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明治時代のたまごめし [絵に描いたどじょう地獄]

あるとき百貨店をよぎったら
(よぎっただけです!買わないので)
(正確には買いたくても買えないので)
大勢の人が
押しかけているコーナーに遭遇しました。
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「たまごかけごはん」を売っていました。

なんと!
「たまごかけごはん」が 540 円。

みそ汁と香のものが
ついているのかどうか知りませんが
それにしても高価です。

ブランドものの鶏卵というのですが。

ブランドものでも
近所のスーパーの目玉商品でも
栄養分析したら差が出ますかね。

あ!?
おいしさが違う?!
ふ~ん!
すごいですね。
返答する気が失せますね。



それにしても
関西の人は「たまご」が好きですね。

私は食べます。
出されば人の倍くらい平気で食べます。あは。

でも!注文することは少ないのですが。
なんか!安っぽく感じられて
レストランや食堂や安居酒屋で
大枚はたいて食べるのは損したようで。



鶏卵は物価の優等生だと持ち上げられて久しい。
貧乏人の栄養補給源。
食えない時代に
鶏卵ばかりで過ごしたという人は多いようです。

もっとも!それはここ半世紀あまりのこと。
その前の時代の
たとえば桂米朝の「私の履歴書」なんかには
投げ売りの腐りかけのりんごで
飢えをしのいだとあります。

6 代目笑福亭松鶴は
「だれかて食後のデザートと思いまんがな」
「めしはなしで腐りかけのりんご」と
ネタにしていたそうな。



その鶏卵が
血管をダメにする元凶だと
ののしられる時代になったりしましたね。
忙しいですね。

昨年(2015)日本動脈硬化学会が
料理中のコレステロールと
血中コレステロール値の相関エビデンス(根拠)は
希薄だといっていませんでしたか。

特別に影響がある人は特別な体質の人。
一般の人が
1 日になん個食べても気にすることもないとか。

「たまごはあこがれの食品!」
先の戦中戦後を越えたご老体が
今でも口をそろえていいます。

あこがれの食べものがあっていいですね。
動脈硬化が起きるまで
せいぜい飽食くださいね。



明治 34 年(1901)発行の
大阪文廼社著/家庭教育 女かゞみ/の
「飲食之部」の「飯のたき方」に
雞卵飯(たまごめし)なるものがありました。


「雞卵飯」

常の如く能く米を炊ぎ
少し柔らかに仕かけ
焚きて薪を撤き
鶏卵を人数相応に打ち割り
能く掻きまはし上よりさぶりと注け
釜の中にて混ぜ合せ
暫く蓋を為し置くべし

其後は釜より直ちに盛り出すか
又は食籠にうつし出すもよし

かけ汁は
鰹節のだしを醤油加減して
胡椒 浅草海苔
葱の小口 たうがらし等を加役とす


平仮名で読み下せば。

「たまごめし」

つねのごとく よくこめをかしぎ
すこし やわらかにしかけ
たきて きをひき
たまごを ひとかずさうおうに うちわり
よくかきまはし うえよりさぶりとかけ
かまのなかにて まぜあはせ
しばらく ふたをなしおくべし

そののちは かまよりただちに もりいだすか
または じきろうに うつしいだすもよし

かけしるは
かつをぶしのだしを しやうゆかげんして
こせう あさくさのり
ねぎのこぐち たうがらしとうを かやくとす


ちなみにこの本は
「雞卵」と「鶏卵」のように
表記が統一していないところが多く
リライトしにくいったらありゃしない。



こんな本でお勉強する人は
明治時代にそうたくさんはいないでしょう。

お嫁入り前の良家のお嬢さまや
大きな家の奥さまだったのでしょね。

鶏卵はごちそうだった時代かな。

私は生たまごより
こんな半熟にした方が好きですが。
良家の子女じゃないのですが。

たまごかけごはんも
炊きあがったばかりのごはんがないと
しません。



明治時代と違って
現代は電子レンジなるものがあります。

冷やごはんと鶏卵を混ぜ合わせて
電子レンジで加熱すれば
たちどころに
炊き立て(に近い)「たまごめし」になります。
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小口切りのネギを
マヨネーズと醤油で和えてのせました。

かけ汁が必要なら!簡単。
平成の時代では湯をさせば
たちまちおいしい
ワカメスープができるのですよ。



(敬称略)
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万博記念公園のモリアオガエル [手のひらを太陽に]

