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京都堀川 山本富士子の夜の河 [活動写真]

堀川通りという
京都市街を南北に走る大きな道があります。

堀川ですから川があります。

歴史のある川だったのでしょうか。
現在は夏の「京の七夕」の会場になるくらいしか
思い出しませんが。

京野菜に「堀川牛蒡(ごぼう)」というやたら太くて
中に“す”が入っているごぼうがありますが
堀川とどんな関係があるのか知りませんが。

二条城の東にその流れがあります。
そのあたりだけが開渠(かいきょ)のようで
前後どうなっているのか、、、ま!知りたくはないですけど。

北の堀川今出川の交差点のところから
水が出てきています。
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しばらく木々の中を流れて。
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安倍晴明らのたくさんの伝説の残されている
この世とあの世をつなぐ橋
一条戻(もどり)橋あたりから
川底に遊歩道ができています。
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北に西陣
機(はた)織りの大産業地があり
このあたりには
染織業の職人の家が並んでいたらしい。

先の大戦後の「友禅染め」の世界を描いた
沢野久雄著/夜の河/があります。

昭和 31 年(1956)に大映で映画化されています。

戦中・戦後の動乱で
染織業の家の娘・きわ(原作では紀和)は婚期をのがし
家業を継ぎ
父をしのぐ職人になっていて
その上!販売・経営もひとりで担(にな)っています。

このしっかりものの “きわ”の不倫の物語。

婚期をのがしたとありますが!まだ 29 歳ですが!
この時代ならそうかも。
小学校を卒業するくらいのこどもの
ひとりやふたりいるのがフツーだったのでしょうね。

“きわ”を山本富士子が演じています。
とてもきれいな人です。
周囲の女優もそんなにブスということもないのですが
富士子の前では不細工に映ります。

ヒロインの設定は 29 歳ですが
富士子は大映時代ですから
まだ 24 歳くらいのときの撮影ですね。
すごく年長に見えますけどね。
美人はおとなに見えるのかな。

ちなみに私は美人・美男子は嫌いです。
ま!気後(おく)れして近寄りがたい!ので
お知り合いにはなりません。

あ!
ハイキングで同道する
アラフォー(around 40)のおね~さん方は
水も滴(したた)るような!匂うような!
近寄りやすい美人ばかりですよ!
滴り過ぎて!匂いいっぱいの!それなりに美人。



原作では堀川は
「染料に染まった水が間断なく落ち込んでいる河」と
なっています。

汚水に黒々となっている死の川だったのですか。

映画の冒頭に川沿いを走る路面電車が出てきます。
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映っているのは堀川に違いありません。

京都市の立てた案内板にも。
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映画より数年後の昭和 36 年(1961)の写真。

水の色ははっきり分かりませんが
いずれも今より水量は多いような。

もちろん現在は廃線になっていますが
電車は川のどちら側を走っていたのでしょうか。

川を真ん中に
川の東側西側
それぞれ同じ幅員を持った道があったらしい。
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今の堀川通りというのは西側(画像の右)です。

東側よりとても広い道。
第二次世界大戦中
住居を強制撤去して拡張工事をした結果らしい。
防火帯を造るためだったそうな。

今はキュークツに感じる
東側(画像の左)の細い方に線路があったと
おばあちゃんに聞いた!と
近くの沖縄料理店の美人の姉妹(たぶん!)の弁。

おばあちゃん!ねぇ。
隔世の感。



映画の路面電車はまた 1 度。
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二条城前の停留所かな。

このあたりに木造家屋が軒を連ねていたのですね。
“きわ”の妹が里帰りしている写真です。
主人公の家はここにあったのです。

今も二条城は変わりませんけど。
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友禅染めを生業(なりわい)にしていた
木造家屋の連なりはありませんね。
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川底に降りれば
古い石垣がつづいていました。
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二条城の文字通り「堀川」の一部だったのかも。



職人が「労働基準法」と叫べば
主人は「奉公」とやり返し
表はメーデーの行進。

終戦直後!社会常識が一変!
新しい瀬音と古いよどみの交錯。
そんな映画でした。

「終戦後」も遠くなりにけり。

“きわ”が体を許す大阪大学の不倫教授は
遺伝学の権威らしい。
赤いショウジョウバエ作りに腐心していましたね。

遺伝学も隔世の感。

ああ!私はただ
安倍晴明の一条戻橋の世界がなつかしい。



小説・映画のタイトルが「夜の河」!
どうしてそんな題なのか!
鈍感なものはいまだに分かっていませんが。

  赤も黄も朱も青もみんな一つに溶け合い
  紐のようにからみ合って流れてゆく。(夜の河)

今はただ
きれいな水がさらさらと流れています。
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(敬称略)
タグ:廃線
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ざこばの朝市にて [朝食 モーニングサービス]

