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おじゃる丸の許婚はオカメ姫 [不謹慎ですが、、、]

5 歳の「おじゃる丸」には
「オカメ姫」という許婚(いいなずけ)がいます。

あ!「おじゃる丸」とは
某国営放送みたいなTV局のアニメですが。

千年前のヘイアンチョウというところから
現代にやってきた(!)雅な貴族のこどもですが。



明の陸灼撰/艾子後語(がいしこうご 1576 年ごろ)に
4 歳の息子を持つ親が
2 歳の女の子を
息子のお嫁さんに欲しいといったはなしがありました。

女の子の親は怒りました。

「娘は老翁に添わせられない!」

「そんな年が倍もある男になんて!」
「娘が 20 歳になればおたくのお子さんは 40 歳!」
「30 歳になれば倍の 60 歳の老人じゃないですか!」

こんなベタなはなし
安酒場で中年加齢臭男が
後輩や若い女性なんかを相手に
自分でいって自分で笑っている
つまらんだじゃれのようにあちこちに散見しますが。
たとえば!それからすぐ後に出ている
やはり明時代の笑府にも似たはなしがあります。



それはともかく
「おじゃる丸」も明の時代も昔は
親が結婚相手を決めていたのですか。
結婚は家族同士の取り引きなんですね!たぶん。

「お見合い」なんてあってもなくてもいいのです。
「恋愛」なんて遊びです。



そもそもの結婚は「略奪」だったような気がします。

お嫁さんを「力」で奪ってくるのです。

「力」がないオスは子孫を残せません!
実に種の保存の分かりやすい形態。

ヒトも少し賢くなると
「力」が「暴力」だけではなく
「財力」やら「権力」やらが生まれ
それらで「女性」を奪えるようになったり。

結納金なんて今も残っていませんか。
お嫁さんをお金で買うのですね。

危険な命のやりとりは避けて
「お金」で戦うのでしょうね。
「お金」じゃなく
「牛」や「豚」で払うところもあるかも。

このメリットは
離婚の危機が少ないのかも知れません。

別れた後!次に結婚するには
また!豚をなん頭か用意しなければなりません。

そんなに財力はないので
ま!今のお嫁さんで辛抱するか!
大切に使おう(?)ということになりませんか。



笑笑生作/金瓶梅(17 世紀初頭か?)の主人公は
「金力」「権力」「謀略」雨あられとふりまき
たくさんの妻を得ています。

「力」の有無・多少で奥さんの数が違うのは当然かも。

「力」といえば
男性側からのはなしが多く
今!それで書き進めていますが
当然!女性でも「力」を持てば
ロシア帝国のエカテリーナ(エカチェリーナ)
2 世(1729 ~ 1796)のように
たくさんの男を買える(!)ことは
いうまでもありません。

ちなみに伝説では
エカテリーナは数百人の愛人をはべらしていたそうな。



赤壁の戦いで有名な曹操の五男の曹植(192 ~ 232)が
「美女篇」という
チャーミングなタイトルの詩を作っていますが。

長い詩です。
美女の容姿やしぐさを細かく歌っています。
そんな美女が立派な人を求めているという内容。

その中に

媒氏 なんの営むところぞ
玉はく ときに安んぜず

という一節があります。

仲人(なこうど)はなにをしているのだろう。
結納の玉や絹がしかるべきときに届けられてない。
(訳注・伊藤正文)

「媒氏(ばいし)」は仲人と訳されていますが
現代の半ばプロ化して
手数料を稼いでいる自称の仲人とは少し違うようです。

張競著/恋の中国文明史/に
「媒氏」は官職だとありました。

周令に
「万民の結婚を管理している」とあります。
媒氏は戸籍の管理とともに未婚の人は
「男 30 歳」「女 20 歳」で結婚させるのだそうな。

「周」は紀元前 1046 年ごろ成立した国でしょうか。
古い!古いはなしですね。

その恋の中国文明史によると
「父母の命 媒酌の言」ということばが
このころ生まれているとか。

それが 2000 年つづいていたのですね。

メリットは
近親結婚や略奪の際の暴力の危険の回避等々
いくつか考えられますが。
いい制度ですね!もしかして。



「おじゃる丸」はその「父母の命」を嫌っています。
「オカメ姫」の容姿が気に入らないようですが。
ファニーフェースですから。

恋愛と結婚は違うのですよ!おじゃる丸さま。

昨今の軽薄短小時代には
いい加減な見栄えだけで
肌を重ねてみる人が多いとよく聞きますが。
結果!
なんとつまらんカスの男(または女)だと気づいて
短期間で別れます。
別れようとします。

しかし!
カスの男(または女)ほど執着が強く
ストーカーになったり
殺人鬼になったりします。

最初の判断が間違い!
ま!殺されても自業自得といえば
怒られますか。



嫁側が金持ちで婿側が貧乏であった。
婿の家では
嫁側が婚約を破棄したらいけないというので
嫁ぬすみにいったはよいが
ついまちがえてその妹を背負うて逃げ出した。
嫁側の人々追いかけてきて
「ちがいます」「ちがいます」と呼ぶと
背中の妹が
「ちがいません」「ちがいません」
「かまわずどんどん走ってください」

前述の明の「笑府」にのっていた
「嫁ぬすみ(搶婚)」という笑いばなし。

笑えません。

10 年以上前にまったく理解できなかったのですが。

今!読んでもさっぱり。
どこが面白いの!?



