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一夫一婦婚は本能か [日本列島コスプレ改造論]

先日!万博記念公園で
キジバト(ヤマバト)を見ました。

都市部のどこにでも見られる留鳥ですが。
6 羽いました。
かたまって雨中にエサを探していました。

どういう関係?!

キジバトはいつも
番(カップル)!
ただ 2 羽だけでいるところに遭遇するような。

6 羽とは!親子連れ?
それとも 3 組のカップルがいっしょにいたのでしょうか。

カメラを構えたら 2 羽が飛んで行ったので
やっぱり!?
blogキジバト.jpg

キジバトの一雄一雌はどのように決まるのでしょうか。
事件がない限り死ぬまでつづく仲なのでしょうか。



ヒトも一雄一雌
あ!一夫一婦婚の体裁をとっていますが
それは「進化」なんですか
逆向きの「進化」すなわち「退化」でしょうか。

ヒトのこどもの成長は遅いので
オスがメスの多大な負担を助けるためと
考えられてきましたが。

ちょっと旧聞に属しますが
ロンドン大学等の共同研究チームの説は。

弱いこどもが他のオスに殺されないように守る
(Proceedings of the National Academy of Sciences 2013/07)

つまり
自分の遺伝子をついでいる個体を守っているのですか。

ライオンや霊長類の中には
メスが子育て中には発情しないので
だれの子か分からないこどもは殺してしまい
メスの発情をうながし
自分のこどもを作ろうとします。

だから!こどもができても
他のオスから守ろうとしてとどまるのでしょうか。

それじゃ!一夫一婦婚でなくても
ライオンやゴリラのように
一雄多雌でもいいのでは。



ケンブリッジ大学の研究チームは
サイエンス(Science)に違う説を発表(2013/07)。

一夫一婦婚は競争の結果だと結論。

メスと出会う確率が低くて
1 度出会ったら最後!
徹底してそのメスに
こどもを産ませつづけるというのか知らん。

ヒトの成体のメスの数は少ないのでしょうか。
もっとも!たわむれに今!
私の周囲を見回すと
たぶん生殖能力のない老いたメス(失礼!)が
あふれていますが。



私は
一夫一婦婚は「理性」や「道理」等の
人為的なものの認識能力だと思うのですが。

つまり為政者や権力者が管理しやすいように
押しつけた制度だと思うのですが。

それは「力」によったり
「宗教」の名を借りたりして。

その証拠に
「力」のあるものにはどうにでもなっています。

白居易(772 ~ 846)の詩の中の「後宮佳麗三千人」は
数は正確かどうかどうか知りませんが
中国の皇帝にはたくさんの女性がいたようです。

徳川幕府の将軍は
大奥に女性をストックしていたようです。

近世では明治時代
専売品になる前に「たばこ」で巨万の富を築いた男は
邸内に 20 いくつの別邸を建てて
それぞれに妻(?)を置いていたというし。

倫理も法律も良心も「力」の前には
かんなくずより軽し。

権力!政治力!金力!暴力!等々
「力」は「力」が好きで
よく合体したり!義兄弟になったりしていますが。

そして「力」は一夫多婦婚や
一婦多夫婚が大好きじゃないかと思うのですが。



明治時代といえば思い出す本。
苔のや一心著/
当世権妻気質(原本は旧漢字)/明治 20 年(1887)発行。

いくつかの「権妻(ごんさい)」の物語。

「権妻」とは法律で認められた
2 番目(3 番目以降も入るのかも)の妻。

ちゃんと戸籍に書き込まれていた時代があったのですね。

口絵では
おばあさんのような女性ひとりと
うら若き女性 7 人が髭(ひげ)の立派な男を囲んで
楽しそうに笑っています。

おばあさんが正妻。
他の女性が権妻ということかな。

  本妻の外に一人、或ひハ二人三人の
  容貌(みめ)よき女を召抱へ
  夜の伽(とぎ)さ世るハ
  強(あなが)ち好色の心のみに非(あ)らず

なんて冒頭に書いてありますね。



閑話休題。

一夫一婦婚があって
「オスの子育て」はその前か後かが
議論の中心になってきているようですが
私はヒトのオスの!いや夫の!子育ては
本能の外のような。

人為的な押しつけのような。

そんな気がする暑い夜の孤閨です。



(敬称略)
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冷やしきつねうどん ざるラーメン [こな(粉)もん]

早朝のJR天王寺駅。
朝から暑い。
でも!いつになく空腹。

構内の「天王寺うどん」は夏バージョン。
「冷たい」メニューが並んでいます。
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冷やしきつねうどん。税込み 380 円。
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「のど越し」がいいですね。

普段はあんまり麺類に食指が動かないんですが。
空腹時には勝手なものですね。



昼過ぎの近鉄・大阪あべの橋駅構内。
東出口のところの阿倍野庵。
こちらも涼しげなメニューが。
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ざるラーメン?!

