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いものつるづくし膳 [七面鳥六目半ごはん]

さつまいもの「つる」も食べ納めのころ。

「つる」といっても
引っ張ればついてくる長いつるじゃなく
そこについている葉の茎というのか
葉柄という方がいいのか分からない部分ですが。

みなさん!どうしているのでしょう。
皮がむきにくいんですよね。

むけないから硬くないと信じてぶつ切りにして
熱いフライパンに入れ
梅酒を振りかけて煎ってみます。

イカ(烏賊)の塩辛を加えます。

少しアクセントに
食用タンポポの秋の葉を茹でて加えてみます。
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やっぱり皮をちゃんとむかないと食感が悪いかなぁ。
私には充分ですが。



茹でてみます。

熱湯で油抜きした油揚げも切って
いっしょにぬたに。
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和え衣は田舎風の味噌と穀物酢だけ。

砂糖を振ると旨味を感じやすいかも。
私には充分ですが。



茹でたさつまいもの葉柄と
鶏肉ミンチと納豆とを鶏卵と混ぜ合わせます。

小麦粉と塩を少し加えます。

ごま油で焼きます。
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チヂミ風玉子焼き。
ポン酢で食べます。

淡泊です。
私には充分ですが。



さつまいもの葉柄を細かく切ってみます。

自分で干したミニミニの椎茸をもどして
洗い米と混ぜます。

葉柄と
鶏肉ミンチと油揚げのみじん切りも入れます。

椎茸のもどし汁と昆布だしと醤油を加え
炊飯器で炊きました。
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葉柄の皮の硬さは全然気になりません。
おいしい。
私には充分過ぎます。



秋の夜長。
ウイスキーを割りたいのですが
「水」「湯」「ソーダ水」
どれにしようか迷う季節です。
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おいな~れ柏原 そぼ降る中 [町道!街道!眠り未だ足らず]

「おいな~れ柏原」というイベントのリーフレット。

「おいな~れ」とは
「おいでください」だろうと容易に想像がつくのですが
出てきたこのリーフレット!いつのものか!
日づけはあるものの「年」の記載がありません。はは。

調べると今年は今日(2013/10/19)開催するようなので
あんまり積極的参加でもないのに電車に乗りました。



近鉄・堅下(かたしも)駅で降ります。
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堅下は昔の大阪府中河内郡堅下村。
河内ぶどうの嚆矢(こうし)と認識していますが。
ここにきた記憶、、、ありません。

近鉄線と直角に交差している通りが
オガタ通り商店街。
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たぶん!大県と書くのじゃないでしょうか。
大昔は河内国大県郡(おがたごおり)かな。

安いですね。
お好み焼きを 100 円で売っています。

「和菓子司 草月」のお団子も 100 円。

「御菓子司 かつら屋」の
いちじく大福は 270 円。(下記写真の右!割っています)
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イチジク(無花果)もこの地方の特産品のようです。



商店街を突き抜けたら小さな川があり
「柏原舟ふなだまり跡地」の碑が。
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物資輸送の柏原舟 70 艙のたまり場。
鉄道開通まで 250 年の歴史の跡。

そばにその柏原舟を 1636 年に開発した三田家住宅。
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古い!その当時の建造物らしい。

三田家住宅の前に奈良街道がありました。
それを伝って南下します。
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今町!古町とつづくらしいのですが
どこがどこだかよく分かりません。

早かったのでひとりとぼとぼ歩いていたのですが
反対側から団体がぞろぞろ。
近鉄ハイキングですね。
今年も「近鉄ハイキング」と
「おいな~れ柏原」がコラボしているのですね。



大和川に出たら!天空の別荘!?
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じゃなく!近鉄の駅なんですか。
柏原南口?!
近鉄・道明寺線!?聞いたこともありません。
でも!なかなか趣があるじゃないですか。

川のほとりで
大和川つけ替え工事で尽力した
中甚兵衛(なかじんべえ)が立っていました。
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1704 年!大和川の
ここから北に向いていた流れを西へ曲げたのです。



近鉄・大阪線の安堂駅に行くと
今年の「おいな~れ柏原 まち歩き」の
地図を配っていました。

なるほど!
私の持っている地図とは
イベントや会場が少々異なっていますね。

回ってきた西半分はあきらめて
あらためて新しい地図で東半分を回ります。



大きな木がひしめいています。
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このあたり大平寺地区の中心!
ランドマークでもある石(いわ)神社だそうです。

