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山田池の梅は満開 [解語の枯れ尾花]

2 月も逃げて行きますが
まだ冬枯れですね。
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広い芝生の丘にも人影はありません。
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すごい橋。
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遊歩道だけのための橋ですか。

棚田があります。
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山田池です。
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大阪府枚方市。
池を取り囲む公称 71.9ha の山田池公園。
71.9ha がどれだけのものか!
考えるのもメンドくさいのですが
ともかく広いです。

浮き島?!
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じゃないですよね。
冬の草刈り清掃のまま。
春の芽生えが見たいもの。

浮見堂でしょうか。
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広いので迷子になりました!はは。
ここ!どこなんですか?!
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「(知ら)にゃ」

ん?花びら!
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もみじ谷のもみじ(カエデでしょうけど!)の中の桜。
気がつかない人は気がつかないような小さな花びら。

お!明るい!
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花が咲いたよう!そこのエリアだけ!

花が咲いたよう!ではなく
花が咲いているんです!梅です。
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立派な梅林じゃないですか。
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300 本くらいありそう。
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ほぼ満開どきに遭遇しました。
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あ!
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いるんですね。
いましたね!ここにも。
道にはずれている輩。
道にはずれて!花園の中に入っています。

梅林の真ん中!
だれもが見たいきれいなところに
大きな三脚を立てて。
ひどいですね。
自分の所有地のように
自転車まで花の下に持ち込んでいます。

即!国外追放!
まさか!日本人じゃないでしょうね。

公園の中にこぢんまりとした寺院がありました。
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推古天皇勅願寺という明尾寺。
聖徳太子開基とか。
すごいですね。

本堂の前でにゃんこがうずくまっていましたが
春が早くくればいいですね。

この公園は
「にゃんこにエサをやるな」とはいわないのですね!
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やさしいですね。
春が早くくればいいですね。

「猫の恋」の季語が使える春。
立春から立夏までを春というのなら
もう春ですけどね。
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白鶴の平等 ワールドビュッフェの不平等? [たべほ!ブフェ!バイキング!]

幼いときには
みんな「平等」だとうるさく教えられ
社会に出たら
「差別化をはかれ」だの
「出し抜け」だのと追い立てられ
まったく笑ってしまいますね。

とにかく他と比較して
幸か不幸か感じる人の悲しい性。
今は自分が一番そうかも!はは。

エラいか!エラくないかを
食べもので差をつけられます。

たとえば 100 年前の食事を調べた
「聞き書 大阪の食事」から
「船場綿貿易商」の
ある日の冬の晩ごはんを見ると

使用人の晩ごはんは
鯵(あじ)の塩焼き!シチュー!青菜のおひたし。

家族の晩ごはんは
あじの塩焼きが
鯛(たい)の塩焼きになっています。
使用人よりエラいんです。
それにパイナップルがつきます。

だんさんの晩ごはんは
家族のメニューにさらに
鯛(たい)の刺し身が加えられます。

一番肉体を酷使しているものが粗食です。
鯛が鯵より栄養価が高いのかどうかは別ですが。

この体験をした使用人が出世して
だんさんになったとき
昔のうらみ!今こそ晴らすとばかりに
余計に差をつける人と
あれは悲しいと
なるべく平等にしようとする人に分かれますね。

もって生まれたセンスは変えようがないのかも。
卑しい根性で生まれたら
どんなに見てくれがよくなっても
徳がないのは前世からの宿命かも。

余談ですが
うらみを晴らすとか晴らさないとかは
嫁から姑になったときと似ています。



灘(なだ)の清酒を造る蔵人には
トップの杜氏(とうじ)から
一番下の飯炊きまで
10 ほどの階級があるそうなんですが。

飯炊きの草履(ぞうり)は一番下ですね。
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でも!ここ白鶴では食事の内容はみんな同じ。
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大昔からそうらしい。

