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残暑の有馬富士 [みんなで歩けばこわくない]

有馬富士にやってきました。
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有馬富士は初めての
アラフォー(around 40)のおね~さま方です。

「逆(さか)さ富士?!」

はは!かすかに逆さ富士の影。

ここから真北 4、50kmの福知山市あたりが
大水害にあった直後ですから
このあたりにも豪雨があったのでしょうか
福島大池の水が多くてにごっています。

いつもはもっときれいに
すっきり逆さ富士が写っているんですが。



たくさんのカモ(鴨)が休んでいます。
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カルガモ?!
よく見えませんが。

多くの種類のカモの飛来が多い池ですが
まだ 8 月ですよ。
冬鳥がくる季節には早いような。



「水辺の生態園」は夏休みかな。
見るべきものもないような。
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あれ!?
アメリカザリガニ?!

それも尻尾がなく!頭だけのやら
バラバラになったのやら。

だれがかじったの?!
水鳥なら丸呑みするでしょう。

そもそも!ザリガニがいたの?!
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ウシガエルのおたまじゃくしもいますけどね。

昔の里山の水辺にもどる日はくるのでしょうか。



彼岸花?!
ちょっと早いのでは。
リコリス系の花が咲いていました。

彼岸花でペンダントを作りませんでしたか。

「知らない」

大年増のクセに「ぶりっこ」して
ウソつくんじゃありません。

花茎を交互にポキポキ折れば!はい!
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男の子たちは聴診器にみたてて
「お医者さんごっこ」をしたがっていませんでしたか。

「それは!オカマの世界のはなしじゃないの!?」

だれがオカマですか?!



「かやぶきの民家」です。
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たぶん!三田市がこの公園のために
移築再現しているのでは。

8 升炊きの羽釜(はがま)と大鍋があります。
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はは!よく似合うじゃないですか。
大丈夫!
今すぐ!この家の主婦になれそうですよ。

管理の方から西瓜をもらいました。
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ありがとうございます。
やさしい親切な里ですよ。
やっぱり!ここで
お姑(しゅうとめ)にきたえてもらいなさいよ。



水が多いので落し口は
ちょっと面白そうな渓流になっています。
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ここで涼んでいますので
元気なおね~さま方は登頂してきてください。
迷うことはないから。

残暑が厳しいので帰りますか。
登頂もしないで。
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また!秋か春に機会があれば登りにきましょうね。
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冷やし親子茶漬 [もっそうライス]

親子丼があれば
親子茶漬があってもいいような。

油揚げと納豆の親子。
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はは。
親子じゃないですか。

納豆は乾燥納豆。
大徳寺納豆のような寺納豆ではありません。
糸引き納豆の乾燥したもの。
糸引き納豆の匂いがあります。

油揚げは焼いてきざんでいます。

塩吹き昆布をおいて
暑いので冷やした京都の疏水の水。



これも親子かな?!
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奈良漬と瓜(うり)。
瓜はマクワウリ。
冷やした渋い大和茶をかけます。
塩辛さとほんのり甘さ。



ん!?
「茶漬(茶漬け)」でいいのでしょうか。
「お茶漬」と“お”をつけなくても。
「にぎり」と「おにぎり」とは違うけど。

参考になるものかどうか分かりませんが
美食家として伝説のある
北大路魯山人(1883 ~ 1959)は
随筆に「茶漬」と「お茶漬」を
ごちゃまぜに使っていますなぁ。

随筆のタイトルだけ拾っても
「お茶漬の味」「納豆の茶漬」とか。

傲岸不遜(ごうがんふそん)のイメージ通りに
主に「茶漬」と書いていますが
ときどき「お茶」とか
「お茶漬」をはさんでいますねぇ。

たぶん!京都出身ですので
「お茶漬」と普段はいっていたのじゃないでしょうか。
でも!なんでもかんでも尊大がウリ!
威張りたくて(?)たまらず
意識的に「お」を抜いたのでは。

重箱の隅をつついて!すみません。



茶漬はもとより
冷やし茶漬もめったに食べませんが
夏の暑いときには病みつきになりそう。

ゴーヤー(苦瓜)ときゅうりを立て塩で洗って。
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生味噌とたたきゴマをトッピング。