ちなみにこのあたりを徘徊すると
大平寺だとか智識寺とかの単語・名称がよく出てきますが
そんな寺院は全く現存していません。

昔には大寺院のあった地区なんですね。

大平寺会館では
「綿くり」の体験ができました。
私はやりませんが。
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河内木綿の産地だったのです。

大和川のつけ替えで暴れ川は治まったものの
今度は水不足!
そこで畑地栽培の綿花の一大産地になりました。



つづいてボタン工場。
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大平寺地区は
ボタンの生産で有名だったころもあるのですか。

豊かな面影のある小路を行きます。
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カタシモワイナリーに着きました。

綿花の一大産地も明治になり鎖国が解けると
外国から安価な綿花が入るようになり
村の栽培は全滅しました。

それから!わらをもつかむ思いで
「下がる」ので縁起が悪いといわれていた
ぶどうの栽培に活路を見出し
結果!昭和の初め
大阪は栽培面積が日本一になり
この大平寺地区は大阪を代表する産地になったようです。

しかし!柏原市に
昭和の初めには 70 軒数えたワイン醸造所は
カタシモワイナリーただ 1 軒になっています。

思いは重い(!)ですねぇ。
重いワインがありましたらいただきましょうか。

「柏原ワイン」300 円。
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ああ!ワインですねぇ。
さっぱり!軽い!スパークリング!が
もてはやされている時代。
しっかりしたワインが私には心地いいときもあります。

横のパスタはちょっと遅い朝食。
このイベントのために出張(?)していた
「Ciao」の「柏原ボロネーゼ」500 円。



いい気持になって坂道を上ります。
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観音寺を過ぎてさらに上がれば
なんですか!?
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智識寺大仏壁画、、、だそうですよ。
よく分かりません。



ぶどうの小道を下ります。
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ワイナリーは
ひとつを残してみんななくなりましたが
生産と観光用には
まだたくさんのぶどう農園があるようです。
よかったですね!

このぶどうは時期的にみて「甲州」でしょうか。

この地区は
デラウェア」が主力だと思っていたのですが
昔はこれが中心?!
今は「マスカット・ベリーA」だと教えてもらいました。



今日の東半分は
ずっと!業平道をたどっているような。
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在原業平(ありわらのなりひら 825 ~ 880)が
たぶん!女性に会うために通った道。

鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社という
古い社がありました。
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「ぬでひこ」と「ぬでひめみこ」を
祀(まつ)っているそうな。

浅学ゆえ
全然聞いたことのない神さまですね。



小雨そぼ降る中の散策でした。
結局!はなやかなイベントには遭遇しなかったような。

JR・柏原駅まで歩きます。

構内で汗と雨で濡れた上着を片づけていて!
傘を置き忘れました。

まあ!時間だけは恵まれているので
天王寺駅から引き返します。

まだベンチに置いてありました。

私の一番いい傘なのに
だれも持っていきませんか。
うれしいような!残念なような。
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草木の生えるままに [いわなが姫の丑の刻参り]

「草木の生えるままにせよ」

ちょっと気になることば。
気になっているのに放置していることば。

52 代嵯峨天皇(786 ~ 842)が
自身の埋葬方法を遺言したそうな。

「棺は不要」
「山深いところに置け」
「土を盛るな」
「まつりごとはするな」

それで!そうしたそうですよ。

でも!
御陵(みささぎ)があるのです。
奥嵯峨は大覚寺の北西の小山がそうらしい。
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たぶん!
徳川幕府の「文久の修復」(1862 ~)で
歴代天皇陵をすべて比定する必要から
決めたのでは。
ま!無学なものの勝手なざれごとですので
他言は無用に存じます。



平安宮から見れば田舎でしょうけど
そんなに山深いところでもないのでは。
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それに大覚寺は嵯峨天皇が離宮としていたところ。
まったくの寂しいところでもないと思うのですが。
幕末の治定がおかしいのでは。



嵯峨天皇陵は
宮内庁の名称では
「嵯峨天皇嵯峨山上(やまのへ)陵」らしい。
文字通りに山上にあるといいます。

近くはよく通っているのですが
ジグザグの上りの参道が
800m ばかりつづいて
15 分くらいはゆうにかかるそうなので
つい!また今度!と先を急ぎ
実は 1 度も上ったことがありません。