灘(神戸市)の酒蔵めぐりのときには
この白鶴酒造資料館の展示に
必ずみなさんを誘導するのですが
みなさんに私のような
感慨があるものかどうか、、、。

「あ!マイセンだぁ!」
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みなさん!そちらの方に気が行くらしい。
マイセンが作った日本酒の酒器!
108,000 円。
だんさんになると
同じ酒でもこれで飲んで
差をつけなければなりませんか。



平等に個人の責任でランチにしますか。

神戸クックワールドビュッフェ グランド六甲店へ。
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1,620 円(税込)!こんなに高価でした?!
いつもは平日料金のときにきていたのかな。

たいてい半分ほどの料理しか食べていません。
半額にしてもらいたいものですが。

今日は奇をてらってスイーツから始めますか。
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やっぱりスルー。
隣のピザなんかのイタリアンぽいものは?!
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やっぱりへたばっている心身は二の足を踏みます。

結局!和の惣菜ばかりから。
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炊き込みごはんにグリーンカレーをかけてきました。
辛味に目が覚めました。

揚げものとか油っこいものも
食べなきゃ損と思う貧乏人根性は健在。
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入店から 15 分でダウン。
菜っ葉の類でコーヒーを飲みます。
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同行のアラフォー(around 40)のおね~さんが
ビールを買いに行くついでに
ソフトクリームを取ってきてくれましたが。
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無理に食べておしまい。
ちなみにアルコール類は別料金。
私は飲んでいません!
おね~さん!ビールは
私の分は持ってきませんね。はは。

やっぱり!
半分近くの料理に手が出なかったですね。
ハラいっぱいでいいのですが
なんだか損をした気分。
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高津宮 梅の花のころ [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市を南北に走る谷町筋には
寺院が集中しています。

豊臣秀吉の大坂城惣構えの町造りですね。

寺院はお参りや法事に人が集まりやすいように
本堂などの広い空間が必要。
それは宿舎にも利用できます。
寺院を集めておけば
多くの兵隊が地方からきたときの宿舎に便利です。

南から北に進んでいたら
光善寺の塀から紅梅がほほえんでいました。
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ん?!
向こうに異国の拝殿みたいな建てもの!?
いつも夜に光る屋根上の
ミラーボールみたいなものに
気を取られていましたがきれいな建築ですね。
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寺院の町にラブホテル。
人のいとなみの象徴的なことふたつ!
似合うといえば似合いますね。



さらに北に進めばにぎやかな声が!
なんでしょう!?
形容のしがたい大きな合唱!?

失礼とは思いながら無断で雲雷寺の境内に侵入。
民衆の囲いの向こう!?
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ぎゃ!
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うちわ太鼓が鳴らされる中!水ごり?!



高津宮(高津神社)を囲むように公園がありますが
東と北側には花梅が 200 本ほど植栽されています。
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お花見ができるほど咲いていますね。
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高津宮にお詣りしますか。

ん?!
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本殿前の向かって左側に
角のある狛犬(こまいぬ)!
口を閉じている吽(うん)形。

右側は口を開けている阿形の獅子!
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どうして狛犬(高麗からきた犬?)に
角があるのか知りませんが
これが古い形かも。

最近!いろんな狛犬や獅子!
いや!
ハトやらイノシシやらの
狛犬(?)さえも見ているので
どれが正式(?)なものやら
分からなくなっていましたが。



絵馬堂に仁徳天皇が描かれている絵馬が。
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高き屋に のぼりて見れば 烟(けむり)立つ
民のかまどは 賑(にぎは)ひにけり

の具象化ですか。

でも!おかしいでしょ。

谷町筋は高台にあります。

大阪市に背骨のように
今の大阪城あたりから
ほぼ真南の住吉大社あたりに向かって
高台が下っています。
いわゆる上町台地です。

高津宮の西側は落ち込んでいます。
見晴らしがいいのです。
仁徳天皇は眼下の民家に向かって
この歌を詠(よ)んだようになっていますが
仁徳天皇の時代には真下は海のはず。