朝の大阪市中央卸売市場。
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今日(2014/09/28)は日曜日ですから
荷が入ってきません。

でも!横の安治川沿いの遊歩道では
セリの声が聞こえます。
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「第 17 回ざこばの朝市」です。
「見て、体験して、味わえる食育」というイベント。
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トロ箱単位でセリにかけられています。
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「中央市場名物・せりおやじ」という人が
「1000 円から!」と叫べば
すかさず!
「4000 円!」と叫ぶ男がいます。

「お遊び」ですからね!
もっと!愉快にできないものかね!
小刻みにセリ上げて行き
2、3000 円で落ちるように。

黒門市場のイベントのときも
いきなり 4000 円とか 5000 円とか叫び
ムードをぶち壊す輩がいましたが
空気の読めない男は情けない。



「ざこば」とは大阪のことばでしょうか。
漢字では「雑魚場」とか「雑喉場」と書くとか。
生魚市場だったのですね。

西区江之子島の生魚市場や
北区天満の青物市場なんかがいっしょになって
昭和 6 年(1931)に中央卸売市場ができたらしい。

「ざこばの朝市」ですから魚のブースが多い。
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天候に恵まれて
早朝 8 時から大勢の人です。
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クルマエビ釣りがありました。
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小エビならエビすくい。
金魚すくいの「ぽい」ですくっています。
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「キッズ職業体験」でしょうか。
小学児童がピザを焼いて販売していました。

金属のラックの上に
レンガで窯(かま)を作って
薪(まき)を燃やしています。
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なんでもできるものですね。



あ!そうそう!
朝食を摂りにきたのでした。

さんま(秋刀魚)の
あぶり寿司 500 円だけ買いました。
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おいしそうなものがいっぱい。
が!いろいろ事情がありまして。
事情といっても体調はすこぶるいいのですが
ただ懐中不如意だけのこと。あは。
ま!
我慢するのもグルメのうち。
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飛鳥はっぴーウォークを歩いた [みんなで歩けばこわくない]

コロコロ!鳴いています。
コオロギですか。

コオロギの名前と顔(!)を忘れています。
大昔!飼育したり
昆虫採集していたころには
種類と鳴き声をなんとなく覚えていたような。

ん?!
あああ!コオロギ!
採集してきたものをリュックに入れたまま。
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寝ている場合ではありません。
なんとかしなければ。



今日は疲れました。

「ラジオ大阪」
「 第1回はっぴーウォーク」(2014/09/27)に
誘われて!歩いてきたのです。

だらだら歩きの
18.5km は長い!

8.5km と 18.5km の
ふたつのコースを設定していましたが
当然!誘ってくれたおじさんは
長い方を選択します。

それは構わないのですが
歩くことに慣れていない人が多いお遊びに
この設定はどうでしょう。

せいぜい!
5km コースと 10km コースくらいにしておいて
イベントを楽しむようにしたら。



大阪に帰って
おじさんにつきあって
ビールとチューハイをなん杯かあおって
帰宅して!うたた寝していました。

コオロギにはキャベツの葉を与えて
とりあえず!朝まで放置しておくとしても!
書かねばならぬ!

ブログ!

なにかまとまりのない文章になってきましたね。

まとまりのない!といえば最近よく
あちこちのラジオウォークに連れ出されますが
なんか!覇気のないラジオ局でしたな!今回は。

すみません!
こちらの体調がよくない!ということにします。



朝!奈良県橿原市の橿原神宮森林遊苑に集合。
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なにか!じみ~に感じます。

10 時に出発!橿原神宮の前を横切ります。
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ホテイアオイの咲く本薬師寺(もとやくしじ)跡。
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飛鳥川沿いに歩いて
甘樫丘(あまがしのおか)に上って降りて。

飛鳥産野菜販売の「あすか夢の楽市」で
子ヤギと遊べば
しそ(紫蘇)ジュースのふるまいがありました。

すぐ横にある日本最初の水時計の
水落(みずおち)遺跡。
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コースに入っているのに
みんなスルーして行くのはどういうこと?!



私もコースをはずれて
飛鳥寺と入鹿の首塚を裏から見てみます。
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黄金色の田んぼに無数のおたまじゃくし!
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今ごろおたまじゃくし!どんなカエルの子?!

