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らくだの完成者 桂文吾 [パパラッチ!ママえっち?]

映画の
「寝ずの番 (2006)マキノ雅彦監督」や
古いところでは
「一発大必勝(1969)山田洋次監督」を
先に観ています。

死人を抱きかかえて
「かんかんのう」を踊らせたり
香典を酒代に変えてしまって
棺桶代わりにありあわせの箱に
死体をいれるというストーリィ。

それは
上方落語の「駱駝の葬礼(らくだのそうれん)」や
東京落語の「らくだ」を下敷きにしているとは
おおよその見当はついていたのですが
実際「らくだ」を
しっかり聞くことはなかなかありません。

大作です。
長いのです。
演じる方は大変。
演じる場所も限られてきますからね。



「らくだ」とタイトルがついていますが
月の砂漠で
王子さまを乗せて行くような
ロマンチックな動物のはなしではありません。

町内の嫌われもの
乱暴ものの男のあだ名なんですが。

フグにあたって死んだというところから
はなしが始まるので
生きている「らくだ」はまったく登場しません。

安易な命名ですね。
でも!それでいいような。
慣れると恐ろしい。

あんまりきっちり聞く機会がないので
高座の筆記を読むと
上方落語の方が面白いですけどね。

東京ものでも関西人でもない立場の私が思うに。



このはなしを完成させたのが
4 代目桂文吾(1865 ~ 1915)だそうな。

やっぱり!上方落語が祖なんですね。

ん?!
そんな功績のある人なのに
早く鬼籍に加えられていますね。
享年 50 歳ですか。

「らくだ」は
おどおど!弱弱しい紙くずやが
酒が入るにつれて豹変!
ならずものをアゴで使うようになるくだりが
演者としてのウデの見せどころ。

文吾は大酒飲みだったそうな。

晩年!
アルコール依存症と壊疽(えそ)で足を切断し
半ば発狂して
京都市中京区六角裏寺町にあった西念寺の境内で
雨露をしのんでいたそうな。

死んだ部屋には酒樽しかなかったとか。

ならずものの「らくだ」の家には
なにもなかったという設定です。

まさに「らくだ」を地で行く大往生ですね。



1915 年 9 月 17 日に逝去なら
2014 年 9 月 17 日の今日が百回忌。

西念寺(京都市西京区御陵大枝山町)で
法要をしていました。
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あれ?!
西念寺は中京区にあったのじゃないのですか。

住職によると
平成 2 年(1990)に郊外のこの地に移転したとか。
墓も移転しているのでしょうか。
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余計な心配をしなくてもよろしい。
線香代も出さないものは。

でも!粗供養までいただいてすみません。
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本堂で奉納落語会。
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ゆかりのある噺家(はなしか)も
そうたくさんいないようです。
百年忌ですからね。

5 代目桂文吾はすでに 40 年前に亡くなり
5 代目の弟子の桂小文吾だけかも。

その小文吾
御年 77 歳がトリをつとめました。
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私には幻の落語家ですね。

宝塚新芸座の 1 日限りの復活公演
「思ひ出公演」で拝見して以来です。
拙ブログ 2011/04/17



なんのスペースでしょう。
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雑草もない境内の隅。

駐車場なら
こぼれ種が落ちたようなキバナコスモスが
静かに咲いていられないですよね。

たくさんでも!大きくもないけど
咲いているのが不思議。

4 代目文吾も境内の隅で咲いている
いたいけな花を避けて生きていたような。
そして死んでいったような。

そんな幻影を見ながら
西念寺を後にしました。



(敬称略)
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