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討ち入りの日のホテイアオイ [解語の枯れ尾花]

今年の初冬は異様にあたたかい。
もう 12 月 14 日です。

赤穂浪士の討ち入りの日ですか。
元禄 15 年 12 月 14 日といいますね。

元禄 15 年は西暦の 1702 年。
12 月 14 日は 1 月 30 日。

ということは 1702 年ではなく
1703 年!?

吉良上野介を殺害したのは明け方!?

とうことは
討ち入りは 14 日ではなく
15 日の未明!
今の暦の 1 月 31 日かも。

なにがなんやら分からなくなりますね。



しかし!こんな野蛮なはなしを
どうしてこうも日本人は好きなのでしょう。

そして上演するたびに
新しい作りばなしを
さも!史実のようにかたって。

仮名手本忠臣蔵は
平和ボケの産物でしょうか。

戦争のない世では
行政に必要なわずかな人をのぞけば
武士の大多数はまったくの無用のもの。

米の 1 粒も作ろうとせず
釘の 1 本を打つ努力もなく
非生産性きわまります。

非生産性だけならともかく
例えば!時代のさがったはなしですが
勝小吉の独白の「夢酔独言」を読むと
カネを巻きあげて
遊ぶことばかりに終始しています。

無用なものから
ないほうがいいものになっています。

領主としての自覚がない浅野内匠頭は
精神的におかしいでしょう。

その人に忠義かなにか知りませんが
赤穂浪士の行動も悲しい。

赤穂藩はともかく
巻き添えを食った吉良家もつぶされ
これは将軍家の陰謀としか思えませんね。

芝居では
浅野内匠頭の後嗣(こうし)の
大学のお家継承が認められず
討ち入りしかないなんていう
ストーリィが多いのですが。

しかし!大学は将軍・綱吉の死後すぐ
旗本に召されているようです。
さらに!吉良家も復興しています。

つまり!両家のけんかの相手は
将軍・綱吉だったのでは!

少し昔!だれかが
「刃傷は綱吉の脚本説」なるものを
提示していましたが
そのほうに納得してしまいます。



ドラマの忠臣蔵のように
雪の降る気候ではないのですが。
しかし!油断はできません。

今年はホテイアオイの花が
あまりとぎれず咲きつづけました。
blog1.jpg

2 個で 100 円もしなかった株。
花は小さいけど!
ま!それは環境が悪かったのでしょうけど!
いい個体でしたね。

ホテイアオイは毎年買っているのですが
やたら子株!孫株を増やしても
花が咲かなかった年。

なん度買ってきても
1 月もしないうちに枯れてしまう年。

今年の株は
わずかしか増えませんでしたが
花は咲きつづけていましたね。

これを残しましょう。

冬越しはできるんでしょうか。
特別の施設に入れなくても。

発泡スチロールの箱に入れて
ビニール袋で包んだらどうでしょう。
blog2.jpg

晴れた日にはふたを開けて
ビニール越しの陽を浴びさせながら
春を待ってみます。
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