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私の初詣 安倍晴明は狐の嫁入り [わが街・下駄ばきドドンパ]

正月も 2 日。
どこかへ行くはずでしたが
スタートでちゅうちょしたら
すぐ予定変更!
すぐ怠けものに変貌してふて寝。
努力と学習は一生することのない
いいかげんな人生です。

食料が尽きています。
ま!初めから
豊富にある訳じゃないのですが。
高級(高価ともいいますが)なスーパーは
景気よく初売りしていますが
まだ行きつけの
2、3 の安売りスーパーは正月休み。

せめて正月らしく餅を焼いて
少し残っていたキャベツを素炒め。
削り節をかけて食べます。

正月らしいかどうか!笑えますね。

午後になって
いいお天気なので近所を散歩です。

突然!雨!パラパラ!
陽は射しているのに。
狐の嫁入りですか。



たなべ不動尊こと
法楽寺(大阪市東住吉区)には
まだまだ初詣の人がいます。
blog41法楽寺.jpg

あ!今気づいたのですが
クスノキの大木の下の不動明王
西に向いていませんか。
blog42法楽寺.jpg

先日(拙ブログ 2018/12/29
太融寺と法善寺との
西向き不動明王を拝してから
ここに「終(しま)い不動」にきましたが
このお不動さまもそうなのかな。
本尊の不動明王は違うかも知れませんが。



山阪神社(大阪市東住吉区)に回ります。

さすがに神社の境内には人がいっぱい。
blog43山阪神社.jpg

20m ばかり並んでいます。

境内で焼かれていたフランクフルト。
blog44.jpg

300 円払ってくじを引けば
1 本 2 本 3 本のどれかもらえます。

おとなには 1 本しか当たらないけど
こどもには 2、3 本がよく当たるそうな。
ホントに偶然?!
もし操作しているのなら
名人技ですね。



阿倍王子神社(大阪市阿倍野区)には
表の公道まで参詣者の列ができていました。
blog45阿倍王子神社.jpg

なん度もいいますが
2 日の午後ですよ。
神社はまさしく書き入れどき。
不謹慎な発言!すみません。

安倍晴明神社に行きます。

明治時代には石碑が残っていただけ。
大正時代に阿倍王子神社の飛び地境内の
末社として復活(?)させたとか。

境内に晴明像があります。
blog46安倍晴明神社.jpg

「安倍晴明誕生地」の碑と
「産湯井(うぶゆい)の跡」が
江戸時代からあるそうです。
blog47安倍晴明神社.jpg

信じられませんね。

晴明は
磐余(いわれ)の里(奈良県桜井市)か
京(みやこ)で生まれたと思います。

いいかげんな根拠ですが
はなせば冗長ですのでやめますが。

人形浄瑠璃の
葛の葉(蘆屋道満大内鑑)がヒットしたので
その戯曲が
この神社では史実になっているようです。

他を見ても
浄瑠璃の中の歴史は無茶苦茶です。
中臣(藤原)鎌足が
奈良の都を歩いたりしますからね。

あ!叱られているのかも。
今日の天候は狐の嫁入り!
晴明の母親は白狐でしたね。
「葛の葉」ではね。

阿倍王子神社と安倍晴明神社。
「あべ」の表記が違うように見えますが。
化かされていますか!?



北畠顕家(きたばたけあきいえ)像。
blog48北畠顕家像.jpg

阿部野神社(大阪市阿倍野区)です。

どうでもいいことですが
いくつ「あべ」の漢字が出てくるのか!?
怒りたくなりますがね。

後醍醐天皇はエラい!
勝手に解釈した皇国史観に
もろ手をあげてバンザイの時代の神社。
blog49阿部野神社.jpg

ちなみに先の戦争の後
後醍醐帝とその周辺の評価が一変しました。
自称・忠君愛国坊主の今東光さえ
後醍醐天皇を暗愚の天子と呼んでいます。

詩歌の道とか。
blog50.jpg

いっぱいなにか書いてありますが
剥離が進んであまり読めません。

境内には他にも詩がいくつか。

「夜も日もしたふ 真白のさゆり
「はなの色香を 小胸にしめよ
「譲るすがたは われらが光栄(ひかり)

(「われが光栄」とありますが)
(前後から推察すれば)
(「われらが光栄」の記述違いのような)

阿部野高等女学校の校歌だそうな。

聞かせてあげたいもんですなぁ。
私をアゴで使う
アラフォー(around 40)の
発情おね~さん方に。

かの女たちと合致するのは
小胸だけですな。(生で見たことはないけど)
ん!?
使いもしないのに(知らんけど)
大き過ぎる胸の人もいますが。
詩の意味はそういう肉体のことじゃない?!

「かえるみくじ」がありました。
blog51.jpg

どこかのおね~さんに似ています。



(今東光著/毒舌日本史/)参照
(敬称略)
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