ああ!リンゴガイ!?
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たぶん!リンゴガイですよね!外来の!
このタニシも無数にいます!おぞましい。



石舞台古墳の下の広場で休憩。
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ランチ代わりに缶ビールを 2 本。

すぐ近くの都塚古墳の発掘で
大発見があったというので足を伸ばします。
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シートをかけられているし
かけられていなくてもよく分かりませんが。

珍しい!階段ピラミッド状の方墳だそうな。



上りぎみの道を頑張って歩けば
稲渕の棚田が見えます。
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棚田の向こう側に回れば
今年も案山子(かかし)ロードを作っていました。
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稲田も観光資源。
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この地区の棚田は絵になるのです。



文武天皇陵!キトラ古墳の前を通り過ぎて
高取町の土佐街道の半分くらい北に出ました。
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ゴールに午後 3 時までに着くようにいわれていましたが
もう時間が残されていません。

疲れた足を回転させて
高松塚古墳の入り口の園地に
ちょうど 3 時に飛び込みました。

すでに!大勢の人がゴールしています。
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18.5km を分速 80m で歩いても 4 時間かかりますよ。

上り坂や古墳等の見学!ランチや買いものもすませて
5 時間以内で歩けという設定。

これは大変じゃないの?!

それなのに
みんなさらりとクリアしたのですか。



ああ!日が変わりました。
だらだら書いている場合じゃありません。

最後にこの日の獲物?を確認します。

柿 300 円!なつめ(棗)160 円!みょうが 100 円。
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飛鳥の水はもらいました。

あ!それにコオロギ 10 匹。
なんでこんなもの!連れて帰ったのでしょう。
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ウワバミソウの納豆炒飯 [もっそうライス]

毎日無駄に生きて国民の義務も果たさず
夢遊病者か恍惚の人のように
野山を彷徨しているように思われていますが。

それはブログに
徘徊したことばかり書いているからでしょうか。

いくら私でも毎日歩いている訳じゃありません。
交通費もこと欠いていますし。(情けない!)

1 日外出すれば
写真を 100 枚から 300 枚ばかり写してきます。
注意力散漫で芸術的センスもないので
フツーのカメラ好きの人のように
そんなにたくさん撮ることはありません。

だれかといっしょだったり
みなさんを誘導・案内するときには
そちらに気をつかい過ぎて
その半分も撮れませんね。

それを保存するときに気に入らないものを
30%ほど捨てますから
ますます少量の画像しか残りませんが。

それらの画像をながめながら
夜中にブログを書くことになります。

だから 1 日の外出が複数の記事になったりします。
5 つ書けたこともありますが
普段はそんなにアイデアが浮かぶはずもなく
ひとつさえままならぬときが多いのですが。



「ミズ」の写真がありました。
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渓流沿いに群生している比較的平凡な草ですので
別称も多いようです。

しずくな!いわそば!みずな!みずぶき!
あかみず!たにふさぎ!とか。
「ウワバミソウ」が標準和名でしょうか。
「うわばみ」は大蛇のことですよね。

ミズは大蛇のエサにはならないでしょうけど
いにしえの人はこの草のあるところで
ヘビをよく見かけたのじゃないのでしょうか。

私も夏の渓流沿いのひんやりしたところにいる
ヘビをなん度か目撃しました。



上方落語の「蛇含草(じゃがんそう)」は
ミズ!すなわちウワバミソウのことらしい。

落語によると「うわばみ」は
大きな獲物を飲み込んで苦しいときに
蛇含草をかじって
消化を早めるというもの。

クマさんが重箱いっぱいの餅を食べ過ぎて苦しい。
そこで「うわばみ」のことを思い出して
「蛇含草」を食べたら
あ~ら!
肉体がきれいに消化され
餅が甚平を着ていた!というオチ。

大坂(大阪)ではその昔
土用餅の大食い大会なんかがあったそうです。

甚平は作務衣(さむえ)の袖のない(短い!)
夏に素肌に着る普段着ですかね。



これが東京の落語になると「そば清」という題。

清兵衛さんがそばを食べ過ぎて
やはり!ウワバミソウをかじると
そばが羽織を着ていた!というストーリィ。

「上方はりくつっぽい」と
人間国宝の桂米朝がいっていましたね。

「りくつに合っている」といいたかったのかな。

甚平は素肌に着ているので
体が溶けたら餅と甚平が残ります。

「そば清」の方は?!

羽織を夏に着ますか。
夏羽織ですか。
しかし!素肌に直接着ますか?!
そして!羽織だけ残っていますかね。
ちょっとおかしいのでは!?

そんな解釈でいいのでしょうか。
間違っていたなら!ごめんなさい。



興津要編/古典落語(大尾)の解説によると
「一休関東咄」にある餅を食べるはなしが
原話とありますが。
それは民間説話と中国説話の合体だとか。

するとやっぱり餅?!
上方の夏の餅を大食する噺(はなし)が
先のような気もします。



漢方では
肉類の消化には
山査子(さんざし)なんかが有効とあり
他の薬草といっしょに
「焦三仙」とか「大山査丸」とかの
消化剤を作るそうですが
ウワバミソウの名前は出てこないようです。



とか!ない知恵をあれこれこねまわしながら
寄席に行って
「蛇含草」を聞こうと思っていたのですが!
つまり!その後!ブログを書くつもりだったのですが!
ついにその機会がないまま夏が過ぎて行きました。

