下幸之助の生涯」に出てきます。

大正の初めに活動写真が娯楽の頂点になり
芝居小屋が次々に映画館に改装されていったそうな。

大正 3 年(1914 年)芦辺劇場も改装工事に着手。
その電灯工事の責任者が
大阪電燈の電工 19 歳の幸之助だったそうな。

電灯工事を電飾工事と書いてある本もあるようです。
外部のイルミネーションの工事だったのでしょうか。

ときの流れの中で
演芸場になったり封切り館になったり
やがて映画も演芸も忘れ去られ
今は往時をしのぶよすがはなにもありません。



雁治郎横丁は消えて久しく
精華通りもやがて改名されるかも。
精華小学校の校舎もじきに粉砕されることでしょうから。

というのは
今の市長は過去とか歴史とか出自とか
そういうものは封印したくて!
いや!抹消してしまいたくて仕方のない人のような。
古いものはいらないのですかね。
私がそう感じるだけかも知れませんが。

それもひとつの見識。
間違いでも正しいことでもありますまい。
人間の存在なんて
地球がちょっと身震いしただけで
消えてしまう存在ですから。
ましてアンドロメダ銀河(星雲)が
刻々と確実に接近しています。

(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

鯉の青柚子丼 [すててこ!しゃんしゃん!]

「べり!すぱいし~!」
「ベリ!スパイシー!」

おばちゃんが叫びます。

京都は錦市場にきました。
blog1.jpg

時間が空いたら
このあたりをよくぶらぶらしてしまいます。

でも!今回は予定をみんなうっちゃってきています。
ただ!暑かったので!
体力も気力も萎えて!涼み(?)にきています。



旅行客も外国人も多いですね。
国籍や老若男女を問わず
試食をするのがうれしい人が多いですね。

こんなきれいに並べられると
つい足がとまる漬けもの店。
blog2.jpg

とある店で外国のこどもたちが
試食品をつまんだら
おばちゃんが
「べり!すぱいし~!」と叫んだのです。

それは唐辛子の粉がいっぱいまぶしてありました。

なるほど!
注意勧告も国際色豊か。



私は必要以上にシャイですから
まず!しませんが
みなさん!試食している顔は笑っています。

それが拒否されて
泣きそうになったはなしを思い出しました。

漫画家の吾妻ひでおがホームレス時代に
その風体からか
スーパーで試食をさせてもらえず
落ち込んでいました。(吾妻ひでお著/失踪日記)

そうそう!某デパート関係者によると
警備室に万引き常習者のリストがあるそうな。
それと別に
試食品食い常習者の顔写真のリストも
貼ってあるとか!ないとか。

吾妻ひでおはその上!
試食品拒否リストに入っていたのかも。はは。



社会的な地位があると思われる人がいます。

近所では「先生」と呼ばれています。
たぶん!職場でも
「先生」と呼ばれているのじゃないかな。

「ワンカップを持って行きませんか」
なんて声をかけてくれます。

カップ酒を片手にデパートで
試食品を食べて歩くらしい。
同僚や友人とそんなツアー(!)をするのが
楽しいとか。

結構です!
私にはできません。
ステータスがないもので。
そんな仲間になりたくはないです。

どちらかといえば
吾妻ひでおのグループの方が好きです。



錦市場では
食べ歩きできるものを売る店が増えました。

白人のカップルが
串に刺したイイダコを食べながら歩いていました。
宗教上の嫌悪感は起きないのでしょうか。
郷に入りては郷に従う!のでしょうか。

1 本 200 円から 300 円。
blog3.jpg

顔をあげてゆっくり見渡せば
かまぼことか漬けものとか餅とかを
食べ歩く外国人がたくさんいるこのごろ。



結局!懐中不如意はいかんともしがたく
いつものように
コイ(鯉)の旨煮を買って帰ります。

形が崩れているものは半額なんです。

到来ものの青いユズ(柚子)をおろして
ごはんにたっぷり混ぜて
コイの旨煮をほぐして骨を取ってのせました。
blog4.jpg

この程度のしあわせで我慢してやるか!
残暑厳しい日には。



(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理