ちなみに東側は河内湖(河内湾?)だったはず。
上町台地は半島だったのですよ。



ということで絵馬堂の下は崖(?)ですが。

相合坂(あいおいざか)?!
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昔海上だった町から上町台地に行く道は
当然坂になっていますが
名前がついている有名な坂もあります。

天王寺七坂といって
ウォーキングコースになったりしている坂も。

これは石段が北からと南から上っているだけの坂。
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両側から上って行った男女が
上でピタリと会えば、、、!?
ま!なんかなるというんでしょう!
勝手にやってください。



背骨の上から少し下がって
やはり南北に走っている
松屋町筋を南下して帰ります。

「松屋町」の土着の民の発声は
「まっちゃまち」と聞こえます。

なにか緑地があります。
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不気味なほど静かです。
この喧噪な
おもちゃ箱をひっくり返したような街で。

やはり崖ですから上って行くと
建造物とも土留めとも分からないものが。
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廃墟のようでもあります。
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生玉(いくたま)公園地下壕だそうです。

鉄筋コンクリート造 2 階建て構造らしい。
先の大戦に帝国陸軍が使用していたそうな。

どこかに入り口があるんでしょうね。
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継体天皇陵 今城塚古墳 [いわなが姫の丑の刻参り]

今上天皇は 125 代だそうですが
その系統が一直線につづいているものかどうか。

たとえば 15 代応神天皇は
69 年間天皇が不在の後に即位しています。
前の皇室とつながっているものやら。

それからもつながりは 21 代雄略天皇までで
22 代清寧帝から 25 代武烈帝までは
実在感がないというのは黒岩重吾。

そうですね。
武烈天皇なんかはただの殺人鬼!
明の終わりの張献忠(1606 ~ 1646)のように
殺(しゃー)!殺(しゃー)!殺(しゃー)!の
記録だけですものね。

極悪日本一の誉れ(?)高い雄略天皇には
殺人と無類の女好きのはなしがあり過ぎるので
武烈天皇の項目に分けて書いたのじゃないですか!
なんの根拠もなく無責任な発言ですので
怒らないでくださいね。

ともあれ!
官選の歴史書の日本書紀に
こんな人の道にはずれた
荒っぽい行状を平気で書き残すとは
編修時(720)の天皇家と
関係が薄いから構わないと思った
傍証のような気がするのは
歴史を学んだことのない私の妄想でしょうか。



そんな疑わしい 22 代から 25 代の後に
突然!辺境の地から
26 代継体天皇が歴史に現れます。

日本書紀によると
あの 15 代応神帝から 5 世の子孫だといいます。
しかし!その間の系図があいまいです。
なきに等しい。

507 年に即位したことになっています。
それも大和からはるか離れた
田舎に違いない樟葉宮(くすばのみや)で。
今の大阪府枚方市の
楠葉(くずは)あたりでしょうか。

大和の旧権力団に受け入れられなかったらしい。

それから京都府京田辺市あたりで
筒城宮(つつきのみや)
京都府長岡京市あたりで
弟国宮(おとくにのみや)と遷都したといいますが
526 年!やっと大和に入ることができて
現在の奈良県桜井市に
磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)を創りました。

実に 19 年かけて
旧勢力を懐柔できたということでしょうか。
たたきのめして奪い取ったのでしょうか。



でも!それからは一系?!

DNA とか生物学的にはどうか知りませんが。
それがぶつぶつ途切れていても
天皇家の尊厳と眠る貴人の安寧と
国民の崇拝が損なわれる訳じゃないと
私は思うのですが
宮内庁はいたずらに調査に協力しませんね。

それはともかく
そんな現代の皇統の
初代かも知れない天皇の陵(みささぎ)は
大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳だそうな。

宮内庁が治定していますから
厳重に遮断されていますので
私はネットフェンスの破れから見るだけですが。
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帝王の墓らしく大きな前方後円墳です。



