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下ツ道が川になっていた田原本 [いわなが姫の丑の刻参り]

飛鳥時代に
いくつかの大道が整備されたようです。
奈良盆地を南北に
上ツ道!中ツ道!下ツ道の 3 道が
ほぼ直線で走っていたとか。

結果!飛鳥や藤原京のあった地と
平城京を結ぶ道になったのでしょうか。

その西側の道が下ツ道。

近鉄吉野線・岡寺駅のそばの
見瀬丸山古墳あたりから
平城京の朱雀大路まで
奈良県観光局の推察した下ツ道は
20km をゆうに越えていますが。

おなじころに整備された
山辺道(やまのべのみち)は
今!多くの人に
愛されているハイキングコースです。

この道はどうなんでしょう。
なかなか歩き通す機会がないまま。



近鉄橿原線・田原本駅。
帰るにはまだ陽が高いので
東に歩いて下ツ道を探します。

寺川にあたりました。
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川の土手が下ツ道!?
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どちら側がそうなんですか。
それとも下ツ道が川になったのでしょうか。
もしそうなら人工的に?自然に!?

下ツ道より
「中街道」という標識が多いような。
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平城京がなくなると
下ツ道がすたれて行ったのでしょう。
その代わりに
平安時代の終わりころの中世になったら
中街道という道が発展したらしい。
その一部が今でも残っているのかも。
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もうなにがなんやら。

いえることは!
山辺道のように
みんなで手をつないで
(手をつながなくてもいいですが)
ハイキングを楽しめるような道は
残っていないのですね。



田原本町の観光協会が
「桃太郎のふるさと」といっていましたが。

このあたりに
桃太郎のモデルの吉備津彦命の父親の
第 7 代孝霊(こうれい)天皇の
黒田いほとの宮があったそうです。

だから
吉備津彦命はここで生まれた?!
だから
桃太郎のふるさと!?

どうぞ!ご勝手にご主張くだされ。
だいたい!
孝霊天皇なんて記・紀の中の人!
99.9 %伝説だけの人。

環濠集落の町だともいっていますね。

楼閣跡が発掘された弥生時代の
唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡は
たしかに環濠集落でしょうけど。

田原本は楽田寺の門前町とも!?

楽田寺はありました。
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創建は奈良時代らしい古刹ですが
今は無住?!
閑散としています。
それに町の南東の角!?
町の中心じゃないんですが。



「寺内町 田原本」という
リーフレットもあります。

教行寺を中心の寺内町だったそうな。

その教行寺のあったところに行けば
威容を誇っている浄照寺がありました。
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教行寺が去った後に
浄照寺と本誓寺ができて
その寺内町になったのでしょうか。

いくつもの歴史が重なっているようです。
頭が混乱します。

南には広大な境内の津島神社もあります。
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ともかくこの 3 寺社をとり囲んで
碁盤の目のような
直線の道がつけられています。
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江戸時代の建造物も多くあるようです。
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卯建(うだつ)とか虫籠(むしご)窓とか
時代劇に出てくるような
伝統的建てものがあります。
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歴史の年表を持たない阿呆の頭の中は
おもちゃ箱を
ひっくり返したようになりました。
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