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幻の愛宕山鉄道 [いわなが姫の丑の刻参り]

薄暗い樹々の中に奇妙な橋を確認できます。
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京都の西北
信仰の山・愛宕山の頂上の愛宕神社への参道を
清滝の集落から少し上ったところ。

立ち入り禁止のロープを越えて
参道から少し下に降りてみると
急勾配のケーブルカーの線路の跡が
崩れたトンネルにつづいています。
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登り口のあたりでは
しばらく参道と並行しているのですね。
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ケーブル線の方が下にあり見えないから
普段!気づかずに通り過ぎていますが。
その下にはたしかに
ケーブルカーの駅の跡が認められます。
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下の駅は「清滝川」
山の上の駅は「愛宕」という名称だったそうな。



清滝川を越えて
(どうでもいいことですが公衆トイレに寄ってから)
清滝のバス停に出ました。
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ここが鉄道の清滝駅の跡らしい。

鉄道の名前は愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)!?
先ほどの山を登るケーブルカーと
ここから嵯峨野につづく電車と
ふたつ合わせてそう呼ぶのかも。

区別するときには
愛宕山鉄道鋼索線
愛宕山鉄道平坦線としていたらしい。

その平坦線をたどります。

清滝駅からすぐにトンネルです。
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現在は車道になっています。

トンネルに入るとすぐカーブしていて
突然!京都バスが現れて
やけにこちらに寄せてくるものですから
生きた心地がしませんでしたが。
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トンネル出口では外の光がまぶしくなり
ドライバーには歩行者が見えてないの?!
まさかね。

ナトリウム灯がたくさん設置してあるので
歩くのには不都合はありませんがね。
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トンネルを出るとゆるやかに下る道があります。
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この線路跡は幅員があります。
ここまで複線できて
清滝駅までのトンネル部分だけ単線だったのかも。

下に一之鳥居の朱が垣間見えます。
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鳥居本といわれて観光客がひしめいているところ。

あの石垣が「鳥居本駅」の名残りでしょうか。
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道の脇に木柱の残骸があります。
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いくつかあるようですが。
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架線柱跡なんでしょうか。

樹々の森で青い嵯峨釈迦堂(清凉寺)を越えてから
あわててふり返ります。
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もしかして手前の方が釈迦堂駅跡!?
むこうに車庫があったのかも。

「丸太町通り」と交差します。
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余談ですが
京都では「通り」を「通」と
「り」抜きで表記するものだと教えられました。
私はこの書き方になぜか嫌悪感を覚えるので
わがままにも「り」つきで通しているのですが。
ここの交差点の表記は「丸太町通り」です。はは。

笑っている場合ではありません。
ゆっくり下ってきた清滝道が
上がって行っています。
JR嵯峨野線を越えるために
高架道路(嵐山高架道路)を造ったのですね。

その高架道路の下に立てば
嵯峨野観光鉄道のトロッコが入ってきました。
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すぐそこがJR嵯峨嵐山駅なんですね。
このあたりに嵯峨西駅があったそうですが
影も形も面影がありません。

ここで愛宕山鉄道は私の前から消えました。
杳(よう)として消息が知れなくなりました。



今!本棚をかき回したら
「麗しの愛宕山鋼索線」という小説がありました。

少年たちが愛宕山の廃線跡を調査する物語ですが
愛宕山鉄道の詳細がよく分かりました。

JR嵯峨野線の前で消えた線路は
嵐電・嵐山駅まで行っていました。

嵐電・嵐山駅は
愛宕山鉄道の嵐山駅でもあったのですね。

愛宕山鉄道の平坦線(3.28km)は
昭和 4 年(1929)4 月 12 日開業。
鋼索線(2.08km)は同年 7 月 28 日開業。
少し開業の時期がずれています。

鉄道が通じたので
山全体ががぜんにぎやかになったようです。

こども連れは
山麓の清滝と愛宕山頂上にできた遊園地に集結し
若ものはスキー場やテント村で歌い
余裕のある人は山上のホテルで避暑していたとか。

山中のあちこちでは
茶店がにぎわったことと想像にかたくありません。

今は幻!
みんな幻!ホテルも茶店もなんにもありません。

唐突に
「生まれた日は違っていても」
「死ぬときはいっしょ」のざれごとが浮かびました。
そんな歯の浮くようなことをいいかわした
恋人たちも多いことでしょう。

あたしゃまだないけどね!くそっ。

ま!人の心はそんな単純なものじゃないでしょう。
3 年もすれば忘れていることでしょう!変態男女め!

ですが!
愛宕山鉄道の平坦線と鋼索線は
きっちり同じ日
昭和 19 年(1944)2 月 12 日に死にました。

昭和 19 年といえば太平洋戦争中。
もうすでに戦況は最悪!
日本の資源も底をついていたのでしょう。
線路も車両もなにもかも
兵器製造に費やされたのでしょうね。



(宮脇俊三編著/鉄道廃線跡を歩く)
(鳥越一朗著/麗しの愛宕山鉄道鋼索線/参照)
(敬称略)
タグ:廃線
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