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阪急・梅田駅で立ち尽くす [わが街・大阪ブギウギ]

関西の人にはたいくつなはなしです。
大阪に縁の薄い賢姉・大兄につづります。



阪急・梅田駅。
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高架駅です。

けっこう広いので
ハイキングなんかで待ち合わせしたら
私より田舎もんがいて
こちらの考えがおよばないようなところで
迷子になっていたりしますが。
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10 輌編成があったりするから
ホームの端から端まで歩けば大変。
200m くらい歩いた気分。
実際に測ったことはありませんが。

神戸線!宝塚線!京都線の
特急(最近の宝塚線は急行)が
同時刻に発車することが多いのです。
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ホームの端で口を開けて見ていたら!
よいこは口を閉じてね!
電車はビルの谷間に消えて行きます。



「地上駅だったときを知っている」
という女史がいました。

「明治 43 年(1910)開業のときですか?

「なんでやのん!」
「おばあちゃんさえ生まれてないよ」

創業時には今のJR
その当時は官営鉄道でしょうか!
それが先にあったので
その線路を高架橋で越えて
地上に降りていたらしい。

大正 15 年(1926)乗客が増えて
電車を上げたり降ろしたりでは能率が悪く
高架駅にして
つぎの中津駅!さらに十三駅まで
線路も高架にしたのかも。

ところが官営の大阪駅が
高架化することになったのですね。
すると阪急の線路とぶつかります。

親方・日の丸!強い!
じゃまになるので
「阪急はどこかへ行け」
ということになったのですね。

それで官営鉄道と入れ替わり
再び下に降りたのが
昭和 9 年(1934)のことらしい。

しかし!阪急の親方の小林一三も強い。
後に大臣を 2 度も依頼された傑物!
たんまり賠償金を取ったことでしょう。
あ!これは今!伝記を確認していませんから
忘れてください。



「そのときですか!
「おね~さんが乗ったのは?!

「なんでやねん!」
「それから 40 年ばかり」
「ず~っと地上にあったの!」

それではやっぱり手ぜまになる一方!
JR(そのころは国鉄でしょうか)を
越えることはやめて
北寄りに新たに高架駅を造ったのですね。
完成したのは昭和 48 年(1973)のころ。

今のこの駅ですか。

ということは!イヤらしい計算ですが
少なくとも!おね~さんは
昭和 48 年以前にお生まれですね。

今!その女史は
色気づいてどこかへ行ってしまいましたが
そのうち泣いて帰ってくるでしょう。
そのときには
アラフィ(around 50)ですね。はは。

でも!昔通り
お色気過剰でもいいから
可愛いアラフォーのままでいてください。



地上 3 階がプラットホーム。
2 階から地下 2 階までショッピング街
「阪急三番街」があります。

地下 2 階に川があります。
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私が大阪にきたときには
すでに流れていました。
大阪万博のころから流れているそうな。
生物は棲んでいないと思いますが。

地上に上がり南へ。

この低いところがJRの線路の下かな。
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抜けると阪急百貨店。
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天井が高い。
ここが阪急・梅田駅の
最後の地上駅があったところでしょうか。

おね~さんが帰ってきたら
尋ねてみましょう。
その日は案外!早いような気がします。



(敬称略)
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