へ~!初見です。

ま!なん度もいいますが
親が麺類に目がなかったので
こどものときにすでに
一生分は食べさせられていると思いますので
もう!いらないんです。
ラーメンに関心のない人生ですから知りませんでした。

税込み 380 円。
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冷やし素麺の麺がラーメンに代わったようなもの。

冷たいので「のど越し」はいいですけど。



夕飯は素麺にしますか!麺ついでに。

冷やし素麺のつけ汁は
ウスターソースに限るといった
高名な料理研究家がいましたね。

ある流行歌の作曲家も。
その上!ウスターソースの銘柄も指定していましたが。

もしかして
香辛料が多く入っているのでおいしいかも。
ま!試してみる勇気は今のところないですが。

焼き素麺なら
ウスターソースで調味できそうですがね。



ウスターソースには二の足を踏んでも
醤油ではイケそうな気がしますが。

素麺ではないですが
名作!
長塚節(たかし)の小説「土」を思い出しませんか。

「土」に登場する若ものたちは
ハレの日にふるまわれるうどんに
醤油をつけて食べています。

明治の終わりごろの
鬼怒川(きぬがわ)沿いの一寒村のご馳走。
醤油は貴重品だったのでしょうね。



醤油は素麺でもイケそう。

100 年あまり前の
「聞き書 大阪の食事」の中の
「河内<旧大和川流域>の食」では
素麺のつけ汁に生醤油を使っていますね。

食べるうちにだんだん薄まってきて
ちょうどよくなるらしい。



私はやっぱり梅肉ですかね。

木綿豆腐に梅肉(梅干をたたいたもの)をかけて
手で荒く崩して素麺にのせてみましょう。
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生醤油かだし醤油を
ほんのちょっと振っていただきます。
お好きならたくさんかけても構いませんが。

自称・麺嫌いの夏の素麺。はは。



(敬称略)
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京都三条通りレンガ造りビル群 [平安京有情]

京都の三条通りを西に歩きます。

河原町通りを渡るとしばらくアーケード街。

アーケードが切れてなお西に進むと
古風なビルがあります。
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日本生命ビル(旧・日本生命京都支店)らしい。

すぐ西の
京都文化博物館も古そう。
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旧・日本銀行京都支店でしょうか。

さらに西にもレンガ造りが。
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中京郵便局ですね。

そんなに幅員のない一方通行の道ですが
結構立派なビル群ですね。
その昔にはメインストリートだったのでしょうか。

烏丸通りに当たりました。

交差点の南西角にも古風な建てもの。
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みずほ銀行の看板が掲げてありますが
旧・第一銀行京都支店だったらしい。



烏丸通りを渡って振り返ると
直接!三条通りに接してはいないけど
これまた!古そうなビル。
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横にNTT西日本のビルやら
京都電信電話発祥の地の碑があるので
電電公社の電話交換施設だったのかも。

今の名前は「新風館」らしい。

今風のことばでいうと「パティオ」
広い中庭がありました。
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常設かどうか知りませんが
屋台やらステージやら
中庭の中にさらに丸い建てものがあり
その上がビアガーデンになっていました。

古い建てものは
その中庭をぐるりと囲んでいる商業施設かな。
30 足らずのテナントが入っているようです。



飲食店が多いような。

3 階の「京ふらの」でランチ。
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京都どすなぁ。
水差しが違います。
変なことに感心している場合じゃありません。

鯖(さば)の味噌煮定食をいただきます。
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京都どすなぁ。
「色濃く照りをつけながら煮上げる」という
檀流クッキング(檀一雄著)とはエラく違います。
あっさり!さっぱり!色淡く煮上げられています。

税込み 980 円。京都どすなぁ!しつこいですが。



(敬称略)
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スペアリブの梅煮こみ [半煮え!生煮え!]

