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大阪城のラジオ塔 梅の花の咲くころ [解語の枯れ尾花]

大阪城の南外堀を見下ろすところ。

多くの外国人がはしゃいで
写真を撮っていました。

ん?!
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いつもは気にしないで前を通り過ぎていましたが
これって!ラジオ塔(ラヂオ塔)では?!
なんの説明板もありませんが。

なにか銘板か!書いてあったものは
はぎとられたものか!
風化してとんでいったものか!
そんなわずかな痕跡があるのみ。

大阪の「公衆用聴取施設」が嚆矢(こうし)の
全国に造られた
「街頭ラヂオ」じゃないでしょうか。

もしそうなら
珍しいものが現存していますね。

NHK が放送を始めたのは
大正の終わり(1925)
その時代には!受信機は高価だったのでしょうね!
庶民のために
街角にいわゆる「ラヂオ」を設置したようです。

あは!
外国人たちの関心はラジオ塔じゃないのかな。
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堀の向こうの
六番櫓(ろくばんやぐら)をバックにして
記念撮影をしていたのかも。



大手門の横のオブジェ!
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オブジェではありません。
堀の水中からパイプ足場。
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石垣の修理じゃないんですね。
上の多門櫓(たもんやぐら)を改修していました。
足場を吊らないんですね。



天守閣横をすり抜けて北に降りれば
先の大戦のときに
機銃掃射された弾痕の残る石垣が。
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その向こうの
淀殿と
殉死した 32 名の慰霊のための
観音さまがあるあたりが
雑然とときの流れに洗われていましたが。
きれいに整備されているじゃないですか!

32 名の中に
真田幸村の嫡男の真田大助もいます。

豊臣秀頼の自害を見届けた
最後の家来だといいますが
その直後切腹して果てた大助を見た人はだれ?!
伝説がひとり歩きしていませんか。

突然!?
真田幸村ブーム?!
ブームといっても
南海電車と九度山町あたりだけかも知れませんが。

ま!そのブームで
真田大助らの慰霊の塔も清掃したのかな。



梅園の梅が思ったより咲いていますね。
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梅の実の生産地は知りませんが
花梅の梅園が衰退しているこのごろ
この梅園は元気がいいですよ。
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品種数も多い方だと思いますが。



第二寝屋川に出ました。
臨時(たぶん)の
アクアライナー(水上バス)が出て行きました。
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乗客は外国人でいっぱい。

ん?!
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お好み焼きまんじゅう!?

船着き場にありましたが。
食べたこと!ありませんねぇ!
大阪にしばらく棲んでいても。

だれかがおごってくれたら食べますが。
食指は動きませんでしたが。
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