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大坂夏の陣 八尾若江合戦の河内街道 [町道!街道!眠り未だ足らず]

ある国営放送局みたいな放送局の
真田幸村が主人公のTVドラマに便乗して
関西のあちこちで「真田丸」と騒いでいます。

幸村の時代の大坂夏の陣は
はるか昔!慶長 20 年(1615)のこと。
そのときに「八尾・若江の戦い」もあったそうな。

近鉄・八尾駅からほぼ真北の
近鉄・若江岩田駅に向けて
河内街道が走っていますが
この街道沿いがその戦場らしい。

八尾駅から北に進み
河内街道と思(おぼ)しき道を進めば
恵光寺という大きな寺院がありました。

境内の庭園に
「柳の御坊 アミダ佛の庭」と書いてあります。
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「御坊」とは!本願寺?!
蓮如ですね!やっぱり。

諸説あるそうですが文明 2 年(1470)
蓮如の河内布教の後
こどもの蓮淳が建立し
萱振(かやふり)寺内町を形成したそうな。

ここに萱振城があったとか。
でも!それは南北朝時代のこと。
大坂の役には関係ありませんね。



高塚地蔵。
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正安 2 年(1300)の銘がある古いお地蔵さま。

大坂夏の陣のとき
豊臣方の吉田内匠がこの地蔵堂の陰から
徳川方の藤堂民部をおそったのだそうな。

さらに北の西郡(にしこおり)天神社は
白鳳時代の西郡寺の跡地にあるもですね。
手水鉢は塔利柱礎石らしい。
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直径 67cm の柱穴のある塔心礎も残されています。
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老カップルがラブラブして座ったまま!
困りましたね。
私の後ろにも写真を撮りたい 2、3 人が仏頂面。
空気の読めない(!)人はいくつになっても同じ。
だれか水でもかけて冷ましてあげて。

木村重成の墓がありました。
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大坂夏の陣で死んだ豊臣方の武将でしょうか。



第二寝屋川を渡れば
八尾市から東大阪市に入ったようです。

河内街道は枚方と八尾を結ぶ南北の道ですが
整備されたのは明治時代のようですから
幸村の時代にはっきり街道だったのかどうか。

雨乞いで霊験あらたかな若江鏡神社。
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こどもたちが玉虫を獲っていました。
街の中の鎮守の森。
すてきじゃないですか。

あ!
若江城ですか!
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若江城跡ですか。
今は碑がこじんまりとあるだけですが。

南北朝時代からあった城。
石山本願寺攻めで織田信長が拠点にしたそうですが
これも大阪の役には関係はないのかな。

このあたりは昔の街道の面影があるような。
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近鉄・奈良線を越えます。
出発した八尾駅は近鉄・大阪線です。

石田神社では氏子たちが夏祭りの準備。
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若江岩田駅に着きました。

近鉄線の北側は「岩田」(石田神社の別名?)
南側は「若江」という地名から
駅名は合成したのじゃないでしょうか。

大阪市の「四天王寺前夕陽ケ丘」とか
京都市の「出町柳」とか合成駅名がありますよね。
間違っていたらごめんなさい。



あんまり
夏の陣の影には出会いませんでしたが。

ここは東大阪市!
「カレーパンのまち」でしたね。(拙ブログ 2012/10/15

若江岩田駅前の「パセオ・カフェ」の
「ラガーカレーフランス」も健在。
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170 円(税込)になっていましたが。

お!唐突に思い出しました。
駅の南側にまだ大阪にきて間もないころ
浮き名(?)を流したところがありましたね。

あ!
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建てものは面影がありますが
テナントはみんな違いますね!はは。

あれ!こんな繁華街の
往来の激しいところに墓があります。
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飯島三郎右衛門という人が眠っているのですか。
三郎右衛門は
先ほど墓参した木村重成軍に属して戦い
ここで壮絶に死んだのだとか。

静かに眠ってくださいね。
わが恋も安らかに。
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