仕方がなく
証文の出し遅れにも恥じず
思い出した今
ここに「ウワバミソウ」をエントリーいたします。



そのときに作ったごはん。
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ミズは皮をむいて切ります。

わが家のジャガイモ「インカのひとみ」を
切って水洗いします。

ミズとジャガイモを電子レンジで加熱。

きざみ納豆にサラダ油を混ぜてねばりを押さえます。

マーガリンとサラダ油で
ミズ!ジャガイモ!納豆を
それぞれ炒めて取り出しておきます。

冷やごはんを電子レンジで少しあたためて
生卵を混ぜてから
焼きめしを作ります。

マグロのフレーク(缶)を炒め合わせ
胡椒と醤油をおまじない程度に振ってから
ミズとジャガイモと納豆を合わせました。

今思い出しても垂涎(すいぜん)もの!
おいしかったですよ。



(敬称略)
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きゃぴきゃぴ日本橋はメイドカフェの街 [わが街・大阪ブギウギ]

女給さんがいっぱい!
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女給さんじゃおかしい?!
メイドカフェのウェイトレス!?
その人たちをなんと呼ぶのですか。
コスプレ嬢というのも変ですね。

大阪の日本橋。
「にっぽんばし」ですよ。
「にほんばし」といえば「お江戸」になりますよ。
南北に走る堺筋に並行する西の通り。
メイドカフェが増えたような気がしますが。
客引きの女給(!)さんが増えたような。

そんな女の子の前に
ビルとビルにはさまれて窮屈そうな大乗坊。
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江戸時代には
境内 1000 坪!寺領外周 1 里
「長町の毘沙門さん」といわれた寺院の
平成の姿ですか。

でも!まぁ!
毘沙門天さまも!
きゃぴきゃぴギャルに囲まれて!
にぎやかで寂しくないかも。

あ!「きゃぴきゃぴ」は
コスプレ嬢たちには分からないでしょうね。
「女給」ということばも知らないでしょうけど。
今では大昔のことば。
「Dr.スランプ」アラレちゃんが
「んちゃ!」といって使っていたころのことば。
アラフォー(around 40)以上の
大年増の人なら覚えているかも。



ん?!
500 円!ランチ!
「満腹食堂」ですか。
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ここに大盛りの定食屋
「ちょいメシ あさちゃん」があったような。

「あさちゃん」は昨年(2013)末に閉店したのですか。
その後にオープンしたのが満腹食堂?!

500 円というのは
ごはん(ミニ 150g or 小 300g or 並 450g)と
おかずを 2 品選ぶのですね。
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豚肉の生姜焼きなんかは追加料金が必要。

500 円の内で選びましょう。
ごはんは「小」でイカのリング揚げとアジフライ。
追加料金がいらないものは揚げものしかありません。
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消費税を取られて 540 円。
ごはんは「並」でも選べばたくさん食べられますが
このランチ!あんまりお得感がないんですが。



堺筋に出れば高島屋東別館。
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といっても!事務所として使っているだけですが。

建てたのは松坂屋。
昭和 12 年(1937)に改築。
当時のままの外装らしい。

この堺筋には
三越!白木屋!高島屋!松坂屋!と並んでいて
百貨店通りと呼ばれた時期があったそうな。
昭和初期のこと。

高島屋の前の交差点に道標がありました。
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大坂(大阪)から堺・紀州につづく
紀州街道の出発点かな。



歴史は深く厚くあるんですが
みんなきゃぴきゃぴ色に染まっていて
あんまり過去の匂いが残っていません。
都会ですね。

あ!
NTTの電波塔かな。
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このあたりに遊園地があって
高い!高い!タワーの眺望閣があったそうな。

高いといっても 31m だそうですが。
建築した明治 21 年(1888)のころはすごく高い。



大阪名物「五階」と看板があります。
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3 階建てですけど。

隣のビルの入り口には「(株)五階」と書いてありますが
8 階まであるようなんですが。

「五階」はそんな意味じゃないんですね。

眺望閣が 5 階建てだったようです。
眺望閣にきた客を相手に古物市が立ち
またたく間に
日用品から舶来品までさまざまな露店が集まったそうな。

それらを「五階(眺望閣)」で儲ける
「五階商人」と呼んだそうな。

やがてこの街は古書店だらけになり
先の大戦後!
果物店主がラジオパーツを卸す上新電機を起こし
たちまち「電化製品」の街に変貌。

その栄光もときの流れに勝てず
大形の店舗ほど破綻して
関西資本の家電量販店は上新電機だけになったのかな。
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そして今じゃ!
きゃぴきゃぴ(なん度もすみません)ギャルの街に
なってしまいましたが。
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