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江之子島は犬の子島じゃない!? [わが街・大阪ブギウギ]

川口居留地跡の碑があります。
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1868 年から 30 年間ばかり
今の大阪市西区に設けられていた
外国人居留地の跡地ですね。

もしや!向こうに見える
歴史のありそうな教会が当時のもの!?

ではないですね!
1920 年に建てられたものだそうな。

居留地時代のものは
なんにも残っていません。

すぐ北に大坂船手会所跡の碑。
blog02大坂船手会所跡.jpg

大阪湾の船を監視している番所跡ですね。
江戸幕府のものですから
川口居留地の前の時代ですか。

横に大川(旧淀川)の果ての
木津川が流れています。

木津川大橋を渡ります。

説明を読むと
初めは川口居留地のために架けたようです。
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横の花壇の中に埋もれている小さな碑に
大阪市役所江之子島庁舎跡とあります。
blog04江之子島庁舎.jpg

その昔はこのあたりが大阪(大坂)の
政治の中心だったのでしょうか。

雑喉場橋(ざこばばし)の親柱が!?
blog05ざこば橋.jpg

明治時代の地図を見ると
このあたり川だらけ。
この橋は百間堀川にあったのでしょうか。

近くに雑喉場市があったようです。
blog06ざこば魚市跡.jpg

大坂(大阪)一の魚市場。



雑喉場橋の向こうの日本生命病院のビルに
「大阪あわざ大食堂」がありますね。
8 時にオープンしています。
朝食を食べましょう!和食で。
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ん!?
くたびれた喫茶店くらいのメニューしか
ないじゃないですか。

コーヒーが 200 円(税込み 以下同)。
安いじゃないですか。

食パン(130 円)とミニサラダ(180 円)も!
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コーヒー以外の高いこと。
「大食堂」と称するのなら
ごはんでもお粥でも出さんかい。



大阪メトロの阿波座駅の近くに
阿波堀川跡の碑がありました。
blog09阿波堀川跡.jpg

このあたりでは最初に掘削された堀川。
先ほどの雑喉場橋のあった
百間堀川に流れ込んでいたようです。

あれ!?
この碑に影を作っている木は
「タラヨウ」じゃないですか!
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「はがきの木」ですね。
ああ!ここは郵便局の敷地でしたか。



木津川寄りに
「旧大阪府庁」の碑があります。
blog11大阪府庁跡.jpg

やはり!ここ江之子島が
中心の時代があったようです。

江之子島は
百間堀川!木津川!江戸堀川の
3 川にはさまれていた小島だったそうな。

名前の由来は分かります。
へのこ(男性器)ですね。

島が「へのこ」の形をしていたのでしょう。
「へのこ島」を
「江之子島」に改めたのでしょう。

ん!?
違う?!

「犬の子島」ですって!?
「なにわ江の小島」から転訛した?!

ウソでしょう。
後づけのこじつけでしょう。

イヌノフグリ(犬睾丸)なんて
植物もあります。
「性」におおらかで豊かな心の
国民性があるのに。

現在は島ではなくなりました。
百間堀川と江戸堀川は埋め立てられて
そこに流れ込んでいた
多くの堀川も消えてしまいました。
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行きなはんなや ステーキと代書屋 [パパラッチ!ママえっち?]

「おね~さんの近所に
「ステーキ店ができてますね。

私はよく「おね~さん」とか
名前に「ちゃん」をつけて
たとえばA子ちゃんとか
B江ちゃんとか呼ぶことが多いのですが
相手は「おばあさん」ですからね。

たいてい!還暦過ぎたおばあさん。

こんな対応は
地方によってはいやがられますが
大阪あたりでは
不服顔をする人は!まずいません。
お国柄でしょうか。

「ランチどきに
「1,000 円と書いてありますね。

「オープン記念に 200 円引いてくれるよ」

「ステーキだけか
「ごはんは別料金か書いていないので
「不気味です。

「ごはんもスープもついてるよ」

「いいですね。

「行きなはんなや」

「は!?

