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トマトの日除けができました [桃栗残念!柿蜂の巣?]

日除けができました。
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西日を受ける緑のカーテン。

売れ残っていたトマトの苗を
1 株だけ 50 円で買ってきて
いつもジメジメしていて乾かない
ハラン(葉蘭)のプランターに植えたら
あっという間に伸びて日除けになりました。

枝を出して広がる時間が短かったので
下葉がほとんど枯れ上がっていません。

それに
ナメクジの巣窟だったプランターが
朝!水をやっても
夕方にはカラカラに乾くようになりました。

もっとも深夜の人海戦術で
ナメクジはみんな退治したつもり。

1 株を藤棚のように大きく広く
育てているところもありましたが
トマトはすごいですね。

でも!
「トマトは朝日の当たるところに植えよ」という
ことわざ(?)があったような。

畑でも敷地でも
東の端に
トマトを植えなければいけないのでは。

どうして?!
その根拠は思いつかないのですが。

わが家のトマトは西日除け。
なにか災いが起きますかも。



このトマトはミニトマトでした。
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毎日 10 個ばかり収穫できます。
高級店で買えば
1 個 10 円くらいで販売されていますね。はは。

自給自足はうれしいものです。



トマトといえば
日本ではこの前まで食品の類には入れず
「バカなす」だの
「きちがいなす」だのといって
けんかのときに
相手にぶつける道具だったそうな。

ヨーロッパでも同じような扱いかな。
鑑賞用の時代が長かったようですが。

イタリアでは「黄金のりんご」
ドイツでは「天国のりんご」
イギリスでは「愛のりんご」と
呼ばれるそうですが
そのことばは
鑑賞時代に生まれたのでしょうか。
食品としてそういわれるのでしょうか。

トマトは毒だから食べると!
それとも
トマトは栄養価が高く
性的ホルモンの分泌が
活発になる(?)ので食べると!
「黄金の、、、」
「天国の、、、」
「愛の、、、」になるのでしょうか。
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住吉大社夏祭 神輿の洗い方 [わが街・下駄ばきドドンパ]

住吉大社の神輿渡御(みこしとぎょ)は
例年 8 月 1 日に大和川を渡って南進し
堺の宿院に行き
大阪の夏祭りの掉尾(とうび)を飾ります。

その前に
神輿洗神事(みこしあらいしんじ)が
催行されます。

昔は住吉大社のすぐ前に波が寄せていたはず。
神輿をどう洗うのか知りませんが
いずれにせよ簡単に洗えたことでしょう。

昔といっても大昔です。

神功皇后摂政 11 年に鎮祭!
つまり創建としていますが
その日本書紀の数字をどう扱うか
にわかに結論は出ないものの
飛鳥時代には確実に存在していたそうですから
1,500 年以上の歴史がある神社と信じましょう。



夕刻の 5 時過ぎ(2016/07/18)
夏の陽はまだ明るいとき
反橋(そりばし=太鼓橋)をにぎやかに渡る若い衆。
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ま!若くなさそうな人もいますが。
「住吉 神輿会」の人たちかな。

急いで境内に先回りすれば「神輿会」は
4 宮ある御本殿の一番奥の
第一本宮に向かっています。
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第一本宮の前に黄金色の神輿が座っていました。
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「発輿祭」とかを催行していましたが
遠くにいるやじ馬にはよく分かりません。

やがて神輿にとりついた男たち。
神輿を頭の上に差し上げた!
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なんトンの重量か知りませんが
人間の力もすごいものです。

揺すぶって!なん度か回って!
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西!すなわち海の方向に走り出しました。
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反り橋を上るじゃないですか!
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反り橋は神の!
神だけの!道だと私は思うので
当然!渡らねばなりませんよね。

上まで行きました。
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不安定!この上ありませんね。

先回りして下るところを見ると!
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危ないなぁ!



西にある阪堺電車と
南海電車を横切ったところに
住吉公園があります。

もちろん!その昔は線路も公園も海の中。

その公園で午後 4 時過ぎから
4 社中が奉納太鼓を披露していました。
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そこへ神輿がやってきました。
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住吉公園で神輿洗神事が行われるのですね。
そこは元々海の中ですからね。

神事が始まりました。
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やじ馬は警備の人に排除されたので
テントの陰から
盗み見しなければなりません。はは。

どのように神輿を洗うのでしょうか!?