嵯峨帝は大変聡明だったという評判が残っています。

また!皇后や妃や子女も賢明な人が多いとか。

ちなみにたいそう艶福な方で
手元にある天皇家の系譜の配偶者欄には
皇后1  妃2 夫人2 女御2 更衣22 となっています。
シモジモの感覚でいえば奥さんが 30 人近くも。

大宅壮一著/実録・天皇記/によると
子女 50 人の記録があるそうですよ。

そのひとりの有智子(うちこ)内親王は
母が渡来人だったせいか
容貌と聡明さが群を抜いていたとか。

その有智子が 17 歳のとき作った漢詩に遭遇したので
それが春の詩だったので
この前の春に嵯峨天皇陵で朗読してみようかと
浅はかにも思って嵐山まできたのです。

それが急きょ!予定変更することが起きて
あらためて数日後にこようとは思ったのですが
とうとう秋になってしまいましたね。



あ!?
御陵の参道が厳重に閉鎖されています。

参道が崩れているそうな。

それは先月(2013/09/16)の
台風の大雨が起こしたのじゃなく
昨年(2012/07/15)の豪雨の被害らしい。

1 年を過ぎたのに、、、まだ修復できませんか。
大変そうですね。



嘉智子(かちこ=檀林皇后 786 ~ 850)皇后も
薄葬でしたよね。
この方も鳥獣に食い荒らされてよい!といわれたとか。

檀林皇后の御陵は嵯峨陵と呼ばれて
清滝に行く鳥居本から水尾に向かう道の山の中にあります。
そちらに回ります。

同じ嵯峨野とはいえ
かなりふたつの御陵はへだたっています。
寂しいじゃないですか。
やっぱり比定がおかしいのですよ。

大汗をかいてたどり着いたのに
嵯峨陵の参道もストップ?!
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こちらは嵯峨天皇陵ほど厳重ではありません。
全然!
簡単に入れそうですが。

ま!やめておきましょう。



「草木の生えるままに」
「祭祀はするな」なら
山が崩れても!なくなっても
参道の修復は必要なのでしょうか。

そもそも御陵を比定したり!
参道を造ることさえ
遺言に背いているのでは?!



とぼとぼ下れば
有智子内親王(807 ~ 847)の墓所がありました。
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今は観光客の往来の激しいところで眠っています。
享年 41 歳ですか。

なにもかも恵まれているのに。
なんといっても日本一(!)の美貌の持ち主だったのに
恋のひとつもあったのでしょうか。
美し過ぎ!聡明過ぎるのも罪なのかも。

私の企画するハイキングに参加してくれる
アラフォー(around 40)のおね~さん方も
美し過ぎて!!
薄幸なさだめなのかも。
冗談ですよ!長生きしてね!するよね!きっと。

観光客は向かって右の落柿舎目当ての人ばかり。
その方が少しだけ静かに休めますか。



(敬称略)
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クレジットカードで蔵が建つ?! [貧乏自慢]

財布にお札がいっぱい!?

大金持ち?!

居酒屋でクレジットカードを切りました。
そこの会員カードを兼ねていますから
10%引きになるからです。

でも!割り勘で飲んでいたので
みなさんから徴収したら
3 万円ばかり財布に増えました。



冷水ショーケースを買って欲しいといわれました。
魚を焼くロースターを頼まれました。
血圧計を買ってきてあげました。

信頼があるのか
いや!つかいっ走りと思われているのか
よく気安く声がかかりました。

みんなカードを切りました。
みんな現金をもらいました。
お金がザックザックになりました。

これがウワサのカード金融ですか?!
ちょっと違うような気もしますが。



まだ未決済のカード支払いがあります。

パソコンです。
カメラもそうです。
旅行代金はみなさんの分を立て替えています。

いずれも小さな額じゃありません。

いったい全体!いくら請求がくるの!?