「肉が硬い」

「私!鬼の牙を持っていますので。

「でも!行きなはんなや」

「はぁ。

「量がない」

「ははは。



おばさんの「行きなはんなや」が
なぜか!おかしい。
思い出し笑いをしてしまいます。

そうそう「代書屋」ですかぁ!?
上方落語の。

桂米朝の師匠の桂米団治(4 代目)が
米之助(2 代目)時代に作った噺(はなし)。

昭和 14 年(1939)に
できあがったのではないかとは米朝の見解。

その時代には無筆の人が多く
代書屋にいろんなものを
書いてもらっていたのです。

この噺は多くの落語家が
アレンジして演じていますが
最初の「代書屋」には
「買いなはんなや」が
2、3 か所ありましたよ!たしか。

履歴書の代筆を依頼してきた男に
職歴を聞くと
そのひとつに
「減りどめ」を売っていたというのですね。

そのとき!男が代書屋に
あんなものは「買いなはんなや」と
いうのですね。

「買いなはんなや」といえる
いい加減なものばかり売っていたようです。



天神橋筋商店街を
そんなことを考えながら歩いていたら
「天五」あたりで遭遇しました。

ステーキ 150g のランチが 780 円!?
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税抜きとはいえ
「行きなはんなや」並みの
安さじゃないですか。

ああ!
「1 ポンドのステーキハンバーグ」
「タケル 天満店」 ですか。
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以前にここでワンコインのステーキ定食を
食べたような気もしますが。

「行きなはんなや」の
おね~さんがいないので入店しますか。はは。

当然一番安い
780 円(税抜き)を食べます。
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150g で十分でしたよ。
柔らかい肉でしたよ。
ただし!サバ(鯖)でも頭からかみ砕く
私の歯で味わった感想ですけどね。



夕方!また
天神橋筋商店街にやってきました。

1 日中!寝たり起きたりの
計画性のない生活ですが。
時間があれば眠りたいのです。
なくても 5 分だけでも眠りたい性分。

大阪メトロ(地下鉄)の車内が涼しい。
よく寝られます。

うっかり寝込んでも
琵琶湖の北の端や
兵庫県の南の果てに
連れて行かれることもありませんし。

そんな訳でもないのですが
この日は 7 回も乗車してしまいました。
ルートサービスの営業マンなみです。



「セブン-イレブン天神橋筋 6 丁目駅南店寄席」
(なんという長い名前でしょう)
にやってきました。

コンビニの 2 階の「イートイン」が
寄席の会場。

新型コロナウイルス禍のためか
演者はひとり
1 時間の興行。

この日の噺家は露の眞(つゆのまこと)!
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こう見えても女性です。
いつも断り書きをつけてすみません。

文字通り「高座」ですなぁ。
まれに見る高さ。
にわか造りの寄席だし
いろいろ障害物がある部屋だからかも。

久しぶりの寄席。
演者も客もリラックスしていました。

新型コロナウイルスの猛威に
「行きなはんなや」がつづきます。



(敬称略)
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平城京天平たなばた祭り 2020 [南都有情]

近鉄・大和西大寺駅の 2 階。
東に中央改札口ができていました。
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改札の外の南北を結ぶ通路は
東の奈良方向を見る
展望デッキのようになっています。
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大阪・京都方面へ行く電車を見おろす
展望デッキは西側にありますけどね。

残暑の陽射しの中!平城宮跡に入り
斜めに歩いて!
第一次大極殿を目指します。
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よいこは通路を歩きましょうね。

暑いけど!風は秋!?
ふとったオカマに抱きつかれたような
(抱きつかれた記憶なないですが)
やりきれない暑さはなくなってきましたね。

中央の朝堂院跡に立てば
北に復原中の南門の大屋根が。
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南に朱雀門ですね。
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南門の工事は年中のぞけますが。
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やじ馬にはよく分かりません。



それにしても!人がいませんね。

朱雀門の近くになると
「天平たなばた祭り」の案内板があります。
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いろんなイベントが中止になる中
今年も催行しているんですね。

朱雀門をくぐって朱雀大路をのぞめば
なんですか!?
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なんにもありません。
ホントにたなばた祭りをしているんですか!?
屋台でなにか食べようと思っていたのですが。

避暑に「平城京いざない館」にのがれます。

全然!人がいませんね。
よく勉強できますぞ。
が!お勉強は好きではありません。
ぼんやり歩いたり!休憩したり。

大膳職(だいぜんしき)のイラスト。
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役人の給食を提供していたようですが
今の私たちの会食の膳と似ています。

