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住吉公園駅 日本一終電の早い駅の終焉 [わが街・下駄ばきドドンパ]

南海本線・住吉大社駅の階段から
大勢がのぞいている外の下には
ホームがあります。
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南海本線に遠慮がちに寄り添う
阪堺上町線・住吉公園駅ですか。

「金魚がいてるんや」
大きなカメラを 2 台もさげているおじさんが
教えてくれます。

戦時中(第二次世界大戦か?)に作った
「防火水槽」に金魚がいるそうな。

「もうどこかへお嫁入りするので」
見ておくようにとご親切(!)な忠告。

余談ですが「いてる」ですか。
このあたりの土着の民は
「いる・おる・居る」を
「いてる」という人が多いですね。
これが他国の流れものにはつかいにくい!
つかいづらい。

ま!それはさておき
路面電車の阪堺上町線の住吉公園駅に降ります。

げ!すごい人ですね。
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昨年(2015)の夏に
この駅と!
ここから 200m 先の住吉駅までの線路を
廃止すると報道されていましたが。
いよいよ!その日がきたのですね。

そんな日に大挙してこなくてもいいから
普段乗ってあげなさいよ!
廃止しなくてすむように。

実は私!恩着せがましくいいますが
ここで南海本線から路面電車に乗り換えて
通っていたことがあります!大昔のことですが。

そのころは結構な数の人が
利用していたような記憶があるのですが
乗客が激減したらしく
最近は朝だけ!朝だけなんですね!
平日 5 便!休日 4 便の始発があるだけですか。
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「日本一終電の早い駅」だそうな。

あ!そうそう!金魚!

「プレスだけ!プレスだけ!」

なんですか!プレスだなんて!知りませんよ。
あたしゃ!プレスハムでもトップレスでも
ベンチ・プレスが好きでもないけど。

駅員のおじさんたちが
「プレスハム(?)以外は入るな!」と
いっているようなんですが。
トップレスならどうなんでしょう。

でも!なんだよ!金魚くらい見せてよ。
プレスハムというより
ボンレスハムみたいな体で!
猪突猛進すれば
これですか!?
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あわててシャッターを切って
上の照明ばかり映りこみましたが。
ま!これなら見なくてもよかったですけどね!
見た後にいってすみません。



ん?!
今月いっぱいかと思っていたのですが
1 日前の今日(2016/01/30)が最終日!?
どちらでも私はいいですけど。

だからか今日は見物客!乗車客が雲霞のごとし。
駅員も多い。
全社員総出ですか。

すねてひとり離れて
だれもいない空き地から見ていたら
(たぶん!)最終車輌が入線しました。
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赤い錆(さ)びた(?)屋根しか見えませんが
これは現役でもっとも古い車輌では?!
マッサンのラッピング車輌見学のとき
見たことがあるような。(拙ブログ 2014/10/10

上は南海本線・住吉大社駅です。

下町の踏切を横切って出て行きました。
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住吉大社の大鳥居の前を通る道で
6 本の線路が平面交差しています。
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ダイヤモンドジャンクションですか。

早朝からたむろしている野次馬!
いや失礼!鉄道ファンたちは
ダイヤモンドクロッシングという人が
多いようでしたが。

これもなくなるのでしょうか。



なんか人にもまれて
つまらんことにムキになって疲れて
ひと休みしたくなりました。

朝食にします。

住吉大社駅の下の店
全国に展開しているパン屋かな。
こんなハイカラ(!)な店は
教養のない私には敷居が高いのですが
適当な店がないので。

「VIE DE FRANCE」!?

ビデ?!