一時集まっていた財布のお札はどんどん減って行き
個人ものの買いもの用のお金は元からないのに。



昔!くるまのメーカーが
クレジットカードを発行することになり
私のような貧乏人のところまで
金融機関が次々に勧誘にきました。

B銀行がきたので
「昨日!A銀行がきたから申し込みました」といえば
次の日に
違うくるまのメーカーのカードの勧誘にくるありさま。

「くるまを買うとき便利!」といっていましたが
30 万円ばかりの枠を設定しておいて
新車が 1 台買えないでしょうが。

なんだったのでしょうね。
もっとも!買えても引き落としができませんがね。



そんな調子で
毎年 5 枚ばかりのクレジットカードに入会させられ
毎年 5 枚ばかり退会していました。
それで!いつも総枚数は変わらず
20 枚を越えていましたが。

あの狂乱の時代!
今もそうなのでしょうか。
そんな世界とみんな縁を切って隠棲して久しい。

クレジットカードの経費がいるものは解約して
年会費無料のものばかり残しています。
ちょうど 10 枚残りましたか。



こちらからカードを申し込んだことは
1 度もありません。

郵便局のカードのように
泣きつかれて勧誘され欲しくもないのに作ったのに
2、3 年後に突然
「解約させていただきます」と喧嘩状 1 枚!
勝手なヤツだ!

もういきさつは忘れているのですが
公共料金等の引き落としが
ひとつひとつバラバラのカードになっています。
どうしてこんなめんどうなことになっているのだろ。

docomo の支払いが KDDI のカードだったり
ホームズの支払いをコーナンカードでしたり
変なこと(?)もしています。



ともかく!
つかの間の大金持ち?!

もうすぐ!嵐がやってきます。
そして!厳冬が。

あ!?
以前にもおんなじことをここに書いていたような。
そのときに大丈夫だったから
今回もなんとかなることでしょう。ばんざ~い!



「うちの息子がね」
場末の安酒場の隅でおじさんがいいます。
「カードを作れば 5000 円儲かるといっています」

楽天カードかなんかですね!
5000 ポイントくれるのは。

「そんで解約して!」
「また入会して!また 5000 円らしいです」

ははは。
永久に 5000 円儲かりますか!?
カードで蔵が建ちますね。
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スーパーヒーロー木津勘助 [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市の西部を
袈裟斬りに斬り裂いて海に消える木津川に
4 か所の公営の渡し船があります。

一番上流の落合上(おちあいかみ)渡船に乗って
左岸の西成区から右岸の大正区に上陸。

ちなみに木津川の右岸はみんな大正区です。

上流の天空に大きな円弧を描いているものは
木津川水門ですね。
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高潮をせき止める水門らしいのですが。

北に歩けば下八阪神社。
ん!?
境内の社のひとつのご神体?!
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ん?
これ彫りもの!?
動きませんが生きているようです。
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この境内にはライオンが!?
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とぐろを巻いているものも。
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上流には上八坂神社。
境内に「中村勘助之碑」がありました。
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左の銀杏の木は
八垂銀杏樹(やたれいちようじゆう)とあります。
勘助が植えた木らしい。

初代は今では大きな切り株。
2 代目が伸びています。

中村勘助はまたの名を木津勘助。

常識の欠けている私は来阪するまでは
まったく知りませんでしたが
この地では有名人なんですね。

講談!落語!歌舞伎!浪花節!
とり上げない高座・舞台はないほど知名度は抜群。

勘助は天正 14 年(1586 年)東国の相模の生まれ。
それなのに大坂に移住。
豊臣方の軍船を造ったり
新田を開拓したり
木津川を掘削して堤防を築いたり
飢饉のとき幕府の米蔵を破ったり
スーパーヒーローなんですね。

だから!このあたりには勘助の足跡だらけ。

木津川に出ると大浪橋(おほなみはし)のたもとに
「わたし 勘助島」の碑が。
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今の大正区のあたりは勘助島と呼ばれて
ここに渡し船があったようです。

あ!JR環状線。
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すごい鉄橋ですね!珍しい形。
電車に乗っているときには分かりませんね。

その鉄橋のそばにJR大正駅がありました。

鉄橋に並んでいるのは大正橋。
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大正 4 年(1915 年)に
市電を通すために架橋されたらしい。
大正時代だったから!大正橋!?
後に区が生まれるときに
区名はこの橋から命名されたといううわさ。

今の橋の歩道には鍵盤が。
高欄には五線譜。
車道との境にメトロノーム。
ベートーベンの「歓喜の歌」らしい。
どうしてベートーベンなのかは
地元の人に聞いても分かりませんでした。

橋の東の上流側に「津浪記」と書かれた墓石のような碑が。
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安政元年(1854 年)の大津波の犠牲者の供養と
後世の人のために教訓と心得を刻んでいます。

文字の墨の跡が鮮やかです。

それもそのはず!
「年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」と
指示しています。

今も守っているのですね。
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