あれ?!
はなしが澪(みお)外に出て
土手に上がってしまいました。
なにを書きたかったのやら。すみません。



(艾子後語および笑府は松枝茂夫編訳を読みました)
(敬称略)
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バナナと鶏皮のサラダ [だまって食え!]

あい変らず!バナナばかり食べています。

以前には
やさしいおばちゃんたちに
もらってばかりいたのですが
いつも売っているところを探したのです。

そりゃぁ!バナナは
いつでもどこでも売っていますが
私のバナナは完熟したバナナ!
追熟して食べるものだと思うのですが
日本では少しでも変色したら
投げ売りに回されますね。
口さがない人は腐れバナナともいいますがね。
10 本から 15 本で 100 円!

投げ売り!大好き!



それにわが家のごちそうは焼き鳥の皮焼き。

近所の鶏肉店で一番安いものは皮のたれ焼き。
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1 串 50 円!税込み。



バナナと鶏皮でサラダを作ります。

バナナは皮をむいて
適当に箸で切ります。

いただきもののさつまいもを切って
電子レンジで加熱して!あらくつぶし
ほんの少し酢をふります。

バナナが柔らかいのでイモは硬めです。

バナナ 3 にイモ 1 くらいの割合で混ぜて
マヨネーズで和えます。

味見すると!甘い!
塩を少々!胡椒も少し!

それに串をはずした鶏皮と多量の青ネギと
茹でたコーンを入れましょう。

香りづけ程度に醤油。
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ハムのように見えるピンク色のものは
生姜の甘酢漬けです。



撮影の後!食べるときには
ネギを山ほど入れて
生姜をもう少し増やし
醤油も追加して
ラー油もふりましたが。

今年仕込んだ梅酒を出してみます。

砂糖を使わず漬けた梅酒の湯割りが
舌にドライ(辛口)で
このサラダにいいじゃないですか。

冷えた体と心にしみます。
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象の歩いた道 異人館街 [みんなで歩けばこわくない]

神戸市立王子動物園の前から歩きます。
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象が歩いた道を逆に進みます。

昭和 26 年(1951)諏訪山動物園が
新設の王子動物園に引っ越ししました。
大きな象 2 頭は歩いたのだそうな。

それが大変。
象は興奮して暴れて
3km と少しくらいな距離を
1 頭は 3 時間!
もう 1 頭は 4 時間かかったとか。

では!暴れないように参りましょう。



生田川。
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六甲山にロープウェイが見えます。
愛称は「神戸夢風船」!

あれ!?
「夢風船」ということばがどこにもないですね。
それに本名(!)が違っているような。
「神戸布引ロープウェイ」?!
以前には「新神戸ロープウェー」じゃなかったですか。
どちらでもいいですけど。



5 年以上ずっとアウトドアの相棒を務めてくれた
アラフォー(around 40)のお色気おばさん!
いや!スレンダー淑女!
失礼ながら出会った順に番号をつければ No.2
この秋の初め(2014/09)!突然!卒業(!)宣言。

その女史がいないから
仮面の!
ハイキングや小旅行や飲食パーティ等の
集いはしません。

仮面とは氏素性を聞かないことでした。

肩書きは聞きません。
恋愛歴や病歴や出自や国籍や
体重や郵便貯金額も聞きません。はは。
5 年顔を合わせていても
本名を名乗らない人もいましたね。

そんな清純から妖怪変化に近い人たちまでを
丸めてくれていたかの女がいないので
大きな企画は立てられません。

個人的なお誘いには乗りますが。

今日は
やはりアラフォーの No.4 のおね~さんとの
ハイキングです。

今年のハイキングの約束はこれでみんな終わり。



象の道は少し忘れて
神戸北野異人館街を散策します。

うろこの家を盗み見します。すみません。
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風見鶏の館の周辺にはいつも観光客でいっぱい。
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異人館通り(山本通り)に降ります。
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おしゃれです。
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街灯に花が咲いています。
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さらに西に進みます。



「ブラジル移民発祥之地」の碑。
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「神戸移住資料室」でお勉強します。
90 年前の国立神戸移民収容所の建てもの。
移住する人はここで研修してから
神戸港から旅立ったのですね。

あっせんする会社もあったのですか。
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送り出すだけで
無責任な会社もあったようです。
世の中!
そんなにうまいはなしばかりじゃありません。



諏訪山動物園跡に着きました。
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金星観測記念碑。
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明治 7 年(1874)太陽の前を金星が横断。
日本が観測に適しているというので
世界中から学者が集まったとか。
ここはフランス隊が観測地に選んだところ。

フランス隊がいたあたりでランチにしましょう。
私はフランスパン(バゲット)をかじります。あは。



神戸山手大学をかすめて流れる宇治川を下ります。
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大昔は宇治の郷と呼ばれていたあたりかな。

