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80歳で父親になった?! [小市民ぼうちぎり]

また知人が亡くなりました。

コミュニケーションが幼稚な上
私生活と仕事とは
まったく切り離して生きているので
そんなに広範囲に個人的な知人はいませんが。
切り離さなくても!
そもそも仕事がないので大丈夫?!ぐすん。

そんな訳で知人といっても
ハイキングしていた人ばかりですが。

私の独断と偏見で作った拙い企画に
文句もいわずに悠々と歩いていた
鉄人のおじいさんが
ほんの 2 か月前に鬼籍に入りました。

その前の年にも
人の 5 倍ほどの重いザックをかついで
平然と歩いていたお年寄りが亡くなりましたが。

そして今また、、、。
この方は
私が××十年前にこの地に流れ着いたころの
初期のハイキングの仲間ですが。



奥さんに先立たれてから
未成人のこどもをふたりも抱えて
小さな会社を経営されていましたが
夢がありました。

「80 歳になったら結婚する!」

それまで頑張って生きて行くと
高らかに宣言していましたが。

80 歳にならずに死んでしまいました。
なにをしているんですか!
もどれるものならもどってこ~い!

ふと!一休禅師(1394 ~ 1481)を
思い浮かべてしまいました。
容貌がなんだか似ているような。
blog21.jpg

もう少し男前ですけどね!親愛なるおじさんは。
ただ!一休のようにひょうひょうとした人でした。



一休は 77 歳で
30 歳にならないほどの若い森侍者(しんじしゃ)と
結婚(同棲)しました。

相思相愛だったらしく
かの女は親に作ってもらったものかどうか
大事にしていた小袖を売って
愛(!)の居室を建てたそうな。

余談ですが
京都府京田辺市に通称・一休寺の
酬恩庵(しゅうおんあん)があります。
blog22.jpg

そこに移築されている
虎丘庵(こきゅうあん)がそうらしいので
興味がある方!
あやかりたい方はどうぞ。

それから 10 年
大往生する直前までふたりは
青年顔負けのラブラブな生活をしましたとさ。

「美人の陰に水仙の香あり」
「楚台まさに望むべし」
「まさに攀すべし」
なんて 80 歳を過ぎてもいっていたようです。

ルビも解説も書きませんので(書けませんので!あは)
どうか各自で読み解いてくだされ。



80 歳といえば
本願寺 8 世・蓮如(1415 ~ 1499)は
30 人近くのこどもをもうけたようですが。

30 人や 50 人のこどもを産ませた人は
いく人か歴史に名が残っていますが。

男性は自分で産む訳じゃないので
江戸幕府 11 代将軍・家斉のように
1 年に 3、4 人ずつくらいつくるのが
朝めし前の人は枚挙にいとまがありません。

蓮如のすごいのは
84 歳で 13 男(後の実従)を得ていること。

私のイメージする
尊敬する仏教の指導者とは違いますけどね。
佛陀の教えに
女性との同衾(どうきん)は善なのでしょうか。

女性とばかりじゃありませんね。

知る人ぞ知る!
知らん人はまるで知らん
「高野六十 那智八十」という
ことわざ(?)があるそうですが。

高野山や那智山の僧坊は男色の本場で
60 歳 80 歳の老僧は業師(わざし)で
レクチャーしてもらいに門前市をなしていた?!

この解釈が間違っていても
責任は取りませんので
詰問はしないでくださいね。

こんな話題に脱線すると
駄文が止まらなくなりますね!ごめんなさい。



蓮如は最晩年
大坂石山に石山御坊を建立し
そこでなん人かのこどもを得たそうな。

石山御坊は今の大阪城の場所でしょうか。

推定地の標識があります。
blog23.jpg

「南無阿弥陀仏」の石塔もあります。
blog24.jpg

「80 歳で結婚する」といっていたご老体を
連れてきてあげたかったですね。
そして昔日のように大笑いしたかったですね。

どうかそちらの世界で結婚してください。
あ!奥さんが待ちかまえているのかなぁ。

合掌。
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