桶がかつがれてきました。
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その桶の中の水を
葉っぱにつけてふっています。
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四方からぱっぱっとふって、、、。
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これで洗えたらしい。

この海水は
大阪住吉漁業協同組合の仕立てた
「汐汲舟(しおくみぶね)」に神官が乗って
沖の神聖なところで(そんなところがあるのですね)
汲んできたのだそうです。

ま!洗い=清めですからね!
これでいいのでしょう。

神輿を海の中に放り込んで
なん度かひっくり返して洗う「絵」を
想像した私が悪い(?)のです。



神事はつづきます。
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さらに神輿は
元の場所までもどらねばなりません。

私は神輿を洗うところに立ちあえたので
満足して
日も暮れてきたので先に帰ります。
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大浜公園メタボ猿のその後 旧堺灯台見学 [猫も歩けば棒立ち]

アカゲザルたち!元気でした。
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堺市の大浜公園。

「メタボさる」で有名な猿山が
池の中にありましたが。(拙ブログ 2009/02/15
地上の家に引っ越して(拙ブログ 2009/07/10)
もう 7 年も経っていましたか。

「オス 5 頭!メス 20 頭あまり!」
「避妊手術をしてこちらに引っ越した」と
世話をしているおじさんがいっていますが
ん?!
あかちゃんがいますが。
ま!深くは知らなくてもいいですが。

メタボはなくなったけど
糖尿病でゲキやせのサルがいるとか。

幼少時から
投げ込まれた食パンや
甘いものを食べ過ぎたせいかも。

しかし!
動物園でもモンキーセンターでもないのに
公園の一角にサルを飼育しつづけるのはどうして。
大変ですね。



大浜公園に隣接して
旧堺灯台があります。
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明治 10 年(1877)に建築。
木造の建てものです。

海の中にあったのに
陸地が延びて追い越して沖に行ってしまい
無味乾燥のコンクリートと鉄骨に囲まれた今
役目を終えて余生をおくっています。
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夜(2016/07/08 ~ 31)には
ライトアップを行っています。
寂しいところですから
カップルでゆっくりながめて
なにかひそやかに燃えることをしたいもの。

内部の公開をしていました。(2016/07/17・18)

内部といっても 1 階に入れるだけですけどね。
1 階や外部は白い塗料が塗られていますが
2 階を下からのぞいてみると
木目の壁板が見えます。
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木目塗りだそうな。
木目を描いているんですね。
なかなか手のこんだことをしています!昔の人は。

石垣は丸や四角形ではなく
沖に向けてとんがっています。
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波力の緩和のためかも。

自由都市の堺の港ですから
外国船でひしめいていたのでしょう。
向こう岸の壁に思い出が描かれていますが。
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その堺の津は
内側に引っ込んだ地形になってしまいました。

旧堺港の岸壁で
手をあげているのは呂宋助左衛門だそうな。
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呂宋は「ルソン」と読むのでしたか。
戦国時代にフィリピンのルソン島と貿易して
巨万の富を作った商人でしょうか。

手を振っている先に龍女神がいます。
龍女神とはなんの神さまでしたか。

龍女神がいるあたりが内海。
その先に灯台があったのでしょうね。

今は灯台も見えませんが
ほんのこの前まではちゃんと沖にありますね。
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林なしたる ほばしらに
花と見まごう 船じるし
積み荷の歌の にぎわいて
港はいつも 春なれや(明治の唱歌 みなと)



旧堺港と運河の土居川を結ぶ竪川に
南蛮人が立っていました。
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とんぼりリバーウォーク 橋めぐり [わが街・大阪ブギウギ]

南に流れている東横堀川が
西に直角に曲がったところから
道頓堀川と名を変えています。

その最初の橋・下大和橋から
流れて行く西を見れば日本橋があります。
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「にっぽんばし」です。
「にほんばし」と読んではいけません。

日本橋の北に
安井道頓と道トの紀功碑があります。
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道頓堀は慶長 17 年(1612)に安井道頓が着工し
道頓の死後!従弟の安井道卜(どうぼく)が引き継ぎ
元和元年(1615)に完成させたそうです。

私のような浅学な輩は
水の流れている川を「道頓堀川」
その川に沿って南にある繁華街を
「道頓堀」と呼んでしまいますが
正式名称はどうだか知りません。

日本橋から両岸の遊歩道を
最近は「とんぼりリバーウォーク」と
命名しているようです。

その「とんぼりリバーウォーク」をたどれば
相合橋(あいあうばし)です。
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大阪にきたとき先輩方が
「あいおいばし」といっていたので
今でもそう呼びたいのですが。
さらに「あいあいばし」だとか「あいおうばし」だとか
土着のみなさんが勝手に(!)いうので
本名(?)はなにか知りません。

太左衛門橋。
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木造の橋です。
最近!改修していましたが
どのくらい古いものか分かりません。



ちょっと休憩。
ランチにします!
稼ぎもないのにランチなんて!生意気ですね!
おてんとうさま!すみません。

しかし!高いですね!どこも。
佃煮にするほど湧いている観光客相手では
どこも強気で成り立つのでしょうね。
大阪の飲食業は儲かっていますよ~!

