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高田城跡 二人静の里 [野道!山道!恋はけもの道!]

奈良盆地の南西の大和高田市。
大昔から交通の要衝らしい。
今も近鉄・大阪線!
JR和歌山線!
近鉄・南大阪線がすり寄っています。

吉野や橿原神宮や
山の辺の道に行くときには
通り過ぎているのですが。
しかし!
降りてみることはまずありません。
通過するだけの里です。

今日は高田城跡があると聞いたので
探検です。

わずかな情報では
JR桜井線と和歌山線の中だといいますが
さまよっていたらその外にありましたが。
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平城ですね。
ただの空き地のようで
面白いものはありません。
織田信長の時代に廃城になったようです。



高田城跡の南に東西にまっすぐな
国道 166 号が走っていました。
この道を竹内街道と表記してありました。

竹内(竹ノ内 or 竹の内)街道は
大坂(大阪)と大和を結ぶ
古代の官道ですが。
私の手元の竹内街道の地図には
大阪府堺市の阪堺・大小路駅前から
奈良県葛城市の
長尾神社までとなっていますが。
さらに延長しているんでしょうか。

ま!細かいことはうっちゃって
長尾神社のほう!すなわち西に進めば
大中(おおなか)公園がありました。

「静御前記念碑」なるものが。
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「しずやしず 賎のおだまきくり返し
「むかしをいまに なすよしもがな

能の二人静(ふたりしずか)の
名場面の歌詞ですか。

吉野でもなく鎌倉でもなく
大和高田市の地なのにね。
この地は静御前の母の里だとか
かの女の終焉の地だとかの
伝説がありますからね。

元歌は

「いにしへの しづのをだまき くりかえし
「むかしを今に なすよしもがな

昔いい寄った女性に
もう 1 度昔に返すすべがあったらなぁと
ある男(たぶん!在原業平)が
ちょっかいをかけて歌を送ったけど
相手にされなかったのですね。

この「しづ」は「倭文」
日本で考え出された織物でしょうけど
「倭文」と悲しい身の上の「賤」と
静御前の「静」のそろい踏み。

世阿弥の会心の作でしょうか。

この大中公園の池の中に
浮舞台と称せられる能舞台が目を引きます。
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そんな関係で建てたのでしょうか。



「いにしへの しづのをだまき くりかえし
「むかしを今に なすよしもがな

身につまされますね。

稲穂の黄金色に魅せられてふらふら。
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稲刈りを見学。
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労働はいいなぁ。
私は今までなにをしてきたんでしょう。
反省より恐怖感が増しますね。

「調田坐一事尼古神社」がありました。
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「つくだにますひとことねこじんじゃ」
と読むのですか。

「ひとこと」だけの願いを託しに
善男善女が集まっていたのでしょうね。

私もあちこちの「ひとこと主」に
お願いしてきましたが相手にされません。
欲深いものには霊験はありませんね。



浅くなった用水路に小魚が。
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「鷺(さぎ)知らず」と
逃げられればいいのですが。

コンクリートばかり!
休まるところも
産卵するところもない環境で
よく命をつないでいますね。

ああ!
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寄せ集まればひとつの生命体ですね。

ぎゃ!
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ピンク色はリンゴガイの卵塊?!
奈良盆地に棲息を広げていますね。

でも!ジャンボタニシと呼ばれるような
大きな成体が見かけませんね。
どこかに隠れているのでしょうか。

大昔に「ラプラタリンゴガイ」と
レクチャーされたので
いつもみなさんについ!
そういってしまいますが
ほとんど「スクミリンゴガイ」だそうな。

その違いは知りませんが
どちらにしろ
駆除しなければならないものでしょう。
かれらに罪はないのですがね。



「この世に生きる よろこびなんか
「だれもおしえて くれはせぬ
「意地を張っても 心じゃ泣ける
「自分にうそは つけないさ

あは!
自分にもうそをついて生きていますよ。

歌は嫌いです。
敬遠して生きています。
それなのにその嫌いな艶歌が
諭すように!からかうように!
突き放すように!
繰り返し耳の奥で止みません。

しずのおだまきのように。
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(伊勢物語/石田穣二訳注/参照)
(敬称略)
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