ゴミ捨て場から見つかった木簡に
「塩の支給がない」だの
「おかずがお粗末」だのと
文句が書かれています。
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酒を少しだけでいいから!
1、2 合でいいからくれとか。
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いつの時代も
おなじような不平があったようです。



今年は大幅にイベントを削っています。
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待っていても!日が暮れてから!床に
星空を投影させる催ししかないようです。

帰ります。

バッタが飛びかい
すだく虫の音の平城宮跡がまだ残っています。
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大極殿と南門の前を近鉄・特急がよぎります。
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この線路を地下深く埋めたいのですが。
工事費の捻出は難しいようです。



なんにもしないのに重い足取りで
大和西大寺駅まで帰ってくると
ん!?
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少年が大き過ぎる陰茎に悩んでいる?!

ではないようですか。
幻影!幻覚が出てきましたね。

駅構内の「二条庵」で
冷たいものでも食べましょう。

ざるそば!ざるうどん!ざるラーメン!
どれでも 400 円(税込み)ですか。
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でも!まぁいいか。

朱雀門のところでは
なにか屋台のものを食べようと
張り切っていたのですが
肩すかしをくらって帰ってきたら
食欲がなくなっています。

新型コロナウイルスには
感染していないでしょうから
熱中症かな。
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適塾では裸天国 福仙楼のカレー焼きそば [食い逃げ未遂]

愛珠幼稚園(大阪市中央区)の南の
緒方ビルの前に
「除痘館の跡」の碑がありますが。

この緒方ビルに入った記憶がないのですが
エントランスに見えるのは手塚治虫の絵?!
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種痘施術をしているのが緒方洪庵!?
助手が手塚の曽祖父の手塚良庵?!
「陽だまりの樹」の 1 場面ですか。

適塾で良庵は他の塾生と違い
生真面目だったそうですが。
でも!北の新地には行っていたのですね。
(たぶん!塾頭だった)福沢諭吉は良庵に
「もう遊びに行かない」という
証文を書かせていますが。はは。

この緒方ビルの 4 階に
「除痘館記念資料室」がありました。
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亀の甲にコケが生えるほど大阪にいて
知らない場所がたくさんありますね。



愛珠幼稚園は 1880 年開園。
日本最古の現存する木造の幼稚園園舎。
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その北に緒方洪庵の適塾が残っています。
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塾生たちが夏の夜に
物干し台で飲んだそうですが
あそこに見える物干し台でしょうか。

緒方洪庵がいます。
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あ!?
変なおばさんもいました。

「神宗(かんそう)にきたんやけど」

塩昆布の神宗ですか。
新型コロナウイルス禍で淀屋橋本店は
営業を自粛しているようです。

別に本店でなくても
百貨店で買ったら!とも思いましたが
よけいなことはいいますまい。

「そんで!福仙楼で食べて帰ろうかと」
「娘がいってたから」

あの淫乱娘ですか!

「よくまぁ!ヒトの子を!」
「まぁ!(オトコが)キライじゃないけど」

そのランチの時間待ちですか。

適塾に入りませんか。
裸のオトコがいっぱいいますよ。



大坂の町家を買って塾にしたそうですが。
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2 階が塾生大部屋ですね。
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塾生ひとりに畳 1 帖の割り当て。
畳 1 帖で寝て起きて勉強していたそうな。
優等生からいい場所をとる決まり。

塾生は夏にはふんどしもなにもつけずに
まっぱだかで暮らしていたそうな。

階下からの「福沢さん」との呼び声に
諭吉は「うるさい下女だ」と
まっぱだかで階段を飛び降りたら
洪庵の八重夫人だったので
進退窮して身の置きどころがなかったそうな。

はしご段のような急な階段があります。
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台所では百鬼立食だったとか。
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なん十人もの塾生なら
座ってはいられなかったのでしょう。

このときには裸という訳にはいかず
まっぱだかの上に
絽の羽織をひっかけていたらしい。

想像すれば!まことに奇妙な景色です。



適塾の隣の福仙楼に行きます。
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エアコンというよりクーラーと呼びたい
年季の入った空調機が
ぐわんぐわん回っている前に座りましょう。
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メニューはありません。
お愛想もありません。
おしぼりはありません。
とてもシンプル(!)な店舗です。