あんまりいいイメージが湧きませんが。
スペルは違いますがね。

店のおね~さんにすすめられるまま
コーヒーと
ハムとチーズのサンドと
野菜サラダとヨーグルトで税込み 431 円。
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最近の朝食は
チューブ入りのワサビをたっぷり入れた
納豆をのせただけの安い食パンだけ。
今朝は阪堺電車のおかげ(!)で
ぜいたくですねぇ。

「VIE DE FRANCE」は
「ヴィ・ド・フランス」と
カタカナをあてるのだそうな。
教えてもらっても
すぐ忘れて
また「ビデ」というと思いますけどね。



住吉大社の大鳥居の前を
「堺トラム」が走っていました。
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いつもは注目される車輌ですが
今日は脇役でしょうか。
見る人もなく。
タグ:廃線
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ふーふーFOUJITA 藤田嗣治 [活動写真]

1 月 29 日は
フランス人の画家・彫刻家の
レオナール・フジタ(Léonard Foujita)の
命日だそうな。

常識にうとい私でも
日本人だったころの名は
藤田嗣治(1886 ~ 1968)だということは分かりますが。

私たちフランス人は(ウソついてすんまへん)
「ふじたつぐじ」だと思っていましたが
「ふじたつぐはる」がホントの読みだそうな。

フランスでは「つぐじ」と呼ばれたのですね!
「つぐはる」とは
フランス語では発音しにくかったらしい。

唐突に!藤田から藤本を思い出しましたが。
作家の藤本義一(1933 ~ 2012)は
「ふじもとぎいち」と仲間内から呼ばれていましたが
本名は「よしかず(or よしかす)」だったとか。

大阪では発音しにくいから、、、
かどうかは知りません。
ま!「ぎいち」の方が舌をかみますよ!私なんかは。

閑話休題。
藤田のフランスにもどります。

エコール・ド・パリでは
「ふーふー」という通称だったそうな。
「Foujita」のあたまの「ふー」から。
それはお調子ものという意味でもあるらしい。



偶然ですが
そんな「レオナール・フジタ」の命日に
映画「FOUJITA」を観ました。
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エコール・ド・パリの夜のにぎやかさ。
倦怠と退廃的な騒ぎの中心に
「ふーふー」がいました。

エコール・ド・パリとは
だれも日本語に訳してくれないので
よく分かりませんが
世界のあちこちからやってきて
ふきだまりのように集まっていた
芸術家やその卵たちの
形のはっきりしない集団でしょうか。

藤田はエッセイに
「(当時の)パリに」
「十万人の美術家が生存している」と
書いています。

「霞を吸って」
「半分狂人のような」
「半分天才のような」
奇妙な人たちだと評していますが。

それでも!フランスの絵は
「非常に健康的な絵」だと書いていますから
東京美術学校時代の師の
黒田清輝らの考えにはなじめず
エコール・ド・パリの空気が
肌にあったのでしょうか。



「肌」といえば
「女」好きですね。
男はみんな女好きでしょうけど
日本の昔は!昔ですよ!
陰湿にこそこそと!不道徳なかぎり。

私が道徳を説くというのも奇妙ですけど。
ま!今だって不倫なんて
こそこそといっぱい往行!でしょうね。

1913 年に日本を立って
最初の寄港地・上海でもう
赤い灯のともるところに出かけています。

つぎに香港でも娼婦に会いに。
寄港するたびに「女」ですね。

フランスまで 90 日かかった時代ですよ。
大変ですね。
もっとも!それは同船の輩のことと書いていますが
果たして、、、。

フランスに行きたい一心で
中学のとき
坊さん学校(暁星)の夜学で学んだフランス語は
まったく通じなかったそうな。

それでフランス語を習得するには
肌を合わせて生きた会話を盗むのが一番。
それには娼婦とつき合うのが近道!?
なのでしょうか。
その道の大家にお聞きしたいものですが。