九州に行ったことがありませんが
かの地方の「ひやっちる」や
食べたことがありませんが
奥羽山脈あたりの「ひやじる」や
昨日の味噌汁の冷えたものでいいのじゃないかと
いわれるかも知れませんが
生味噌がいいのです。
よく成熟した生の味噌の味が好きなんです。



白菜のキムチと青ネギの冷やし茶漬。
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これにはなぜか
コカ・コーラが売っているミネラルウォーター
「いろはす IROHAS」の「ふじりんご」味が
私にはよろしい。



元気を出すため!?
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にんにくを醤油に漬けておいたものと
庭(貧乏家ではベランダともいいますが)の
パセリを積んでトッピング。
冷たいウーロン茶をかけますか。

にんにくはいつ仕込んでいたものか忘れました。
すっかり黒変して
気のせいか匂いもないような。
明日のデートも大丈夫。
よく考えたら
そんな予定はなかったけど。



(敬称略)
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東大寺転害門 読めますか [南都有情]

奈良の東大寺の西方に
京に通じる道があります。

古道らしい。
京街道というのでしょうか。
京都からみたら
奈良街道というのかも知れませんが。

街道に沿って
築地塀(ついぢべい)があります。
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このあたりが東大寺の西の境界?!

この南北の境界線の南の方に
古そうな立派な邸宅があります。
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「荒井」と表札があがっています。

荒井さんがお住まいですが
荒井さんの持ち家じゃなく仮の宿(!)かな。
荒井さんは奈良県知事。
知事公舎なんですね。
趣のある公舎です。



少し北へ進めば
「轟橋」「雲井阪」の石碑が
排気ガスにさらされて振り返る人もなく。
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街道に橋や
旅人を悩ます
ちょっと急な坂があったのでしょうか。



つづいて
「史跡東大寺旧境内」の碑。
やっぱりこのあたりまで境内だったのです。

その横に大きな礎石。
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「西大門址」だとか。

たぶん!礎石は
まだいくつかあったのでしょうけど
盗まれたり!転用されたり!売られたりして
今はふたつだけ。

地図を広げます。
ここから西にまっすぐ行くと!
今は道路事情が変わり!まっすぐ行けませんが!
平城宮の朱雀門へあたるようです。

東大寺は南を向いていて
南大門が威容を誇っていますが
もしかして
西大門が正面だったのでしょうか。

国分寺の総本山ですから
古地図には「国分門」と書かれていたような。
ちょっと記憶があいまいですが。

礎石があまりにも立派。
やっぱり!
今の南大門以上の大きな門だったのかも。



さらに北に進めば「焼門前」の交差点。
「やけもんまえ」と読むのでしょうか。

門が焼けたのですね。
大昔ですね。
記録をひもとくと
慶長 11 年(1606)のことらしい。

ここにあった門の名前は「中御門」
しかし!慶長以来だれもそんな認識はなく
再建もされず!
「焼門(やけもん)」と呼んできたようです。

大きな礎石が 9 個残っています。
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並びが少しぎこちないのは
道路を造った際!動かしたのでしょう。

この道は東大寺金堂(大仏殿)と
講堂(跡)の間につづいていました。



西の境界線にはもうひとつ
一番北に転害門(てがいもん)があります。
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東大寺創建時(8 世紀半ば)から残っている
数少ない建造物。

鎌倉時代ころに改修した跡もあるそうですが
それからでも 7、8 百年。

端の風雨がよくあたる柱はやせています。
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石にうがたれた穴は屋根から落ちてきた
雨だれのしわざ!?
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歳月の重さに戦慄が走りますね。

門の中央に平石が 4 個あります。
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東大寺鎮守の手向山八幡宮が
九州からやってきたとき
神輿(みこし)が休んだところだそうですよ。

1250 年の間にはいろいろあったようで
この門は佐保路門というのが最初の名前らしい。

そして「転害(てがい)門」!