発情!いや!お色気娘から
「カレー焼きそば」を食べるように
いわれてきたのですか。

あと!チャーハンと
カレーくらいあるでしょ。

「いくら!?」

10 年以上前のはなしですが
400 円くらいだったような。
今も高くはないはず。

カレー焼きそばとチャーハンをもらい
シェアしましょうよ。

カレー焼きそば!
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さらさらのカレースープがかかっています。

「これ!なん人前!?」

ヘタな中華店の 3 人前くらいありますが
これでここの標準でしょう。

チャーハンはさらさら感がないですが
やっぱり量は負けずに多い。
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「400 円じゃないよ!きっと」

大丈夫!千円はしないでしょう。

しかし!スープもなければ香のものも
箸休めもなんにありませんね。

1 品 520 円(税込み)でした。

半分ずつ食べたのに
おなか!パンパン!
エアコン!いやクーラーで冷え切って
ランチを終えました。



(福沢諭吉著/福翁自伝/)参照
(敬称略)
タグ:手塚治虫
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中華のカツ丼 直木三十五の生家にて [わが街・大阪ブギウギ]

大阪メトロ(地下鉄)の谷町六丁目駅の
1 番出口から地上にあがります。

ん!?
階段の途中になにかあったような。
振り返ると!中国料理店でした。
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「大徳」!?
定食ものは 850 円(税込み!以下同)!
ん?!
丼ものは 650 円!
ここでランチしますか。

まぁ!かなり年季の入っている(!)
自動ドアをこじ開けて(?)入店します。
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穴倉を想像していたのに
意外に広い店舗。

カツ丼(750 円)がありますか。
中華!いや!
中国料理のカツ丼とはどんなもの?!

丼というより深皿に入ってきました。
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なにか!ふしぎな「あん」(!)が
かかっています。

ん!?
甘い?!
赤いのはケチャップの色!?

なかなか個性的なカツ丼です。



ランチの後に地上に出ると
東西の長堀通りと南北の谷町筋が交わる
谷町六丁目交差点。
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直木三十五が悲しい事実として
生家が谷町六丁目交差点の電車線路に
なってしまっていると書いています。

北西の角の
三井住友銀行があるあたりに
あったのでしょうか。

周囲になにも書いたものはありませんね。

銀行の北側に
大阪市が設置した「歴史」案内の
つたい石(路面標示)がありました。
案内柱も。
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熊野街道!?
大阪市内の熊野街道は南北に走っていますが
この道は東西ですね。

思い出しました。
街道のここだけが
クランクになっていましたね。

西に行き!右に曲がればその熊野街道。
左を見れば榎木大明神の大木。
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大木はエノキじゃないですけどね。

榎木大明神から南にさがる坂の途中に
直木三十五の文学碑がありました。
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育った家はこのあたりだったようです。
「南区安堂寺町 2 丁目」と
書き残しています。
南区が中央区に変わっていますが
今もおなじ住居表示ですね。

坂を降りて行けば
ネムの大木が咲いています。
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桃園公園です。

直木は桃園尋常小学校に入学したとか。
ここにその小学校があったようです。



お!
ネムの木の向こうに怪しげな影!?
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この生意気そうなおじさんが直木三十五!?

随筆なんかを読むと
傲慢な!礼を欠いた!
鼻持ちならない像しか結びませんが。

安居酒屋の隅で
ときどき威張っている人がいますが。

オレはエラい!賢い!
キミらはバカで貧しい!という態度で
高所からあちこちにはなしかけて
嫌われている人がいます。

ここでそんな話題を出さなくてもいいだろ!
もっと!おまえの高尚な
はなしが理解できる場所でしゃべろ!と
いいたくなりますが。

かれの文章からそんな性格の像が浮かびます。

それは心貧しい(懐中も貧しいけど)
私だけの感覚でもなさそう。

マキノ省三宅に居候をしていたときに
態度が大きかったと
息子のマキノ雅弘がいっています。

「作家ゴロ」
「映画ゴロ」と呼ばれていたそうな。

マキノ省三に後ろ足で砂をかけて
出て行ったままのようです。



ここが直木三十五記念館でしたか。
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しかし!これ!
小さな飲食店がひしめいている建てもの?!
どこにあるの!その!記念館。

不思議な感覚で 2 階に進めば
奥にその看板がありました。
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有料!?
それなら入館することもないですか。
見たいものはありませんから。



(直木三十五著/大阪を歩く/)
(マキノ雅弘著/映画渡世/)参照
(敬称略)
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