あ!ワンコインランチがあったような。

とことこと南下します。
貧乏人はカネの執念で千日前通りを越えて
「珉珉 南千日前本店」まで。はは。
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でも!ない!ありませぬ。
ワンコインランチなんていつの記憶だろ?!

じゃ!一番安いのでいいです!ぐすん。
ジンギスカン定食です。
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税込み 580 円。
おいしいじゃないですか。



再び「とんぼりリバーウォーク」へ。
太左衛門橋下流がにぎやかです。
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今日(2016/07/17)の某新聞に
「大阪ミナミ400年祭・本祭&にぎわいスクエア」が
開催(2016/07/16・17)とありますが。
?!

道頓堀の掘削を終えたのが元和元年(1615)なら
昨年が 400 年祭じゃないの!?
すでに終わっているのでは?!

でも!水上にステージを造って騒いでいますね。
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「大阪ミナミ夏祭り 2016 & にぎわいスクエア」
(2016/07/16・17)だそうですよ。
しつこいですが「400 年祭」じゃなかんべ。



戎橋(えびすばし)です。
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通称・引っかけ橋。
男と女の出会い橋。

大阪にきたとき一番最初に私を引き回してくれた
今は鬼籍に入っている道頓堀風俗研究家!
ありていにいえば!スケベおじさんが
未明の 4 時ごろになると
「若い女性の入れ食い状態」といっていましたね。

年だけは若い女性も
白馬に乗った美男の王子と
ひと夜のアバンチュールを期待してきたのに
まったくだれも相手にしてくれません!

王子は王女に行ってしまいますよね。
たぶん!王女からほど遠い容姿ゆえじゃないですか。

足が細ければ細いほど好みだというおじさんが
「すぐ!シャワーを浴びたい」ので王子をあきらめた
そんなムーミンに化粧したような女性に
人助けのために逆ナンパされたと
奥方にいうものの
ぶんなぐられていたのが、、、なつかしい。



御堂筋を渡す道頓堀橋。
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掲げられている橋の名前が右書き。
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戦前に架けられた橋でしょうか。

つぎに見えるのは新戎橋。
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このあたりから急に人影が少なくなり寂しいかぎり。

宇宙船のような
湊町リバープレイス(なんばハッチ)が見えてきました。
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大黒橋ですね。
石橋のように見えますが、、、鉄橋です。

深里橋(ふかりばし)です。
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昭和 5 年(1930)竣工の古い橋ですね。

遠い日に(拙ブログ 2016/06/04
悲しい歴史があることなど感じさせなく
くるまの騒音がとぎれません。

浮庭橋(うきにわばし)。
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平成 20 年(2008)架橋の
「とんぼりリバーウォーク」では一番の新顏。



暑い!
たぶん!日本で一番の暑さじゃないですか!
大阪は。

気温がより高いところは他にあるかも知れませんが
「不快な」暑さは日本一のような。
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アリス・イン・ワンダーランド 時を止める?! [活動写真]

プラムのジャムを作りました。
拙ブログ 2016/07/16
なかなかのできばえです。
だれもほめないから自分でほめますが
ま!丁寧にやればだれでも簡単にできます。

ジャムといえば唐突ですが
「鏡の国のアリス」で
「お給金は毎週 2 ペンス」
「それに 1 日おきにジャムを支給する」なんて
アリスに「白の女王」がいっていましたが。

支給するのは
「きのうのジャム」と「あしたのジャム」だとか。
1 日おきですからね。
「きょうのジャム」はないので
したがってジャムは
いつまで経ってももらえないということらしい。

「不思議の国のアリス」にも
「鏡の国のアリス」にも
こんなへりくつ(!)ばかりが満ち満ちて
だじゃれやオヤジギャグが作れない!笑えない!
私の灰色の脳みそはこんがらかって
面白くもなんともありません!まったくね。