万博記念公園(大阪府吹田市)に
茶畑がありました。
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寒冷紗を用意されていますから
碾茶(てんちゃ)でも作ったのでしょうか。
あ!玉露も覆いをするのでしたか。

街の中の公園ものどかですね。

水田?!
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田植えの前みたいですが。
梅雨どきになると
トノサマガエルが鳴くそうです。
その木々の向こうには
高速道路とモノレールが走っているのに
遠くにきたような。



6 月ですね。

不著衣冠近半年
いかんをつけざること はんとしちかく
水雲深処抱花眠
すいうんふかきところ はなをいだいてねむる
平生自想無官楽
へいぜい みずからおもう むかんのたのしみ
第一驕人六月天
だいいち ひとにおごる ろくがつのてん

清の袁枚(1716 ~ 1797)の
「銷夏詩」という七言絶句。(石川忠久訓読)

6 月の暑い中
宮仕えにあくせくと働くことをやめ
清らかな風景の中で
花に囲まれて眠る気楽さを詠っています。

石川忠久の解説によると
「花」とは「美女」のことだとか。
袁枚は大勢の美女に
かしずかれて暮らしていたらしい。

そりゃもう!
暑くても寒くても楽しいことでしょう。



小さな池の水際で
半夏生(はんげしょう)が咲いています。
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咲くとはいわないですか。
葉が白く化粧(!)しているのですね。

あ!
半夏生の池に白いかたまり。
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モリアオガエル!?

六甲山の上の方では
まだ産卵しているでしょうけど
大阪の平地ではもう時季が過ぎたのでは。

枝先ではなくほとんど地上ですが。
まさかシュレーゲル(アオガエル)の
地中の卵が出ているのではないでしょうね。

それより!こんな街の公園に
アオガエルが棲息しているとは!

近くの「渡りの沼」にも卵塊が!
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ふたつ(みっつ?)ありますね。
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自然観察学習館の水槽に
モリアオガエルがいました。
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学習館のおね~さんに
「渡りの沼」の前の
上津道をはさんで反対側の湿地にも
産卵していると聞いて!引き返します。

ああ!
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きれいです!産卵したばかりのようです。

ひとつじゃないですね。
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この道を今日は 2 度も通っているのに!
道から手が届きそうなところなのに!
気づきませんでした。
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注意力散漫!今さらですが。
私の 6 月はただ暑いだけですね。



(敬称略)
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白百合の池田城跡 [解語の枯れ尾花]

池田城(大阪府池田市)だそうですが。
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正確には池田城跡に
平成 12 年(2000)に整備された公園だそうな。

戦国時代にこの地を支配していた池田氏から
下剋上でのしあがった荒木村重も
謀反の疑いから織田信長に滅ぼされ
1580 年ごろから廃城になったままだったらしい。

だから建てものはみんな
現代の賢い人が想像して造った模擬城だとか。

その模擬天守閣
じゃなく櫓(やぐら)だそうですが!
上がります。

小さな建てものですが高台にあるので
四方がよく見渡せます。
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城壁!茶室!日本庭園!
上品にまとめられていますね。

白いユリ(百合)がたくさん咲いています。
テッポウユリ!?(違っていたらごめんなさい)
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テッポウユリは
イースター・リリィ(Easter lily)とも呼ばれて
キリスト教では欠かせない花でしたか。

あ!
手元の園芸大百科事典で確認すると
イースター(復活祭)で飾るユリは
マドンナ・リリィ(Madonna lily)が正式だとか。

でも!テッポウユリも純白なので
最近は代用されるようです。
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白色が純潔な花として扱われてきたのでしょうか。



古事記によると
神武天皇はすでに
めとった女性もこどももいたのですが
慾張りにも皇后になる人を探していたところ
伊須気余理姫(いすけよりひめ)にめぐりあい
「さい川」の畔にあった姫の家に泊まりました。

「さい川」とは
「さい」がたくさん咲いている川のことらしい。
「さい」とは「ユリ」のことらしい。
たぶん「ヤマユリ」のことでしょう。

これは純潔をあらわすのかどうか知りませんが。

万葉集の大伴家持の歌。

左由理波奈 由利毛安波牟等 於毛倍許曽
伊末能麻左可母 宇流波之美須礼(18-4088)