それから 40 年後
キキの葬儀に出たのは
エコール・ド・パリの仲間で
藤田ともうひとりだけだったそうな。

キキは藤田が世に出た
「乳白色の肌」の裸体画のモデル。

キキも流れてきて
花売りやいかがわしいことをして
糊口をしのいでいた少女。

藤田はキキのことを
「美しい顔」
「美しい身体」
「明才!天才!」
「頓智とか悪口」が群を抜いていたと
高い評価をしています。

キキもまた画家志望だったのかも知れません。

やがて
キキは多くの男性に引っ張りだこになります。

キキの晩年は分かりません。
藤田は最後の別れに行った律儀ものですね。



藤田は自由奔放なボヘミアンのように見えて
案外!可愛い純真な人だったのかも。

かれのエッセイだという
「巴里娘ルルーの恋」とか
「春の女」とかは
短編小説のような物語を感じます。
ほのぼのとした寂しさを感じます。



映画の後編は日本。
第二次世界大戦下の理不尽さを
色彩のない画面で作っていました。
反戦映画と思ってしまうほどです。

映画は悲しい色のままでおしまい。

晩年日本を追われた藤田が
フランス人になり!洗礼を受けて
平和の礼拝堂を造ります。

最期の仕事が
その壁にフレスコ画を描きあげること。
映画にはそのあたりの物語はありません。



(近藤史人編/藤田嗣治エッセイ選/)
(腕一本 巴里の横顔/を読みました)
(敬称略)
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神仏習合の清荒神 [猫も歩けば棒立ち]

忙しいスケジュールが(ウソついてすみません)
夕方までぽっかり空きました。

こういうこと!
突発的なことにはとっさに対応ができない阿呆です。
危機管理能力ゼロ!
アドリブが出ない灰色の脳です。

さてどうしよう!と思っていた阪急・宝塚線。
大勢の人が降車するじゃないですか!
清荒神(きよしこうじん)駅。
なにかあるのかな。

降りたじゃないですか!いっしょに。

たしかになにかの縁日のようです。



ここの参道は長い!
駅から 1.2km あまり!歩行者用の参道がつづきます。
その入り口の横の
市場のような商店街のような細い路地に入って
とりあえず!ランチにします。

参道には参拝客めあての店舗が
飽きることなくずらりと並んでいますが
どこも結構な値段です。
この路地の中は比較的私向きな設定です。

そのなかの 1 店!屋号がよく分かりませんが。
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持ち帰りの
赤飯なんかをひさいでいた店舗でしょうか。

おでん定食(580 円)をもらいます。
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赤飯を山菜おこわに変更しても同料金です。

少量ずついろいろ小鉢があって
私好みのランチになりました。



愛想のいい女将さんに尋ねると
やっぱり今日は縁日。
初三宝(さんぽう or さんぼう)荒神
大祭(2016/01/27・28)だそうな。

大昔!祖母が
「さんぼうさま」だの
「こうじんさま」だのといっていました。

長い間!そして今も
なにがなんやら理解ができていません。

「さんぼうさま」と「こうじんさま」は
同じ神さまでしたか!?



夕方まで時間はたっぷりあるので
ゆるゆると長い参道を進みます。

ついこの間にもきましたね。
正月でしたか。
なんでもどこでもリピーターとか常連になるのは
どちらかといえば嫌いなんですが。
常に知らないところに魅かれる性分の
つもりなんですが。

嫌えば期せずして
なん度も行くはめになることが特に最近多いのは
なにかの罰があたっているのでしょうか。

いままでかけ足で回っていたので
見落としていたものはないかと
注意して行きましょうか。

さっそく!祓禊(みそぎ)橋です。
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下に荒神川。
ここで身を清めていたのでしょう。
ここから空気が変わっていたのでしょうね。



あ!すごいもの!発見!
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「昭和 13 年 名人戦記念 七段 木谷實」

囲碁にはまったく不見識な私ですが
昭和最強の囲碁棋士といわれた
呉清源を調べていたら必ず出てくる名前。

最後の家元・本因坊秀哉名人の引退碁の相手が
木谷實七段だったのですね。

木谷の先番 5 目勝ち?!
でも!コミがあれば負けじゃないでしょうか。

あ!
川端康成の小説「名人」がありましたね!
小説「名人」では
木谷は大竹七段という名になっていますが。

川端はこの引退碁に異常に関心を示し
思い出してはなん度も習作を発表していますね。



拝殿(天堂)は
線香とろうそくの煙でかすんでいます。
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ん!?
清荒神は略した名前!
清荒神 清澄寺(せいちょうじ)というのですね。

神か仏かどちらですか。

真言三宝宗の大本山だそうな。
本尊は大日如来!鎮守社は三宝荒神社?!
三宝荒神(さんぼうこうじん)は
仏教の「仏」「法」「僧」の三宝の守護神!?