しかし!世間は広い!
このメルヘン料理のレシピがあります。

ジョン・フィッシャー著/
アリスの国の不思議なお料理/開高道子訳/にある
「永遠にもらえないジャム」ですね。

ジョン・フィッシャーの解釈では
なんと!プラムのジャムですね。

プラムと同重量の砂糖
プラムの1/3の水
そして塩少々を 30 分ほど煮込むとあります。

塩以外は私の作った方法と同じです。
ま!他に変えようがないのでしょうけど。



そんなつまらんことを考えながら
繁華街を歩いていたら
「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」
という
ディズニーの映画が上映されていました。

2010 年制作の
「アリス・イン・ワンダーランド」の
続編でしょうか。

仕事が忙しいので(ウソついてすみません)
一瞬ちゅうちょしたのですがね!
あわてて上映 5 分前に飛び込みます。
映画館は全席指定席でしたが!さいわい!
私の定席(勝手に決めているのですが)の
最後列の右隅が空いていました。

ほとんどの出演者が前作と同じかな。

この映画両編で印象的な
やけに頭の大きな「赤の女王」。
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妹の「白の女王」も健在です。
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物語は前作から引き継いで
女船長のアリスが
困難な 3 年の航海を終えて
帰国したところから始まります。

時代は日本の明治維新のころですよ。

「不思議の国のアリス」から 13 年後
19 歳になったアリスが再びウサギの穴から
「不思議の国」に行ったのが
「アリス・イン・ワンダーランド」でしたが
さらに 3 年後の今回は鏡の中に身を投じます。

そこだけ見ると
「鏡の国のアリス」みたいですが
内容が全然違いますね!当然ですが。



22 歳のアリス。
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劇中のアリスより
少しだけ実年令が高そう(1989 年生)な
ミア・ワシコウスカが演じています。

きれいな人で
演技も難なくこなしているのですから
もう少し可愛く撮ってあげたらいいのでは?!

私の周囲の
アラフォー(around 40)のおね~さんと
同年齢に見えそうな「顔」のシーンが多い。

あ!私の周囲のおね~さんより
きれいですけどね!
いわなくても当然なことですが。



150 年前の原作者のルイス・キャロルは
驚いていることでしょう。
かれにはおとなのアリスは想定外のはず。

「鏡の国のアリス」の
(「不思議の国のアリス」でも同じですが)
挿絵にはこんなアリスが描かれています。
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かれの認める「女性」はこのくらいな年令の
少女でなければならないのです。

アリスがたまごのお化けのような
ハンプティ・ダンプティに
「人はどうしたって」
「ひとりでに年をとってゆく」と口答えしたら
ハンプティ・ダンプティは
「うまあく手だすけしてくれる人がいれば」
「7 歳でやめとくこともできたのさ」と
不思議なことをいいます。

これは作者の本音じゃないんですか!

キャロルはアリスを
そしてお気に入りの少女を
7 歳でとめておきたかったのでは!?

おとなになったアリスは見たくないのでは。
嫌いなのでは。

それはなんでしょう!?
私には氷詰めか
ホルマリン液保存しか思いつきませんが。
恐ろしい!
ハンプティ・ダンプティは
さらりと恐ろしいことをいっているのかも。



キャロルは私の想像するような
犯罪者にはなりませんでした。

ちょうど少女の保存法(!)が
簡単にできるようになったのです。

「写真」の技術の発達です。

キャロルは
多くの美少女の写真を撮りまくって残しています。

お気に入りはリデル家 3 姉妹かな。
3 姉妹の中でも
アリス・リデルの画像が多いような。
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かの女!このとき 7 歳だったそうですよ。

余談ですが
写真技術が発達したとはいえ
この時代は晴天時でも 1 分以上
曇天時や室内では数分
被写体は静止を強いられますので
どうしても表情がかたくなります。



映画のはなしでしたね。

「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」の
ストーリィは
頭の中がこんがらかるほど奇想天外な展開でした。

私に説明なんかできません。

量子力学や相対性理論では太刀打ちできない
時間をさかのぼれる
「クロノスフィア」なるものがあるのです。
そして「時を操る番人」がいました。

すごい理論でした。

なぜか
「時を操る番人」が
落語の「死神(しにがみ)」と重なりましたが。

あ!「死神」という噺(はなし)は
三遊亭圓朝が
ヨーロッパの死神説話から作ったとか。
イタリアの歌劇やグリム童話集にあるらしい。

よい子は映画の鑑賞に相対性理論や落語や
グリム童話を思い出さなくてもいいですよ。



(上記の図書のほか)
(ルイス・キャロル作/鏡の国のアリス/芹生一訳/)
(高橋康也著/ヴィクトリア朝のアリスたち/)
(滝田ゆう著/滝田ゆう落語劇場/も参照しました)
(敬称略)
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