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神戸八社巡り [町道!街道!眠り未だ足らず]

師走です。

人並みに生かされてはいないので
人並みに忙しいこともありません。
平生とあまり変わりません。

すねて生きたい訳でもないのですが
懐中不如意なら
おのずと礼節のない生活になります。

暇を持て余していると勝手に解釈され
キリスト教でもない連中に
クリスマスパーティの手伝いをしろだの!
手間賃もはずまないのに
年賀状のあて名書きをしろだの!
神仏の帰依もない輩に
忘年会やら初詣兼新年会やらの段取りをしろだの!
かまびすしい。

巡礼の旅(?)に出ますだ。

半年ばかり前の
TOKK(とっく=阪急電鉄の情報誌)に
「神戸八社巡り」が書いてありました。

生田神社の裔神(えいしん)の八社。
「八」の数字には
「八百万(やおよろず)」の意味があり
すべての神さまに
お詣りするという意味もあるそうな。



一宮(いちのみや)神社から。
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見上げれば
形のいい槇(イヌマキ)の大木があります。
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「主婦の店 ダイエー」の社長の献木だそうな。

献木の後
ダイエーは大繁盛の途に就いたそうな。
よかったね。
でも!いつの間にか身売りされているような。
栄枯盛衰は世の習い。
神さまでもどうにもなりませんか。



二宮(にのみや)神社。
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大木だけが残っていますね。

「おイネ狐」さま?!
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どんな出自の神さまやら。
タヌキ(狸)のような大きなおなかをさすれば
安産間違いなしだとか。



三宮(さんのみや)神社。
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とにかく四六時中やかましい街頭にあります。
やかましい場所を選んで
建てられた訳じゃないでしょうけど。

大砲が展示されています。

「神戸事件」ときざまれた碑があります。
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慶応 4 年(1868)
備前藩の侍とフランス人の水兵が
銃撃戦をしたのだそうな。



四宮(よのみや)神社。
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「しのみや」とはいわないのですね。はは。

社務所でしょうか!すごいビルです。
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境内に芸能塚がありました。
そんな事由じゃないのでしょうけど
一番ハデな(!)神社でした。



六甲山の山裾の急坂を上って行きます。
細い道にクスノキ(楠)の大木が
おおいかぶさっています。
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今日はよく見上げる日です。

そこが五宮(ごのみや)神社でした。
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閑散としています。
こんな場合には境内がよく駐車場化していますが
山肌にへばりついているようなところでは
くるまの侵入もできないようです。

植樹でもしたらいかが。
よけいなおせっかいですが。



つぎは六宮(ろくのみや)神社ですが
明治になってなくなっていました。

このまま海に向かってまっすぐに降りれば
八宮(はちのみや)神社に行けそうですが
神功皇后が巡拝した順序に
一宮から八宮まで番号がつけられたそうなので
その通りに巡るのが
厄払い!祈願の風習になっているそうな。

一般的に
氏子の人は節分の日に巡拝するのだとか。

生田神社の歴史は古い。

日本書紀によると
神功皇后が新羅を討った後
忍熊王(おしくまのみこ)との戦いに
難波に向かっていたら
船が進まなくなりました。

占うと
いろんな神が現れて教えていわれたそうな。

その 1 神の稚日女尊(わかひるめのみこと)が
「活田長峡国(いくたのながおのくに)におりたい」
といわれたのですね。

ちなみに稚日女尊は天照大神の妹らしい。

そこで祀ったのが生田神社。

活田長峡国ということはかなり山の中だったはず。
当初は今の布引山の中腹に祀られていたとか。

ともかく!それぞれの神の教えに従うと
海はないで船は平穏に進んだそうな。



そんな理由で西に向かい
新開地の方に大きく迂回してから海の方に向かい
七宮(しちのみや)神社へ。
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四宮を「しのみや」といわず「よのみや」なのに
七宮を「ななのみや」とはいわないのですね。

ああ!これが「八社」ですか。
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こんなスタンプを押しながら歩くのでしたか。
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もちろん!御朱印をもらえばいいのでしょうけど
スタンプは無料ですが
御朱印となるとそうはいきますまい。



神戸駅の方にもどり
湊川神社の横をゆるゆると上り
八宮(はちのみや)神社へ。
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消えた六宮(ろくのみや)神社も
ここに合祀されていました。

街の中なのに
境内からあふれるススキがすてきです。
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(宇治谷孟著/全現代語訳 日本書紀/を読みました)
(敬称略)
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