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えらい明智光秀 屋根より低い鯉のぼり [いわなが姫の丑の刻参り]

光秀が出てきました。
亀岡光秀まつり(2016/05/03)です。
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「明智光秀公武者行列」だそうです。
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光秀はこの地に
最初に城(丹波亀山城)を建てて
丹波亀山の発展の礎(いしずえ)を築いたのです。
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亀岡市の市民は今も
光秀の遺徳をしのんでいるのですね。
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ここは京都府亀岡市なんですが
昔は丹波亀山と呼ばれていたそうな。

明治になって亀岡となった?!
詳しいことは知りません。

この武者行列の先頭は
亀岡市の市議会議員たちが
ネクタイ姿でぞろぞろと歩いていました。
そのむさくるしさ!
悲しいとは思いませんか。
思わないのでしょうね!ここの市民は。



光秀はここでは智将ですが
フツーの日本人には
反逆の徒としか認識がないかも。

日本人は勧善懲悪が好きで
映画評論家の浜村淳風にいえば
「え~がた」と「わるがた」しか
分類がないんですかね。

「え~がた」はいい人!正義の人。
「わるがた」は悪い人。

本能寺の変でもその分類かも。



歴史の勉強を怠ってきたものには
光秀の反逆は謎だらけです。

織田信長の唯一ともいえる公式記録の
信長公記を開いても
淡々と記述してあるだけです。

本能寺の変のひと月前から信長は
北陸や信州・関東で不穏の中
四国の長宗我部元親討伐へ
出兵する決心をしています。
そこへ
中国にいる羽柴秀吉から
備中高松城で苦戦している報告。

あわただしくて
家康が安土城にきたときには
重臣は明智光秀と
丹羽長秀しかいなかったようですが
光秀は秀吉の応援の準備
長秀は四国へ出陣の準備に忙しいはず。

「信長公記」には
光秀の反逆になるような事象や
信長との確執はなにも書いてありません。

この期間!信長は無防備です。
それは仕方ないことにしても
家康もわずかな従者だけの丸裸で
奈良や堺を物見遊山。

こんな非常時の場所にきて
のん気なものですね。
信長公記を読めば
私は家康が不気味で不思議に感じます。



信長公記の著者は
信長旧臣の太田和泉守牛一です。
慶長 15 年(1610)脱稿だそうな。
本能寺の変から 28 年も経ています。

それでこの記述。

日ごろ信長が光秀を蹴ったりなぐったり
いじめにいじめていたというエピソードは
信長公記よりさらにずっと後に
創作されたものばかり?!

小説家や戯曲家が参考にする「明智軍記」でも
本能寺の変から 1 世紀後に書かれています。

後で書かれたものほど
内容が過激で詳細ですね。



ところで亀山城はどこにあるのですか。
石垣や堀の名残りは街の中にありますが。
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大本教(正式名称は宗教法人 大本)の
本部になっている場所あたりなんでしょうか。
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もっとも光秀の城は初代。
それから 2 度修復や改築が行われたようです。

明治になってから廃城になり
建造物は壊されたのでしょう。



城下町の旧家のいくつかには
季節がら武者人形が飾られていました。
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あれ!?
鯉のぼりが!

低いですね。
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この地区では高く掲げてはいけないようです。
どれもさわれるほどの高さに吊られています。
古いいわれがあるのでしょう。

こどもたちは
「屋根より低い鯉のぼり」と歌うのでしょうね。



やっぱり山間の町の祭りには鯖寿司ですね。

道の駅だという「ガレリアかめおか」で
「中村すえさんの鯖寿司」486 円を買いました。
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素朴な味です。
遠い日に祖母が作った味に似ているような。
ああ!思い起こせば!かずかずの不孝!
嘆いていることでしょうねぇ!草葉の陰で。



いろいろ探検するつもりでしたが
気力が失せて!帰ります。

JR亀岡駅。
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××十年前にはここから
保津川下りに乗船したり
本能寺の変のときの光秀のように
川沿いから越山して
京都まで歩いたりしていましたが。

あのころのメンバーは
生きているのやら鬼籍に入っているのやら。
あんなに大勢誘導して歩いていたのに
今ではだれひとり!交遊がありません。
私らしくて!さわやか(?)ですね。はは。

長い間こなかったら
駅舎も駅前もすっかり変貌しています。

それにしても不思議な意匠の駅舎です。

これがなんなのか!
往来する人も
JRの駅員さえも!だれも知りません。

観光案内所のベテラン(!)のおね~さんが
ただひとり答えてくれました。
「保津川です」



その保津川を車窓から見ながら帰ります。
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舟が見えたような。

確認する間もなく通り過ぎましたが
保津川下りかな。
思い出は一瞬思い出すだけで十分ですね。



(信長公記は桑田忠親校注を参照しました)
(敬称略)
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