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三条大橋から [平安京有情]

京の三条通り。
東西の通り。
東の端の蹴上(けあげ)から西に歩きます。

ヒッチハイクの若ものたち。
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若さはすばらしい。
死んでも生きようね。

きれいな「おべべ」どすなぁ。
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ん!?
困ります。
英語交じりのハングルで聞かれても。
日本人の少女ではありませんでした。
でも!かの女たちは平然と
スマホとタブレットを見ながら行ってしまいました。

あ!
なんですか!これ。
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坂本龍馬お龍「結婚式場」跡。
興味はないので通り過ぎます。

座っている人もいます。
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皇居に向かって上京の礼をしているらしい。
京都に皇居があった時代のこと。
東海道の起点!見方によっては終点の三条大橋のたもと。
まず!京に着いたら
皇居に向かって挨拶するのが正しい日本人。
ま!そんな時代もあったということ。



三条大橋を渡ります。

擬宝珠(ぎぼし)!
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天正 18 年(1590)とありますね。
擬宝珠だけはみんな天正 18 年製ですか。
すごいですねぇ!

ひとつだけ。
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昭和 25 年(1950)製。
ひとつだけ流されて行方不明になったのですね。

橋の右岸の下流側に弥次・喜多の像があります。
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いつもそれに気を取られていますが
上流側が昔の高札場だったのですね。
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高札場跡に石柱が展示されています。
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「天正 17 年津國御影」と読み取れます。
豊臣秀吉の架けた三条大橋の橋脚なんですね。
今の神戸市から切り出した花崗岩。

三条大橋の一部に
その当時の石もいくつか現役で頑張っています。
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下流側のコンクリートの橋脚に
上の方に継ぎ足してある石柱がそれです。
なん本かあります。

ちなみに秀吉時代の橋脚は
なぜか平安神宮に多く集まっていますが。
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庭園の石などに転用されているようです。



三条河原というのはどのあたりだったのでしょう。
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石川五右衛門の釜茹で。

豊臣秀次の晒首(さらしくび)。
晒首の前で妻子侍女 39 名の処刑。

石田三成の斬首(ざんしゅ)刑。

近藤勇の晒首。

晒した方が正義!晒された方が悪党は世の習い。
あなたの正義も明日には晒されます!きっと。
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