「転害(てがい)」の漢字もややこしい?!
今じゃ「手貝(てがい)」になっていますね。
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大阪人はたまご好き?! [郷に入ればガタロー]

ヒトに聞かれたら
「仕事で忙しい」なんていいますが
早朝から雑用ばかりですね!はは。

「なまけものの節句働き」と
祖母がいっていたことを思い出します。
みんな夏休みしている季節。

ランチどきは過ぎました。

激安スーパーでなにか買ってきましょう。



飲食店の多くも休んでいますね。

そうだ!年中無休の自称・高級割烹のおじさん
今日もせこせこと仕込みでもしているかな。
あの人も「節句働き」の仲間かな。

ちょっとからかってウサでも晴らしますか。

休んでいました。

大昔に生き別れた娘さんがきたのかな。

私はお会いしたことはありませんが
遠くからでも
あの人の娘や!と分かるほど
父娘!容姿が瓜ふたつ!
いや!南瓜(なんきん)ふたつらしい。

可哀想に。

松竹芸能所属の父娘コンビの漫才師がいます。
三吾・美ユル。
キャッチフレーズが獅子舞親子でしたか。
ふたりの顔が
獅子舞のカシラにそっくりなんですかね。

ふと!なぜか!その親子と年格好がよく似ていると
思ってしまいましたが。
年格好が!ですよ。

閑話休題。

お互いに亀の甲に苔(こけ)が生える年になると
恩讐(おんしゅう)を越えて
盆!暮れ!彼岸には
いっしょに墓参りに行くといっていましたね。

エラいなぁ!あの顔で。
顔とは関係ありませんけどね。



あ!
西田辺の中華料理の「昇龍」
ランチ営業をしていました。

「日替わり」の
「天津飯(てんしんはん)」をもらいます。
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鶏肉のから揚げもついて 550 円。

天津飯とは他の地方ではどうか知りませんが
大阪では
カニの身が入ったたまご焼きをごはんにのせて
あんをかけた丼もの。
大陸の天津にはない食べものかも。

今日のあんのかけ方が絶妙。
あんまり食べる機会がないので
こんなものかどうか分かりませんが
どえらく!おいしく感じます。



天津飯は中華料理のメニューの中で
大阪では大人気のひとつらしい。

天津飯とラーメンの組み合わせも
大好きとか。

大阪だけの特色?!
他の地方でこんなこと!あるのでしょうか。

大阪人はたまご好き!かも。

気取った会席でも
ラーメン店でも
場末のめしやでも
社員食堂でも
たまご焼きや半熟たまごに
異常に目を輝かす大阪人をなん度か見ましたよ。

気のせいかも。



そうそう!
あの自称・高級割烹の湿気(しけ)たある夜。
客は私をのぞくと
くたびれたおじさん 4 人。

「ベーコンエッグ」のご注文あり。

次にまたベーコンエッグ!

次の人もベーコンエッグ!

4 人目の人もベーコンエッグ!

私以外の人!みんなベーコンエッグ!

笑えました。

ベーコンエッグで笑えることって
そうないですよ。



たまごを 2 個使って焼いていましたが
見事に!はは!
どれも!
めだまがひとつつぶれていました。

「別の器に割ってから使いなさい」と
余計なことをいったのですが
さすが!一流料理人(?)
ちゃんと別の器にたまごを割ってはいましたが
どうして仕上がりがつぶれてしまうの?!

「辛抱して食べとけ」
おじさんは客にエラそうにいっておりました。

よく客が怒らないものです。

「これ!ただ?!」

「半額にしとけ!」

客も負けてはいませんでしたが。



(敬称略)
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一念坂 二年坂 産寧坂 [平安京有情]

そぼ降る雨の中の安井金毘羅宮。
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たぶん!それほど若くもない女性たちが(失礼!)
形代(かたしろ)で白い山になった石の穴を
くぐろうとしています。

願いごと
たいていはオトコと別れるとか
結ばれるとかのたわいもないことでしょうけど
それを書いた形代(お札)を持ってくぐってから
その形代を貼りつけるらしい。
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ま!ぼちぼち頑張ってください。



東山に向かってゆるやかに上ります。

墓所の案内の碑が並んでいます。
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「維新の道」ですね。
そうでした!
坂本龍馬(1836 ~ 1867)の墓につづく道でした。
ずいぶんご無沙汰していました。

