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鉄幹の闇 遠里小野の里 [わが街・下駄ばきドドンパ]

「殿辻(とのつじ)」交差点。
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不思議な名前ですね。
御殿につづく辻だったらしい。
主に住吉大社関係者の
大きな住居が集まっていた地区。
昔の住吉大社の宮司さんたちは
御殿に住んでいたのですね。
あ!失礼!
今も私と比較すれば
相当なお屋敷にお暮しでしょうけど。

と!徘徊して紛れて!偶然出くわした交差点で
不思議な気で立っていますが
よく考えたら
昔!仕事かなんかで
なん度もきている交差点じゃないですか。



そばに若松神社(大阪市住吉区)があります。
止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社
というのが本名(?)らしいのですがね!
だれもそういいません。

忘れ去られて!くすんで
「後鳥羽天皇行宮跡」の石碑があります。
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この行宮(あんぐう)を
若松御所と呼んだそうですから
今の通称「若松神社」となったそうですが
だれも気にしていないようです。

碑のそばに
霰(あられ)松原荒神がありました。
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境内の裏の方をしげしげと回ることもないので
知りませんでしたが。

万葉集にある長皇子の歌の
「あられまつばら」ですか。

 霰打 安良禮松原 住吉之
 弟日娘與 見禮常不飽香聞

 あられうつ あられまつばら すみのえの
 おとひおとめと みればあかぬかも

ここは熊野街道に近いのですが
並行して走る紀州街道に
「霰松原」の碑が建っていますが
整合性はどうなんでしょう。(拙ブログ 2011/03/03



熊野街道を南に行きます。

右に左に
「おりおの商店街」の街灯がありますが。
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たまたま休日なのかどうか知りませんが
商店街と呼べないような寂しい道ですね。

しかし!「おりおの」を漢字で書けば
「遠里小野」という由緒正しき里ですぞ。

先ほどのついでに万葉集を探せば

 住吉之 遠里小野之 眞榛以
 須禮流衣乃 盛過去           

 すみのえの とほさとをのの まはりもち
 すれるころもの さかりすぎゆく

なんて歌があります。



街道沿いの安楽寺の前に
これまた忘れられているような道標。
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八尾街道の分岐点だとか。
左の面に
「左 阿倍野街道 住吉 天王寺」
「右 八尾街道 堺 大鳥 岸和田」
正面に
「右 八尾街道 安孫子 平野郷 八尾」
と!案外はっきり読めますね。

その八尾街道は!
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路地みたいに!ほんの短く残っていますが。

碑の前の極楽寺には
楠木正成が植えたという楠(くすのき)が
冬の風に吹かれていました。
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正成が寄進したという灯篭もあります。
「遠里小野」は太平記の舞台でもあるのですね。

ね!歴史があふれて!
泡を吹いてあえいでいるでしょ。



近くに山門と墓地と本殿だけがぽつんと残る
バチあたりにはイヤにシンプルに見える
安養寺という寺院がありました。
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10 歳の与謝野寛(鉄幹 1873 ~ 1935)が
養子縁組でやってきた寺といわれています。
体のいい口減らしかも!
小僧に出されたのでしょうか。

行く先々でカネとオンナにだらしなく
問題を起こしていたそれからの鉄幹の性癖は
この寺で萌芽したのでしょうか。

その宿命に
なにかフツーの人には理解できない
心の闇をかかえていたのかも。

鉄幹の歌は荒々しいと思いませんか。

寂寥感いっぱいだった心が
その反対の歌を仕立てたと思えませんか。
すみません!そう思うのは私だけですよ!たぶん。

ごめんなさい。



(敬称略)
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