昭和 5 年(1930)発刊の
林春隆著/野菜百珍/に
「梅酒」がありました。

そりゃぁ!あっても
「あった」と声高に叫ぶほど
不思議じゃないでしょうけど。

しかし!なにか!
私の幼稚な常識と違うのです。



まず!梅の実に藁灰(わらばい)をかけて
沸湯をそそぐとあります。

アク抜きでしょうか。

その梅をていねいにふいてから
深い壺に入れ
古酒を梅にのるほど入れるとか。

古酒とは日本酒の古酒?!
醸造酒でしょうね。

白砂糖を美濃紙に包み
酒より上につるしてから
壺にふたをし!目張りをしておくのだそうな。

砂糖は湿気を吸って落ちるらしい。



たしかに!日本酒の酒蔵に行くと
日本酒でできた「梅酒」を売ってはいますが
はたしてみんな
こんな仕込みをしているものかどうか。

シロートには
梅の実とホワイトリカーと砂糖を
どどっと入れておくだけの作り方しか
すすめられませんがね。

細かな要点はいっぱいありますが
テキトーに作っても
だいたい腐らず!にごらず!
それなりに飲める梅酒ができるでしょう。



と!エラそうにいいましたが
仕込んでから 1 年で
にごった!
濃いウイスキー色になった梅酒があります。あは。

無選別の!
というより!
庭の品種名も定かでない梅の木の実だったらしい。

らしい!というのは
突然!大雨の夜に
びしょ濡れになった実が届いたのです。

大きな粒が少なく
青いものばかりだったので
ホワイトリカーに漬けたのですが。

ふと!取り出してみると
にごっていますねぇ。

さらに!梅の1/3は黒く変色しています。
こんな梅酒!見たことがありません。

漉(こ)して!オリと梅を捨てます。



その中の変色の少ない梅を食べます。

スペアリブ(豚の骨つきばら肉)の
表面を少し焼いてから水をさし
その梅酒を入れて
梅酒の梅をどどっと加え
ひね生姜をスライスしてかぶせて煮ます。

私の梅酒には砂糖をほとんど使わないので
当然!引き揚げた梅の実も甘くないので
砂糖を少し加えます。

にんにくの醤油漬けの醤油で調味。
blog梅スペアリブ.jpg

信じないでしょうけど
おいしいですよ。



(敬称略)
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きゅうり封じの寺 秋津洲の道 [野道!山道!恋はけもの道!]

21 日です。
弘法大師の縁日です。

7 月 21 日
宝国寺(寳國寺 ほうこくじ)では
真言密教の秘法の
きゅうり封じ(胡瓜加持)が行われていました。
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加持を受けたきゅうりで
体の悪いところをさすり
川へ行き
川に背を向けて肩越しに投げて
病気を封じたきゅうりを流すのだそうな。

大変古い寺のようで
住職の説教によると
「護摩(ごま)の灰」が創建したとか。

「護摩の灰」とは
高野山信仰の布教に全国を行脚していた
高野聖(こうやひじり)のこと。

中には弘法大師の「護摩の灰」だといって
いかがわしいものを売りつける詐欺師もいたとか。
それら悪党は
「ゴマのハエ(胡麻の蝿)」と呼んだらしいのですが。

先日!四国八十八か所お遍路のほんの入り口を
怪しいおね~さん方と見学してきただけの
無学で間抜けな私は
泉鏡花の妖しい小説の
「高野聖」しか知りませんでしたが。

「高野聖」と「ゴマのハエ」は背中合わせでしたか。



宝国寺のあるところは
奈良県御所市室。

室大墓といわれる宮山古墳のふもと。

このあたりには古墳だらけですが
宮山古墳は特に大きいようです。

弘法大師!そのころは空海だったのでしょうけど
空海はその古墳の主の
安寧(あんねい)を祈っていたらしい。

その宮山古墳に上ります。

石室が現れています。

たくさんの種類と数の埴輪(はにわ)が
出土しているらしい。

靭形埴輪(ゆぎがたはにわ)のレプリカが
ひとつ置いてありました。
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御所市観光協会が
「秋津洲(あきつしま)の道」という
ハイキングコースを設定しています。

秋津村という村があったあたりだから。

もっとも
秋津村は明治時代にできた村名でしょうけど
奈良時代には秋津洲と呼ばれ
さらに
記紀で神武天皇が
蜻蛉(あきつ)のトナメの国(=あきつしま)発言まで
さかのぼれる地だそうですから
「秋津洲の道」でも文句をつけてはいけません。



国道 24 号線の東を並行する
「秋津洲の道」を北に進めば
ぎょっ!
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藁(わら)で作られた大蛇?!

野口神社。
長さ 14m もの藁の蛇を引く奇祭があるのですね。

恋にもだえる女の執念が蛇になったのですか。

ちなみにこのあたりは
蛇穴(さらぎ)村と呼ばれていたそうです。



げっ!?
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怪しいといっているバヤイじゃない!
これは大変な危機です。

用水路にピンク汚物!

害虫のリンゴガイの卵塊でしょうか。

歴史がむしばまれていきます。
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