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川端康成は茨木童子?! [町道!街道!眠り未だ足らず]

大阪府茨木市に
幻の茨木城(いばらきじょう)を訪ねます。

あ!?
フジテック?!
フジテックのタワーが見えます。
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そうだ!
昔!おいら!
このタワーの見えるところに住んでいたんだわ。
忘れていました。
あれから幾年!
流れ流れの身は太り!心はやせて。ああ。

そのときには
茨木城なんか
考えたことがありませんでしたがね!はは。

茨木小学校に着きました。
ここに
1334年から1615年まで
およそ300年!茨木城があったそうな。
城跡らしきものはなにもないですね。

正面の小学校の門は当時の櫓(やぐら)門の復元。
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茨木神社に
茨木城の搦手門(からめてもん)が
移築されて残っていました。
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茨木神社の横の橋に
茨木童子(石像)が立っています。
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童子は橋の上から
水鏡に映った自分の顔に驚いたそうです。
そこには鬼の顔が映っていました。
それで人間社会で生きることをあきらめて
大江山の酒呑(しゅてん)童子の元へ行ったそうな。

私ものぞいて見ましょう。
たぶん!鬼の形相でしょう!

あ!?
橋の下に水はありません。
川はつけ替えられて緑地帯になっています。
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この元・茨木川を「川端通り」と呼ぶそうな。
さかのぼったら
茨木市立の川端康成文学館がありました。
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文豪は
3歳から15年間この町で過ごしたそうです。

文学館で
川端康成ゆかりの場所を描いた地図をもらいました。
しかし
もう100年も前のこと。
すっかり変貌した町に面影も薄いようです。

本代の未払いがたまって
「書店の前は一切遠まわりして」と
日記にある「虎谷書店」は看板だけ残されていました。
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「中学を出て一丁余来た書店」の
「堀書店」の看板も残存。
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支払いが遅れ
寄宿舎まで集金に来られて閉口したという
「周山堂」は
今も存続しているようです。
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文豪は金持ちだったのですか?!
物心つかないうちから肉親と次々に死に別れ
15歳で祖父が亡くなってからひとりぼっちのはず。

それで中学は寄宿舎生活。
さらに上京し
一高・東大と進みますが
働いたとか!バイトしたとか経歴にありませんが。

恵まれているんですね?!

でも
失礼ながら
文豪と茨木童子とを重ねてしまいました。

この里を離れる寂しさはおんなじかな!と。
その上!不謹慎ですが
われわれの社会とどこか距離があるような。

(敬称略)
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