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東京裁判の悲しみ [活動写真]

映画「東京裁判」を観ました。

全編ドキュメンタリーで
役者もいなければ芝居もありません。

1983 年制作の映画ですが
デジタルリマスター版ができたのですね。
最初の映画は見たと思うのですが
なんの記憶もありません。

それで比較はできませんが
デジタル化のせいか画面も音もきれいです。
終戦の日の玉音放送が
ほぼ全容クリアなのには驚きました



東京裁判(極東国際軍事裁判)は
第二次世界大戦後
戦勝国が
敗戦国の日本の指導者を裁いたのですが。

裁かれる 28 人は
共同謀議も合議もないといいます。

じゃ!国は
いつのまにか戦争をしていたのです?!

唐の曹松の己亥歳という詩の終わり部分。

憑君莫話封侯事
  きみによる
  はなすことなかれ ほうこうのこと
一将功成万骨枯
  いっしょう こうなって ばんこつかる

論功行賞のはなしはやめてくれ。
ひとりの将軍の手柄のかげで
万人の兵士の骨が朽ち果てている。

でも!ないというのですね。



もしかして
戦勝国が
敗戦国を裁くことは不可能なことかも。

さらに敗戦国の個人を裁くなんて
しなくてもいいことなのかも。

裁判中に
広島に原爆を投下したものや
命令したものに裁きはないのかという
コメントが出てきました。

戦闘員ではない多くの市民を
無差別に殺しているのに。

このくだりはなぜか
日本の一般には知らされていませんね。

戦勝国は敗戦国を占領したり
隷属させたり!
植民地化したらいいだけのような。

敗戦となった戦争を画策した政府や
軍部の中枢にいたものを
戦争犯罪人として
日本なら日本の国民が
自らの手で処刑したらいいのでは。

それに裁かれるのは 28 名!?
1 万人ぐらい戦争犯罪人はいるのでは!

勝手に
「てんのーへーかの命令だ!」といって
私利私欲をほしいままにしたものたちは
いまだ裁かれていないじゃないですか。



NHK 銀河テレビ小説の「下町三人娘」で
ビルを建てた浜村純に南美江が
(すみません!役名は忘れました)
「粛正しろ!」といっていました。

「ぼくはまじめにコツコツ生きてきたら」
「ビルが建っていたんだ」

「まじめにコツコツ生きてきたものには」
「ビルは建たないんだよ」

戦中・戦後のどさくさで儲けたのですね。
正しくない方法で。

ちなみに叱られた浜村純は
近所や知人に手ぬぐいを配っていました。
はははは。
笑えますねぇ!

そんな多くのものに
粛正ではなく
粛清をしなければならないのに!
しないのです!日本国民は。



被告人が
日本は天皇の
意向通りに動いているといいますが。

天皇が戦争をした訳じゃないと
アメリカが持って行きたがるのはどうして。

あの裁判に天皇も出てきて
シロクロをはっきりさせておいたら
後々までもやもやした論議を
残すこともなかったのに
占領軍の親分のマッカーサーは
天皇を裁判に出すことを望みませんでした。

戦争犯罪人の謀議も
天皇の意向もないといえば
やっぱり!日本は
勝手に戦争したのですね。



絞首刑になったのは 7 名。

しかし敗戦で現地に残されて
現地の裁判で死刑になった兵!多数。

悲しいとは思いませんか。

安得義男児
  いずくんぞ ぎだんじをえて
爛此無主屍
  このぬしなき しかばねをやき
引其孤魂回
  そのここんを ひきてかえり
負其白骨帰
  そのはっこつを おいてかえらんことを

詠み人の分からない
隋の「挽舟者歌」の終わりの部分。

おとこぎのあるお人がおれば
無縁ぼとけのむくろを焼いて
ひとりぼっちの魂をひきつれ
白骨を背負って帰ってくれぬか。



映画は 277 分。
朝の 10 時 20 分から鑑賞して
途中 10 分間休憩したものの
新型コロナウイルス禍で
館内では昼食は食べられず
終わったのは午後の 3 時過ぎ。

飽きっぽい私なのに
映画を観た!という感慨です。



(一海和義著/漢詩一日一首/)参照
(敬称略)
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