さゆりはな ゆりもあはむと おもへこそ
いまのまさかも うるはしみすれ

ユリのようなあなたと
ゆりも会いたいので
今の逢瀬を大切にしたいとでも
解釈していいのでしょうか。

ユリ(百合)と
ゆり(後)をかけているのですね。

つまり
万葉集ではユリはユリなんですが。
「サイ」なんてあったかしら。



白百合といえば
「明星」の白百合。

髪ながき 少女とうまれ しろ百合に
額(ぬか)は伏せつつ 君をこそ思へ

山川登美子(1879 ~ 1909)の歌。

悲しいですね。
どうしてオンナとカネにだらしない与謝野鉄幹に
翻弄(ほんろう)されるのでしょうね。

鉄幹は日本のカサノヴァ!?
まじめに育ったお嬢さんほど
カサノヴァに弱いのかも。(拙ブログ 2011/01/07

「明星」には
石上露子(1882 ~ 1959)もいましたか。

白ゆりと さうびの花の にほふ頃
死ぬべき日かと 爆音をきく

この人の歌はどうしようもなく寂しい。

あ!「さうび」は「薔薇」
バラでしょうか。



ま!浅学なものが
生産性のない思考をするのはやめましょう。

管理のおばちゃんたちが
くたびれた花を摘み取ってしまいました。
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もうなん日か早くきたら
もっと花壇が白かったそうな。

あ!なつかしい!
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芝生にネジバナがたくさん咲いています。

昔!わが家のベランダに咲いていましたが。
だれが運んできたのか植えもしないのに。

そして!いつの間にか消えて久しい。



池田城は高台に建つ
結構広大な城だったのかも知れません。

西側は崖!北側には杉ヶ谷川を利用し
東と南には大きな堀を掘っていたとか。

杉ヶ谷川は今もあります。

杉ヶ谷川に架かる橋。
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面白いデザインだと思いましたが
これ!吊り橋なんですね。

ちなみに「杉ヶ谷川」は
「すがたにがわ」と読むのだそうです。



(敬称略)
タグ:カサノヴァ
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幸村も岡潔も越えた紀見峠 [野道!山道!恋はけもの道!]

南海・林間田園都市駅。
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なんともはや!
すごい名前ですね。
歴史の新しい駅でしょうか。

周囲には田園の中に新しい住居があります。
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南海電鉄がこのあたりに
ニュータウンを開発しているのですね。
「田園都市型ニュータウン」だそうです。
それがどんな定義の「ニュータウン」なのか
知りませんが。

和歌山県から大阪府に向かいます。
昔でいえば紀伊国から河内国へつづく
高野街道でしょうか。
紀見峠(きみとうげ)を越えることになります。



南海電鉄の東側を北上して紀見峠駅を過ぎます。

ここから線路は峠の中のトンネルに入ります。
ついて行けないので現代の高野街道の
国道 371 号へ出ます。
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この道もトンネルに入るのですね。
しからば
さらに東側に回り込み峠を越えることにします。

葛城神社を経由します。
境内にムクロジ(無患子)の巨木がありました。
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奈良県や和歌山県の神社では
大切にされている樹木のようで
ときどき遭遇しますが
高さ 29.7m 幹回り 4.2m
こんな大木!見たことがありません。

ん?!
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稲綛橋(いながせはし)の道標。
川も橋もないのに。

「いながせ」とは
稲を干す稲架(はせ or はぜ)のことでしょうか。
漢字は借字かも!思いつきでいいますが。



峠らしいところ。
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梅の古木におおわれています。
たくさん落ちている梅の実が
踏まれて割れて可哀そう。

つぶされていない実を拾って行きます。
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青梅ですので梅酒が作れそうです。
少ないですがね。
待っていたらもっと落ちてくるのかも。はは。

紀見峠宿場に着きました。
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宿屋が軒を連ねていたそうですが
往時をしのぶのは「丹波屋」だけ。

ササユリの咲いているそばに
「岡潔生誕の地」の碑があります。
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岡潔著/春宵十話/によると
大阪市に生まれ
四つから和歌山県で育ち
小学 2 年からまた大阪市
6 年から再び和歌山県と書いてありますが。

生誕の地という表現はいかがなものでしょう。

小学 6 年のとき
姓が岡に変わったとも。

どんな家の子だったのでしょう。
いえるのは!
一生経済的に苦労は
まったく!していないようです。
うらやましい。はは。



「岡潔」の碑の近くに「紀見峠」!
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ここがホントの紀見峠なんですね。
関所跡でもあるのでしょう。
「高野山女人堂江六里」の碑も。