ああ!
この坂と
南側に並行している
「龍馬坂」を散策していた遠い日。
長い間!思い出すこともなかったのですが。

よくまぁ!恥をさらして生きていたものです。

毎日!日記を
それも食べたものばかり書き出している
サイテーの日記」を書いていますが
最近!食べたものをすぐに思い出せません。はは。

どこで食べたのかも
にわかに思い出せなかったりもして、、、ああ。

それなのに
このそぼ降る中
突然!大昔のあの日が目前に浮かんできたり。

たたりかも。



左手に霊山(りょうぜん)観音が見えます。
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不思議な観音像でした。
そんな記憶があります。

宗教が感じられなかったような。
ただ!観音像があるだけだったような。
すみません。
鈍感過ぎる人生ですので。

そもそも!だれと
観音さまをあおいでいたのでしょう。
色気づいていたことはたしかですが。



京都霊山護國神社の境内に
坂本龍馬!中岡慎太郎!高杉晋作の墓があります。

拝観料 300 円。
参詣じゃないんですか!拝観ですか。
お金がいるのでしたか。

引き返します。
それまでして見たくはありません。

龍馬を英雄視する人がいますが
私は好きではありません。

この人には
いつも黒いカネがついて回っていますから。

海外の軍艦・武器商人と各地の大名との取り引きに
高い仲介料を取ったり!
贋金(にせがね)作りを画策したり!

それがこの時代の
「正義」だったのかも知れませんが。



このあたりを徘徊した遠い日の恋。
しかし!
相手はだれだったのか、、、?

いろんな人の顔が
かつ現れて!かつ消えて、、、。
たぶん!あの人、、、!?

すみません。
薄情な!無責任な恋ばかりしています。

今日はガラにもなく
少し反省するだけで涙が出てきますが
濡れているのは雨のせいにして
維新の道を降りてくると
一念坂。
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こんな坂!ありました?!
坂ともいえないような勾配の少ない通り。

「一念坂」の道標の裏に
平成 2 年(1990)ときざんであります。

四半世紀前からあったのですね。

かまわず!南に進みます。
二寧(にねい)坂。
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雨が強くなったのに観光客は減りませんね。
さらに上って産寧(さんねい)坂。
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まず!清水寺につづく清水道に上る
産寧(さんねい)坂があったのでしょうね。

「さんねい坂」があるのなら
その下の坂は
「にねい坂」と呼んでもいいのでは
なんて思うのは自然かな。

産寧坂は漢字がむずかしいので
「三年坂」と書きましょう。

それが許されるのならその下は二年坂。

じゃ!一年坂も作りましょう。
と!一年坂の誕生。
ちょっとひねって表記は「一念坂」!?

どうか知りませんよ。
そう考えただけです!ごめんなさい。



清水道に出たけど
清水寺の方へ
人ごみに紛れて流されるのも疲れそう。

反対側
鴨川の方へ下ります。

雨がやんでも
霊魂!
じゃなく!恋の思い出が肩に重い。

六道の辻に出ました。
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この世とあの世の境界。
各地にありますが。
京都では嵯峨にもありますが。
ここが一番有名でしょうか。



ここに「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」の
「みなとや」があります。

葬られてからあかちゃんを産んだのですが
肉体が滅びているのでおっぱいが出ません。

おかあさんは幽霊に変身して
いっしょに納棺されていた三途の渡し賃を持って
みなとやに飴(あめ)を買いにきたそうな。

あかちゃんはその飴で
渡し賃のある間生き長らえ
助け出されて!後に高僧になったのですね。

今日は肩に水子の霊(ウソですよ!)が重くて
魅入られたように飴を買いました。
税込み 500 円。
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麦芽の水飴でできた
かち割り氷のように硬い飴。



また!降り出した雨に濡れながら
ひとり「子育飴」をなめて立ち尽くします。
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ま!いいか!
死ぬまで生きていこう。
生死は私の決めることでもあるまい。

笑ってすまそう!数々の不逞には。
申し訳ないけど。がははは。

あ!どなたか肩に重いものをお持ちの方
飴!さしあげますよ。
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