きれいに整備されていますが
ホタルの出現があるそうです。



大倉山公園を横切ります。

大きな台座。
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謎の台座だったのですが
あ!
伊藤博文の像があったと
小さな案内板が掲示されましたね。



楠木正成の戦死場所の湊川神社が
今日の終着地。

ん!?
楠木正成に興味がありませんか。
ま!興味ある人は少ないですけどね。

これを見て帰ってください。
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明治 11 年(1878)に植樹されたオリーブの木。

たぶん!日本で最初!
たぶん!日本で一番高齢。
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氷雨の奈良 花小路のバイキング [南都有情]

昨日(拙ブログ 2014/12/17)のつづき。

近鉄奈良駅を出たらランチどき。

あまり深く考えないで
駅近くのホテルの 2 階の
いつもの「花小路(はなこみち)」のバイキング。

ここが初めての
アラフォー(around 40)のおね~さんは
喜んでくれましたが。

いつものように
荻昌弘流バイキングの鉄則。
ひと口ずつ。
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まぜごはんにカレー味のものをかけて
シチュー風なものと味噌汁。
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魚のカルパッチョと野菜。
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これでほぼ全種類かな。
あんまり品数はありません。
1030 円。

デザートも食べておきます。
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皿にスペースがあったので
1 度食べたものものせてきましたが。



冷えていた体も少しはあたたまりましたね。
さ!がんばろ!

興福寺に上がれば。
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やはり!冬の冷たい雨の中!寒々。

春日大社参道を進み若宮神社へ向かいます。
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この季節!この天候!観光客がいませんね。

ハート形の絵馬は夫婦大国社。
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ここにも水占いがあります。
秋の貴船神社の水占(みずうら)では
大吉!安産!でしたよね。(拙ブログ 2014/11/21

お!
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今日も大吉!
でも!安産のことは!書いてありません。はは。



濡れて!寒くて!ともかくやけくそ気味に歩けば
水谷茶屋のわらぶきに紅葉が積もっています。
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もう今年の入山は終わったのか若草山も冬景色。
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三月堂!四月堂を経て二月堂の舞台の上。
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東大寺のいらかが並んで見えます。

アラフォーのおね~さんは
小学校の修学旅行以来の東大寺だとか。

修学旅行生はあまり通らないかも知れませんが。
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ふり返る二月堂へつづく道。
絵のセンスがあればカンバスを立てたいような。
いい天気ならね。



大仏殿の正面!中門からのぞきます。
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こんな悪天候なのに観光客はいますね。
外国人の人が多いような。

南大門を抜けて帰ります。

この天候では
「鹿せんべい」の店の多くが閉まっています。
数少ない開いている店に鹿が集まっています。
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鹿も大変です。
頑張れ!



(敬称略)
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冬の雨の平城宮 [南都有情]

冷たい冬の雨。
氷雨(ひさめ)というのはこんな雨かも。

緊急避難を兼ねて
平城宮跡資料館へ。
無料なのに入場者はいません。

まず平城宮から出土した
たぶん役人の「うんち」をご覧あれ。
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用足しの後使った棒も多量に出土しています。

「ここ!小学生が一番喜ぶ展示です」

はは!
私の頭は小学生並らしい。

貴族の食卓でも学びますか。
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ご馳走ですね。



長時間見学していましたが
意を決して外に。
余計に雨脚が強くなっているような。

このアラフォー(around 40)のおね~さんとは
今年最後のハイキングです。
すごい天候になりましたね。

おね~さんが行ったことがないというので
平城宮(平城京)跡にやってきましたが。

復原された(第一次)大極殿(正殿)!
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人影がありません。

大極殿の中の見学も無料ですが
係員の人ばかり。

大極殿のテラスから
真南に目をやれば朱雀門がかすんでいます。
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行きますよ!朱雀門へ。

あ!?
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大極殿の南門と
朱雀門との間の広大な
(第一次)朝堂院跡がきれいに整備されています。

長い間!荒れ地のような風情でしたが。
どうするつもりなんでしょう。

朝堂院跡と朱雀門の間に近鉄が走っています。
近鉄の踏切を越えたら
平城京歴史館がありますが。
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有料ですので今回は行きません。
いつか!
かれができたら連れてきてもらいなさいね。

朱雀門!
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この幅員のある道が朱雀大路かな。
このまま南に 4km ばかり
まっすぐ羅城門つづいていたはずですが
残念ながら 200m足らずの復原で
それから先は杳(よう)として知れません。
1300 年のほこりが隠しています。

いつもなら人がひしめいている朱雀門。
今日は横を走る近鉄電車がよく見えます。
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線路はいずれ撤去されるか
地下にもぐらねばなりますまい。



リュックが濡れて
足元が濡れて
手がかじかみます。

東大寺まで歩くつもりでしたが
美容(!)に悪いので
近鉄線路をたどり
大和西大寺駅にもどりましょう。

電車で東大寺の方へ向かいます。
車窓越しに見る大極殿。
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冬ですね。
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