峠を下ります。

ミツバチの巣箱が
白いホタルブクロの花の横にあります。
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先ほどのササユリ!
ホタルブクロ!
それにユキノシタ!
ドクダミ等の
白い花ばかりが咲いています。

花ではないのですが。
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マタタビのつる先の葉も白い色。
この沢沿いにはマタタビの多いこと。

一度国道に出てから
旧・高野街道を進みます。
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まもなく見慣れた天見の里です。

今年はこのあたり和歌山の九度山町から
大阪市まで真田幸村ブーム。
だれかがショーバイのため音頭を取って
作っているブームでしょうけど。

この紀見峠も幸村が越えた難所だということ。
ただそれだけ。
そんなに気張っていうほどのことでも
ないような。



(敬称略)
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万博記念公園で梅の販売 [お命!いただきます]

ん?!
だれかとなにか約束していたような。

青梅の季節です。
「買いに行こう」か「買ってこい」か
いわれていたような!冬の花の季節に。

たぶん!私をアゴで使う人、、、!
え~と?
たくさんいますねぇ!はは。

まず!美しい(怖い?)顔が浮かんだ
アラフォー(around 40)の大年増にいえば
「買ってきて!」

たぶんこの応答では
この人じゃなかったと思うのですが。

「あなたは電車に乗ったら一直線でしょ」
「買ってきて!」

忙しいのですが。
それに一直線でもないのですが。
ま!他の人よりは少しは便利かも知れませんが。



それで万博記念公園へ。

フットワークが軽く
スケジュール帳が軽く
頭の中が軽いのは
私をおいて他にいないでしょうから。
損な人生ですなぁ。

梅林には梅の実の熟した甘い匂い。
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立ち入り禁止です!実の季節には!
花見どきには自由だったのに!はは。

いっぱい下に落ちているのですが。
あれを拾ってはいけないのでしょうか。

梅の実の販売は火・木・土。

着いたときにだれもいなかったのに
10 分後に帰ってみると長蛇の列。
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「毎年!初めのころには人気があるのですが」
「6 月も終わりの方になり」
「黄色い梅が多くなるころには」
「行列もありません」
とのこと。

といって出直す訳にも行きませんから
並びます。



エコ堆肥で育てた梅だそうです。
それがどうなのか!よく理解できませんが。

1 袋 1kg 350 円(税込)
ひとり 3 袋までなので 3 袋買いました。
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無選別です。

買ったよ~!

「漬けておいて」

なぬ?!
なんにしたらいいの!?

「おまかせ」
「私は梅酒を 5 合ももらえばいいよ」
「体が不自由になったお父ちゃんと飲むから」

ふんとにもう!
自分のことは自分でしましょう。
親不孝娘め!



青いものと黄色いものとに分けてみたら
「青」が 2kg
「黄色」が 1kg となりました。

青い方には
ホワイトリカーをどぼどぼと入れるだけ。
甘味料は好みがあるのと
多過ぎといわれても
後でのぞけないので入れません。
飲むとき調整しなさい。

「黄色」は塩漬けにしたいのですが
塩分が多かったら叱られるでしょうね。
といって少ないとかびるし。

梅干作りの名人じゃあるまいし!
知りません。
研究する気も起きません。

あ!醤油漬けがいいかも!?
手間がかからないし。

醤油をどぼどぼ。
しかし!醤油の塩分濃度は 20%切っていますよね。
かびますね。

塩を足すか!
アルコール添加か!悩みます。

昨年の梅酒の梅で抑え込んだらどうでしょう。
アルコールたっぷりのはず。
結果!梅酒の梅も醤油漬けになりませんかね。



できました。
玄関の下駄箱の上に飾っておきます。
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醤油漬けの方は醤油が足らずに
梅酒の梅がのぞいています。
夜が明けたら!醤油を買いに行かねば。

あ!
違いますね。
醤油に梅が浮いているのですね。
醤油は塩水ですから浮きますよね!当然。

どうしましょう!
実を押さえるといったって、、、
方法が分かりません。



(2016/06/19 追記)
右の醤油漬けの梅。
今年の青梅も
昨年のホワイトリカー漬けの梅も
みんな沈んでしまいました。
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