まさに神仏習合ですね。

役小角(えんのおずぬ)の前に
荒神が現れたのが始まりだそうな。

バチアタリの私にはとうてい理解不能な教えです。



拝殿の後ろの護法堂(本社)のそのまた後ろの
荒神影向(ようごう)の榊(さかき)の柵に
善男善女(たぶん)が群がっています。
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なにをしているのでしょう。

柵の中の小銭をかき寄せているのですか。
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泥棒!?
でもないんでしょうね!たぶん。

まだまだ知らないことがいっぱいありそう。
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しかし!今日も物見遊山で入山してすみません。



(敬称略)
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万葉集の高円山 [南都有情]

平城京を見降ろす高円山(たかまどやま)は冬枯れ。

冬でも観光客がうごめいている奈良ですが
さすがにここまではやってきませんね。

いい雑木林なんですが
包帯(!)を巻いた痛々しい木が多い。
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広葉樹(主にカシやシイやナラ等)を枯らす
カシノナガキクイムシ対策ですか。

昔の里山みたいに更新したらいいのでは。

太い木は伐り倒して
炭やたきぎに利用したらいいのに。
木々は実生なり
ひこばえなり知恵を出してよみがえりますよ。
カシノナガキクイムシは
若い木に巣くうことはマレなはず。



万葉集には
高円山(高圓山)の歌がいっぱいあります。

たとえば大伴家持の恋歌。

高円(たかまと)の 野辺の容花(かほばな) 面影に
見えつつ妹(いも)は 忘れかねつも

容花のようなあなたが忘れられません!なんてね。

万葉仮名で見れば

高圓之 野邊乃容花 面影爾
所見乍妹者 忘不勝裳  (1630)

万葉時代から
高円(高圓)は高圓!同じなんですね。
もっとも!「たかまと」とにごらずに発音しろと
エラい先生たちはいっているようですが。

あ!容花?!
「かおばな」ってなんですか。
妹の面影ですから
きれいな花なんでしょうなぁ。

ヘクソカズラやコンニャクの花ではありますまい。
あ!ヘクソカズラが悪い訳じゃないですね。
見方によれば愛らしいかも。
鼻をつまむ匂いさえなければ。

閑話休題。
万葉集にある高円山の歌には
植物が多く詠みこまれています。

萩!桜!もみじ!なでしこ!
尾花!おみなえし!くず等々。



8 月 15 日に点火する
大文字送り火の火床があります。
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万葉時代にはなかった火床。
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昭和 35 年(1960)から始まった行事のようです。




万葉集の初めの方には
花やら恋やら平和な高円山の歌ばかりでしたが
20 巻あたりのなると
なにやらきなくさくなってきます。

高円の 野の上(うへ)の宮は 荒れにけり
立たしし君の 御代遠(とほ)そけば

大伴家持は
高円山の宮は荒れてしまった!といっています。

白文は

多加麻刀能 努乃宇倍能美也波 安禮爾家里
多多志志伎美能 美與等保曽氣婆  (4506)

ん?!
「高円」がこのあたりでは
「多加麻刀」という表記。
同じ山ですよね!間違いないでしょうねぇ。
ああ!「多加麻刀(たかまと)」だから
「高円」も「たかまと」と
にごらず読めということですか。

ともかく
聖武天皇か志貴皇子かそれとも違う人のか
別荘が荒れ果てる時代がきたようです。



大文字の火床を越えると尾根道。
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上りは急峻な小径なんですが
ここまでくると古(いにしえ)の歌人たちも
爽快な思いだったことでしょう。
晴れていたらね。

