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流水落花!わが家の花筏 [手のひらを太陽に]

無限江山
 かぎりなきこうざん
別時容易見時難
 わかるるときはよういにして
 まみゆるときはかたし
流水落花帰去也
 りゅうすい らっか かえりゆくなり
天上 人間
 てんじょう じんかん

流れる水に花びらが散り
それらとともに春が行ってしまった
天上と人間界ほどにへだたった遠いかなたに

南唐の最後の君主の李煜(りいく)の
辞世の歌の終わりのところ。
李煜(937 ~ 978)はたぶん!処刑されたのでは。

日本語でいえば花筏(はないかだ)でしょうか!
水面に浮かんで連なる花びらは。

わが家の庭(?)の桃ケ池の花筏。
blog85.jpg

流れはないに等しいほどゆるやかですが。



余談ですが
「花筏」は季語なんですか。
私の手元の
角川書店編/合本 俳句歳時記 新版/には
のっていません。

新版といっても
昭和 49 年(1974)初版の古書ですけどね。あは。

花筏は最近生まれたことばでしょうか!まさかね。

16 世紀初頭に編成された閑吟集に

吉野川の花筏 浮かれて漕がれ候(そろ)よの
浮かれて漕がれ候よの

という歌がありました。

ちなみに浅野健二校注によると
「浮かれて」は心の浮かれる意
「漕がれ」は思い焦がれの意をかけた
技巧的な表現だそうな。

李煜(りいく)の心境も
「浮かれて焦がれ」も
たぶん解しない少女たちが遊んでいます。
無垢の時代はいいなぁ。



わが家の水槽に
名残りのアーモンドの花びらが数枚
浮いてゆらゆら。

翌日!消えていました?!

水槽の中には
桃ケ池からすくってきた稚魚が大きくなった
カダヤシ!ハゼ科の魚!
ムツゴ!ヌマエビらしい小エビが
それぞれ数尾いますが。

冬中!姿を見せなかったドジョウも
2 尾いるはずですが。

なんといっても
大阪産と奈良産と京都産のカワニナ。
それぞれ 10 個ばかりだったのが
たぶん交雑して無数に増えていますが。



ん?!
blog86.jpg

深夜にのぞいたら
カワニナが水面近くに集まってきています。

水際にエサになるものが
こびりついていますからね。

それになん匹かは
水から出て歩いて(?)います。

試しに数枚の花びらを浮かべてみると
浮かび上がったカワニナが
花びらに吸着したとたん
自重で花びらごと底に沈みました。

そういう食べ方があったのですか。



造幣局の桜の通り抜けから
落ちている花びらの
新鮮な(!)ものだけを拾ってきました。

わが家の花びらと違って
消毒液がかかっていないか心配なんですが
最近まで閉じていたつぼみだったのですから
たぶん大丈夫だと信じましょう。
一応!くみ置きした水ですすいでから
水槽に浮かべました。
blog87.jpg

ちょっと多かったかな。
花びらは二重三重に重なって浮いています。

丸 3 日できれいさっぱり!
水槽から花びらが消えました。

水槽の底には
わが家のカワニナの大好物(たぶん!)の
枯れた朴(ほお)の葉と
アーモンドの葉がたっぷり。
それに煮干しがあるんですが
花びらを優先的に食べたみたい。

カワニナは風流なんですね。

ま!その数が多過ぎて
エサの取り合いなのかも知れませんが
風流と解しましょう。



(李煜の詩は石川忠久著/春の詩100選/参照)
(敬称略)
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