古事記に「陵は三島の藍にある」とありました。
日本書紀は「藍野陵に葬った」ですか。
延喜式では「島上郡藍野陵」と記されているそうな。

それらから考察して
江戸幕府と宇都宮藩が行った
いわゆる「文久の修陵(1862)」のときに
比定したのじゃないでしょうか。

しかし!間違いじゃないですか。

太田茶臼山古墳は古い。
新しくても 5 世紀なかごろに造られたらしい。
継体帝崩御(531)より 1 世紀古そう。

それに
ここは島上郡ではなく有史以来!島下郡だそうです。



そこから東へ 1.5km ほど離れた大阪府高槻市に
大きな前方後円墳があります。
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今城塚(いましろづか)古墳といわれています。
これがホントの継体天皇の藍野陵?!
地元では定説になっていました。

場所が延喜式の記載と合致し
多量に出土した埴輪(はにわ)の製作年が
継体天皇の没した時期と一致しているそうな。

蒲生君平や本居宣長が太田茶臼山古墳を
継体陵と主張したらしい。

余談ですが
かれらは初代神武陵については
畝傍山丸山説を取りました。
私も現地を歩いてみてそう思いましたが
その説は採用されていません。

継体陵の比定は主張通りでよかったですね。
でも!それが間違いのような。
面白いですね。
いつも逆ばかり!正義はどこにあるのやら。



ともあれ今城塚古墳は
明るく解放されていて
たくさんの復元埴輪ですねぇ。
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円筒埴輪は 6,000 本くらいあったそうですから。

宮内庁の管轄ではないので
市民が墳丘の上で遊んでいます。はは。
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犬も遊ぶのか
犬の糞を捨てて行く情けない輩もいるようですね。
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無人販売所に大根が。
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よく分かれていますね。
系図のようです。
100 円。
買って帰ろうかな。
重いけど。



(福永武彦訳/古事記)
(宇治谷孟訳/日本書紀)
(黒岩重吾著/古代史の真相)
(三谷茉沙夫著/淫の日本史)
(安本美典著/大和朝廷の起源)
(南方紀洋著/天皇に関する12章)
(魯迅のエッセイ集等をパラパラめくりしました)
(敬称略)
タグ:古事記
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虚空に吠える円山公園のしだれ桜 [平安京有情]

先日!偶然!大阪城公園で
大昔のラジオ塔(ラヂオ塔)に
遭遇しました。(拙ブログ 2016/02/09

昭和初期の街頭ラジオ。

思い出しました。
京都の円山(まるやま 圓山)公園に
立派に現存していましたね。
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これは立派なはずです。
昭和 7 年(1932)に造られたラジオ塔を
昭和 57 年(1982)に修復したのだそうな。
ということは今!音声が聴取できるのでしょうか。



年中観光客が佃煮にするほどいる祇園あたりでも
冬には寂しいところもありますね。

虚空に!
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吠えているのか!
もだえているのか!
祇園の夜桜!円山のしだれ桜。



隣接の八坂神社に入ります。
摂社がたくさんありますね。

稲荷社は「午の日午の刻詣り」だそうです。
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「一粒万倍日」とはなんでしょう。

悪王子神社?!
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すごい名前の神さまですなぁ。

鳥居のそばに「元悪王子町」の玉垣。
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「悪王子町」も寄進しています。
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この名の町に住んでいるこどもたちは
いじめられたりしないのでしょうか。



「刃物大神」!
「刃物発祥の地」?!
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ホントですか?!
先にいったもの勝ちじゃないでしょうね。

馬(!)がいます。
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神馬堂。
等身大の馬(!)が 2 頭。

大きな建てもの。
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境内の隅。
駐車場になっています。
絵馬堂ですか。
内外に絵馬がびっしり。
でも!保存状態は悪く
ただのくすんで風化した木板ばかり。

立ち入り禁止です。
活用できないんですかね。



境内に
「祇園水」なるものが売られていますが。
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人気がないのか
高いからなのか
ふり向く人がいませんね。



静かに待てばやがて春がくるでしょう。

若山牧水の句。

雛買うて祇園を通る月夜かな

短歌の牧水も俳句を残しているんですね。
ま!それはさておき
句のような浮き浮きする春よこい。
早くこい!こい!恋。


(敬称略)
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