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ロシア兵墓地 小松みどり? 泉大津の怪 [町道!街道!眠り未だ足らず]

整然と眠っているのはロシア兵だそうです。
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南海・泉大津駅(大阪府泉大津市)の近くです。

明治 37 年(1904)日露戦争のとき
捕虜として 28,000 人ものロシア兵が
連行されてきたのですね。

収容は 2 年間におよび
89 名は故郷へ帰ることなく
この地に眠ることになったそうです。

日本人の弔いはていねいですね。

名を石に刻み
金属の墓碑銘をつけています。

この人のは
銘板は 3 枚
写真まで残しています。
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捕虜がいう日本人の評判は
必ずしもよくはありません。

竹を食べさせられただの!
(それは筍でしょう!)
木の根を食えといっただの!
(そりゃ!ごぼうというもんでしょう!)
先の大戦で連合国の捕虜は
戦後うらんだ発言をしていたそうですが。

が!
こんなに手厚く葬っている敵国がありますか。
ご先祖さまを誇りに思いたいですね。



海の方に向かい
小松みどり橋に上ると
大きな壁画が見えました。
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泉大津市民会館の壁でしょうか。

まったく関係はありませんが
「小松みどり」橋がちょっと笑えました。

「小松みどりと五月みどりは姉妹」
「彼女たちの母親は不細工なのに」
「美人の娘たちを産んだ」
「五月みどりの歌を今度!聞きかせてあげよう」

と!同じことを
なん度もいっていたお年寄りがいましたね。

私は歌嫌いなのです。
まして!このおじいさんの歌なんか!
聞きたくもないけど。

「おひまなら来てね」ですか!と
お愛想にいってみましたが。
たしか
遠藤実自伝/涙の川を渉るとき/に
書いてあったような。

「熟女Bだよ!」

へ?!そんな歌!あったのですか!

そんな妖しげな歌!聞くこともないまま
そのおじいさんの姿が見えなくなりましたが。
死んだのかな。
息はしていても社会的に死んだのでしょうか。
もう生き返らないでほしいものです。



閑話休題。

小松みどり橋から海の方へ
小松緑道という遊歩道と
サイクリングロードが延びていました。
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街より一段高くなっていて
ゆるやかなアップダウンがあります。

「小松」というのにクスノキばかり。
泉大津市の市の木がクスノキなんですか。

クスノキの新芽も春の色!
明るくて柔らかい。

やがて潮の香りがしてくれば
緑道は下界と同じ高さに降りてつづきます。

泉大津大橋があります。
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単弦アーチ橋というのでしょうか。
やたら大きな単純なアーチ!
強引に力づくで橋げたを吊っているような印象。
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初日の出を鑑賞するスポットだったかも。
昔!誘われたことがあったような。



泉大津市民会館までもどり
北に向かっている緑道を歩きます。
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ここもクスノキの
萌えたばかりのやさしい緑に覆われています。

横は大型車両の往来の激しい府道らしいのですが
高い塀に目隠しされています。

助松公園で右に曲がって歩けば
紀州街道に突きあたりました。

田中家住宅という古いお屋敷があります。
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徳川家御用の本陣だったそうな。



紀州街道を南にとって帰ります。

助松村境(すけまつむらざかい)石造物群。
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大昔は追いはぎが出るといわれていた寂しいところ。

横に地蔵堂があります。
ここにお地蔵さまが集結して
生まれたあかちゃんの寿命を決めていたそうな。

ん?!
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ここのお地蔵さまは
逆卍です!どうして?

近隣で逆卍をまったく
見ないという訳じゃないですけどね。
(拙ブログ 2011/10/29 2015/05/20 2015/07/04

怪しいことを知ってしまいましたが
どうか余命を縮めないでくだせ~まし。



(敬称略)
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