突然!石段が!
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長い階段。
上ったところが 432m の頂上。
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それだけですが。
見晴らしは悪い。

なにか祀(まつ)ってあるのかと思いましたが。
二等三角点の石標があるだけなのに
石段を積んだのですか。

大宮人(おおみやびと)の
喜怒哀楽が漂っているところかも知れません。



(佐佐木信綱編/白文万葉集および)
(佐佐木信綱編/新訓万葉集を読みました)
(敬称略)
タグ:送り火
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雪の多武峰 談山神社から [野道!山道!恋はけもの道!]

日本列島は大雪だそうな。
いつもはあたたかいらしい
(行ったことがないので知りましぇんが)
九州でも記録的な大雪と巷のうわさ。

沖縄県に降雪があった(2016/01/24)というのに
わが家にはない!
どうして降らないのだ!大阪市には!不公平です。

場末の安居酒屋なんかで
風が少し吹いたくらいで
受け売りの知識をひけらかして心配している連中に
「都会には災害がよく似合う」といって
ひんしゅくを買ったり!
けんかを売られたりしているので
いいたくはないのですが
「大阪市には降雪がよく似合う」と思います!
ホント!

みんなきれいに白くおおってくれますから。

なん日前からか忘れましたが
わが家のベランダのバケツの水が凍ったまま。
今朝(2016/01/26)の桃ケ池も結氷しています。
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しかし!雪はありません。

よっし!雪を探しに行くよ。
仕事は山積!
クライアントは門前市を成しているけど。
ま!冗談はそれくらいにして。



きゃっほ~!
いきなりですが!雪です。
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多武峰(とうのみね)です。
談山(たんざん)神社の東大門に着きました。

奈良県桜井市の山の中にきました。
積雪ですべる参道。
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でも!談山神社の
冬姿の樹木には雪が全然のっていません。
遠くから雪のない十三重の塔を拝みます。
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談山神社は
唐から帰朝した
定恵(定慧)(じょうえ 643 ~ 666)が
天武天皇 7 年(679)に
父の藤原鎌足(614 ~ 669)の遺骸を
ここに移して建立した寺院。
ということになっていますが。

定恵は父より先に死んでいるのですが。

京都大学の地震観測施設の建設中(1934)に
大阪府茨木市と高槻市の境にある阿武山で
藤原鎌足の完全な遺体が発見されています。
ほぼ 100 %鎌足の遺体だといわれていますが。

ということは!
遺体は移されていません。

そして!
今は寺ではありません。
明治になって神社になったそうな。

面白いことだらけです。
もう!なにがなんやら。



今日は拝観料を出す気にもならず通り過ぎます。

北に下ります。
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雪はいいなぁ。
だれかが歩いています。
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足跡の判定の本を持ってきたらよかったなぁ。
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タブレットでも買おうかなぁ。
あれば検索に便利そう。
ま!買おうかなぁ!と思うだけですがね。

きれいな棚田!と思って歩いていたら
すべってころびそうになりました。
ふり返れば結構急坂じゃないですか。
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雪の中に赤い色。
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頑張って咲いてね。



里にはまったく雪がありません。

聖林寺(しょうりんじ)が民家の向こうに見えます。
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和銅 5 年(712)に
定恵(643 ~ 666)が創建したといいますが。
定恵は死んでからいろいろしていますね。

藤原鎌足の死後
次男の藤原不比等(659 ~ 720)の画策で
それから近代まで
朝廷のほぼ 100 %
藤原氏の「血」が浸透するようになりますが。

藤原道長をほめそやす大鏡に
藤原不比等は
中大兄皇子(天智天皇)のこどもとありますが。

それに長男も!?
定恵の実の父親は孝徳天皇とどこかにありましたね。

藤原鎌足の「血」は
阿武山に眠るだけの存在でしょうか。



私にはなぞだらけですね。
それもこれも
やっぱり
雪で真っ白に隠される景色が好きです。
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