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清少納言の遊ぶ三船祭 [平安京有情]

京都市右京区の
車折(くるまざき)神社の境内に
清少納言社があります。
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小さな祠(ほこら)です。

清少納言と中宮・定子は
才女同士の出会いですね。
ほんの短い日々でしたが
充実した生活を送り
清少納言は “枕草子” に
定子を生き生きと書き留めました。

定子の死後
清少納言の消息は絶えました。
今では本名も墓所もはっきりしません。

この神社の祭神は
清原頼業(きよはらよりなり)だそうな。
清少納言は清原氏出身と推察されるので
ここに祀(まつ)られているのですね。



今日(2017/05/21)は「三船祭」です。
清原頼業の生きた平安時代の船遊びを再現する祭。
その会場の
嵐山の大堰川(おおいがわ)に移動します。

拝観を拒否して!もう長い臨川寺(りんせんじ)。
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岡本かの子の小説「鯉魚(りぎょ)」の舞台。
応仁の乱の後の
臨川寺の沙弥(しゃみ)と
丹波の殿さまの娘が
大堰川の河原の葦の中で恋をしたのですね。

臨川寺の前は小説では大堰川。
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今の河川名は桂川。
その桂川の渡月橋から上流が通称・大堰川かも。

渡月橋のすぐ上流に堰(せき)があります。
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大きな堰です。
だから大堰川。
もっとも渡月橋は昔は
ここより上流に架けられていたといいますから
この堰もこの場所ではなかったかも知れません。

ちなみにその上流の船下りで有名なところは
保津川と呼ばれたりしています。

あまり深く考えても阿呆にはしんどいだけ。
やめましょう。



渡月橋の左岸のたもとに
車折神社の頓宮がありますが。
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今回の祭事には関係なさそうです。

大きな堰!大堰川の右岸で待ちます。

12 時半過ぎて
中の島を出た “清少納言” 一行が
渡月橋を渡っています。
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催事はすべて左岸のほうです。
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こちら側は道の幅員がない上
手すりもなにもない路肩の横は水深のある川。
そこへやっぱり人が押しかけて
危ないったらありゃしない。

私は!たぶん上ってはいけない山肌に
はい上がり!とりついています。



延々と 1 時間あまり
事情もなにも分からないまま。

やっと船が動き出しました。
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船は右岸のほうにもやってきます。
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ボート等!見学するために出動している
小舟が多くてわずらわしい。
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船は 2 隻を
つなぎ合わせた構造になっているのですね。
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ん!?
なん隻回っているの?!
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「三船祭」ですから 3 隻?!
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御座船!龍頭船!鷁首(げきす)船かな。
浅学にして
鷁(げき)なんて動物知りませんぞな。
そして!どれがどれやら。



後白河法皇(1127 ~ 1192)が集めた
今様歌謡の梁塵秘抄に

嵯峨野の興宴は鵜舟(うぶね)筏師(いかだし)
流紅葉(ながれもみぢ)
山蔭(やまかげ)響かす箏(しやう)の琴
浄土の遊びに異(こと)ならず

という歌がありましたが。

船遊びは極楽浄土のようですね。

他にも梁塵秘抄に「嵯峨野の興宴」は 2 首。
大堰川は遊びに適した川なんでしょうか。

16 世紀の閑吟集に

今朝の嵐は 嵐ではなげに候(す)よの
大井川の 河の瀬の音ぢゃげに候(す)よなう

なんて小歌がありますが。

嵐は嵐山とかけてあるようです。
大井川は大堰川のこと。
遊女が客にいっているのかな。
枕の下を水が流れていたのかも。

大堰川の周辺は
遊所が集まっていたとも聞きましたが。



あ!
2 隻を合わせた船ではない船もあります。
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これが御座船でしょうか。

望遠レンズをいっぱいに伸ばせば
清少納言(たぶん!)がいました。
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“こども” も。

余談ですが
遊女も禿(かむろ)という
こどもを従えていますね。

宮中!大奥!遊廓!
どうしてよく似た組織になっているの?!

どこかが
どこかのマネをしているのでしょうけど。

それとも
例えば海に降りた哺乳類が
魚類に似た体形になるように
“女” の世界は
どういういきさつで生まれても
最終的には似てくるものなのでしょうか。



(梁塵秘抄/佐佐木信綱校訂/)
(閑吟集/浅野建二校注/参照)
(敬称略)
タグ:枕草子
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